しなやかに

しなやかにありたいと最近思う。
それは周りの空気が読めなくなる程に自分の価値であったり価値観であったりに固執することなく、かといって周りの空気に流されて自分ならではの価値であったり価値観であったりをないがしろにしてしまうことなくあること。真にこだわるべきところにだけこだわり、そのこだわりを共有して柔軟に周りとつながり、総体としての価値を最大にすること。
社会人になりたての頃、コンサルタントになりたての頃を振り返ると僕は自分の価値であり価値観でありに固執していた。企業でいうなら自前主義だ。
タスクのうち自分の占める割合が大きいことが自分の価値の証であり、周りに任せることは自分の価値を落とすことだった。僕の頭の中にあるフレームワークに沿ったロジックで語る相手は優秀に感じ、そのフレームワークで整理ができないロジック(もしくはロジックがないと感じる)で語る相手はダメだと感じていた。常に全力であること、課題を見つけたら解決に向けて動き出すべきであり、全力でない時間があること、課題を見つけても”寝かせておくこと”は怠慢だと感じていた。相手に率直にぶつかる事、オープンにぶつかる事が正しく、主張せずに影でものを言う、見えないところで行動することはコミュニケーションがなっていないと感じていた。
チームで動くことの価値の大きさに気づいていなかった。
正しいことは1つだと思い込んでいた(更にいえばそれは自分の考えだと)。
自分の枠組みで相手を解釈していた。相手の枠組みを理解しようともしていなかった。
(自分以外の都合を踏まえて)物事に取り組むタイミングを考えていなかった。
率直であることと自分勝手であること・尊大であることを履き違えていた。
自分が相手のリアクションの原因の1つになっていることを気づいていなかった。
素晴らしいコンサルタントと仕事を共にし、ポジションを上げてさまざまな経験を重ね、自分自身ででも考える過程で学び、気付き、変ることができている部分もいくつかあると思っている。
でも今度は逆に振れてしまうところもでてきたりする。
チームの成果を最大化するために目的を明確にして周りの考えを練り合わせていく過程で自分の考えを出し切れなかったり、相手の枠組みを理解してそれにしたがってコミュニケーションする過程で自分オリジナルの意見があいまいになってしまったり、物事に取り組むタイミングをクライアントでありメンバーの状況でありに鑑みて判断しているとやる気のある若手には”逃げている”と映っていたり、謙虚に相手の考えを聞き、理解を確認し、ディスカッションをする過程で相手の考えの偏りを修正することができなかったりと。
特に相手が昔の自分のようなスタンスでいると難しい。そう考えると自分と一緒に仕事をしてくれた・育ててくれたマネージャでありメンバーであり、仕事以外でつながってくれた方々には本当に頭が下がる。お礼をいくら言ってもいい足りないと感じる程だ。
ここでまた自分の価値に固執しだしては、また逆に振って螺旋的に少しずつ成長するのは得策ではないと思う。
本当に譲ってはいけないもの。今クライアントのことを第一義に考えたときに全員が頭であり心の真ん中に据えておかなくてはならないもの。それを明確にして、そのためにチームとしての力を最大限発揮できるような動き方を考えて実行に移していきたい。なかなか難しいのだけど、今のポジションだからこそ、今の自分だからこそ味わえるチャレンジなのだと思うのだ。
自分も相手も人間。僕が今ここに書いたように考えていてもすぐに自分の行動が100%この考えに従うことができないように、相手も時に考えていることと行動との間にGAPが出てきたりする。感情は合理的な思考のフレームワークなんてあっさりと壊してしまう。
でもそういうところがある人間だからこそつながることが面白い、ときにロジックなしでぶつかることが面白いのだと思う。
楽しくいきたい(^^)