太陽

たまたま朝早く目が覚めてみると和室のふすまがオレンジ色に染まっていた。夏らしい朝日だなあと思いつつ窓の外を見てみると眩しいけどやさしい、夕暮れ時のような空が広がっていた。写真の順番を入れ替えたら夕暮れにも見えると思う。
思わず写真におさめて、また眠りについた。

夏休みだっ!

いよいよ夏休みにはいり、早速実家に帰ってきた(with homework…)。今年は久しぶりに(初めて?)お盆シーズンにまとまった休みをとれたのだけど、実家でゆっくりしようと決めていた。家で読みたかった本を読み、地元の友達と遊びながら心身を思い切りゆるめる、ということをしたかったのだ。
土曜日は昼頃からジムにいって、結局夕方に東京を後にしたのだけど、偶然にも新幹線の指定席が1つ空いていて、帰省ラッシュをきにすることなく帰ってくることができた。そして帰ってきてみるとちょうど地元の花火大会の真っ最中。家のベランダから祖母とぼーっと花火を眺めつつ写真におさめた。地元の懐かしさと夏らしさを感じる心地よいひとときだった。
それにしてもやはり夜に写真を取るとピントがぼけてしまう…。
実家でPCを買い換えたようで設定を手伝ってみる。Windows VistaなのだけどどうもXPとは勝手が違う。結局姉と、”VistaってKYだよねー”という結論に達する。しかしどうも気になっていじり続けている。
そんな時間もまた何も考えることなくいられる心地よい時間だ。

もっとはやく出会えていたなら

「あなたともっとはやく出会うことができていたらよかった」
クライアントからの言葉。飲み会の席だったので色々と割り引くべき要素はあるんだけど、嬉しかったしもっと価値を出したいと思った。
クライアントの過去の経験の話になったときに、当時にあなたがいたらもっとうまくやることができたと思うんだ、ということだった。
なんだろう。嬉しかったんだけど悔しかった。自分たちの価値が認められて必要とされていることが嬉しくて、今の中途半端な自分がそうやって認められていることに対して悔しさを感じたのだと思う。平たく書くと”この程度の自分の価値をそんなに評価してくれるなんて…でも僕なんてまだまだなんですよ”というところ。こういう考え方あまり好きではないのだけど(まだまだって思うならそう思わないようになるべく行動をしろ、それができないなら謙遜に隠れずに今の自分に胸を張れって思ってしまう)そう考えてるのは事実。
「最終的にはうちにきてもらって、是非私達をひっぱっていって下さいよ」
なんていう言葉も飛び出す。飲み会の席だし人としても素晴らしいお客様なので、色々と十分に割り引いて解釈するけど。でもやはり嬉しい(単純すぎかな)。
このプロジェクトが終わったとき、そこからは彼らが自分たちで行動していけるようになっていることを祈っている。そのためにプロジェクトの中で僕たちが持っているものを最大限出していきたい。勿論それを是とする、それに従うことが目的ではないのだけど。そうしていく過程で僕も成長していきたい。
ここのところの”いまいち”っていう感触も徐々に整理できてきている。2つの要素から悪循環になっている。息切れしてることも手伝って、自分のポジションの変化に伴う”貢献”のピントを合わせられないままでいるのだ。
1. 息切れ気味
休みなく、プロジェクトをかぶせながらずっと走ってきたので単純に息切れしてる・頭が疲れてる。そうなると一番つらいのは判断力が鈍ることだ。
疲れからリスクを受容できる器を小さくしてしまうので、普段ならさっさと動けるところでスタックしてしまう。やるべき/べきじゃないという軸とできる/できないという軸で考えたときに後者のウェイトが上がってしまう。するとだいたい判断を誤る。リカバリーのための(余計な)アクションが必要になってしまう。
2. ポジションの変化を受容れきれてない
プロジェクトをマネージする / メンバーをリードするというポジションにおける”貢献”とは何か。それが明確に決め切れていない。
メンバーでいるときにはタスク単位で仕事があり、その中で自分で結論を出してマネージャとディスカッションして洗練していくという感じだったのだけど、マネージャになるとタスクをデザインするとそのタスクにメンバーをアサインする。そしてディスカッションする。勿論ディスカッションの中で見えていない論点だったりなんだったりを指摘することはあるのだけど、それがマネージャの価値なのか?スケジュールの中でやるべきことの優先順位もあるからそれに従ってアウトプットのレベルを調整する。それがマネージャの価値なのか?そうしたアウトプットをもってクライアントとのセッションをリードする。軸できったりして整理する。示唆を出す。それがマネージャの価値なのか?
って言うのを整理したいのだけどその余裕がなかなかつくれない。時々”いや、論理的にはそうなんだけど現実みたらどうなの?それ正しいの?”みたいなロジックを通そうとするメンバーを納得感を持ちつつ軌道修正したり(時間がかかる)、自分が持っているタスクをやっていたり、パートナー・レビューに対応したりしているうちに時間が経ってしまう。
この夏休みを利用して、まずは理想のマネージング・コンサルタント像を描いてみようかな(今更ながら(^^;))。
チームとして出すべき価値はだしていると思うのだけど、その中で自分も成長したいし、僕のピントがあえば、もっと素晴らしいチームになると思うのだ。

夏休み前の山場ということでオフィスにて朝日を浴びる。スケジュールの組み方だったり作業の段取りだったり仮説の立て方だったり…、色々と考えることはあるもののこうしてじわりじわりと昇ってくる朝日を見ていると元気が出てくる。何かしらの達成感を覚える(本番はこれからなのだけど(^^;))。
ようやくぎしぎしと音を立てながらゆっくりと、自分の中の歯車が回り始めた気がしている。これまでぎゅっと、自分の一部分にピントを合わせていた眼の筋肉が緩まって取り込む風景がじわーっと広がっていくような、それとともに眼だったり頭だったりの緊張がふわっと解けるような、そんな感覚がする。
めっきり真夏らしくなったこの頃。今日の目標を達成して夏休みに入りたい。今年はお盆のタイミングでゆっくり休むことができる(宿題ありそうだけど)。もしかしたら社会人になって初めてかもしれない(覚えていない)。
思い切り心身を緩めてしまおう。
その前に集中集中!

必要なものは

夏休み前にプロジェクト前半の山場を迎えている。
こうして頭を整理して資料を作成することに集中してみると、ジムで体を動かしているときと同じように色々頭や心にまとわりついていたものがそぎ落とされていくようで気持ちがいい。
ぐるぐると考えずにぼーっと休養することが大切だと考えてきたが、そろそろ考える暇がなくなるくらいに頭と体に負荷をかけて、それを乗り越えることに集中した方が良い段階にきているのかもしれない。
じっと休みたくなったらしばらく休んでいたくなるのと同様に、一度走り出したらもっと速く走り続けたくなる。息切れしたり、走る道が見えないけどスピードをあげて走り続けないといけない状況もあったりするのだけど、走ることで感じられる風が心地よく、ゴールに向かえている/近づいているという実感を得られると気持ち良い。
じっとして、過去や今目の前に広がる風景の解釈を変えることでも心の持ちようは変わるのだと思うが、走って周りの風景を変えて行けば解釈が変わらずとも心の持ちようは変わる。
曖昧ながらそんなことを感じる。