ノンデザイナーズ・デザインブック

ノンデザイナーズ・デザインブック
資料のデザインにこだわりを持つ若手コンサルタントからススメられて手にした一冊。タイトルどおり、デザイナーでなくとも最低限のデザインはできるようになろう、そのためにまず自分が普段何気なく目にしている、つくっているものがどういうルールにのっとっているのか/いないのかを自覚しようというレベルの本。
資料をつくるさいデザインは最後の最後に考えるものであり、そこに凝ることに僕は価値を感じていなかったが、聞き手・読み手にとってわかりやすい資料はデザインにもある程度配慮されていることも事実。優先順位が低い、少なく限られた時間の中で最大のパフォーマンスを発揮するためにも読み終えて損はなかったと感じている。

資料づくりのプロセス
1. 目的を明確にする
2. 資料によってたどり着きたいゴールを明確にする
3. ゴールに到達するために必要なメッセージを明確にする
4. メッセージを的確に表現するボディを構築する
5. ボディが効果的にメッセージを伝えるようコスメする(デザインに該当)

これからもできるだけ相手の立場に立ってアウトプットの良し悪しを考えていきたい、そのためにインプットを重ねていきたい。
誤ったメッセージを一生懸命コスメして説得力をあげてしまう/ごまかしてしまうというのはあるまじき行為だし、小手先のテクニックに過度に頼らずこれからも成長していきたい。
#にしても面白い。この本を読んでみると本や新聞・広告を見る目が変るし、写真を撮っているときも被写体の捉え方/はずし方が変ってきているような気がします(^^)

自分の偏りを自覚する

週末に体調を崩して月曜日は休養をとった。テレコンで資料のレビューや時折のメールチェックをする以外は家で安静に過ごす。体調が少し落ち着いた時間を見計らって少しずつ読書をする。
先週金曜日にベンチャーを経営されている方とディスカッションする時間をもらえたことも合わせて、目の前にあるプロジェクト以外からのインプットの大切さを感じた。
限られた時間の中でアウトプットを出していくための仮説構築・検証のためのリサーチ・結果からの示唆出し・今後のアクションプランの修正・仮説構築…を繰り返していると、その過程に必要ないと考えられるインプットはほとんどなくなる。必要/不要を判断する軸が目的に対して狭く設定してしまう。
それでうまくいけばいいのだけど結果として”面白みのある”仮説や示唆が出なくなるような気がする。自分の思考のレンジが狭くなった上そのレンジのレンズの稼動域も狭まった感じを覚える。
この違和感を見てみぬふりでやりすごすのではなく、うまく解消して自分らしい時間の使い方・頭の使い方をしていきたいと思う。
の前に体調をはやく治したい…(^^;)

すぐれないのは体調だけか

週末(土曜日の夜あたり)からどうも体調が優れなかったので月曜日は自宅作業。といってもたまにメールチェック・対応をしたり電話会議でプロジェクトの資料をレビューする程度。後は横になって昼寝をしたり本を読んだりして過ごしていた。頭が余計に働かない分純粋なインプットには向いている時間かもしれない。こういう体調が悪くて頭がふわふわしているときは。
それにしてもこの程度のことで仕事を休むとはどうも自分らしくない。自分らしくないといえば今年の後半はそんな感じでどうも自分の人生を充実させきれない時間を重ねてきた。その代わり自分ひとりでできることできないこと、周りの人に対する感謝の気持ち、自分に足りない部分、謙虚さ等々学べたことも多い。今すぐにそれらをアウトプットに結びつけるのは難しいのかもしれない。どこかで今の自分に無理をさせてはいけない気がしている。常に自分が周りから受けている恩を自覚する気持ちを忘れずに今を過ごしたい。
10月20日に彼女ができてかれこれ1ヶ月半が経つ。今日寝ぼけて電話に出たら彼女の名前を間違って呼んでしまった。悪いことをした。彼女も怒るっていうよりへこむといっていたし反省だ。
なんだけど、すき焼きご馳走して、準備もして、食べさせてたいしたお礼も言われず片付けもせずにばいばいってそりゃちょっと違うような気がする。なんだろ。まあ名前間違って呼んだんだし当然といえば当然ってことなのかもしれないけど人としてそれはないだろうと。些細なことなのだけど根本からずれているようなそんな気がした夜だった。
些細なことでも感謝の気持ちをもって”ありがとう”を言い合える関係でいたい。
もちろん自分が悪いことをしたと思ったら素直に謝れる関係でもいたい(^^;)