もっとはやく出会えていたなら

「あなたともっとはやく出会うことができていたらよかった」
クライアントからの言葉。飲み会の席だったので色々と割り引くべき要素はあるんだけど、嬉しかったしもっと価値を出したいと思った。
クライアントの過去の経験の話になったときに、当時にあなたがいたらもっとうまくやることができたと思うんだ、ということだった。
なんだろう。嬉しかったんだけど悔しかった。自分たちの価値が認められて必要とされていることが嬉しくて、今の中途半端な自分がそうやって認められていることに対して悔しさを感じたのだと思う。平たく書くと”この程度の自分の価値をそんなに評価してくれるなんて…でも僕なんてまだまだなんですよ”というところ。こういう考え方あまり好きではないのだけど(まだまだって思うならそう思わないようになるべく行動をしろ、それができないなら謙遜に隠れずに今の自分に胸を張れって思ってしまう)そう考えてるのは事実。
「最終的にはうちにきてもらって、是非私達をひっぱっていって下さいよ」
なんていう言葉も飛び出す。飲み会の席だし人としても素晴らしいお客様なので、色々と十分に割り引いて解釈するけど。でもやはり嬉しい(単純すぎかな)。
このプロジェクトが終わったとき、そこからは彼らが自分たちで行動していけるようになっていることを祈っている。そのためにプロジェクトの中で僕たちが持っているものを最大限出していきたい。勿論それを是とする、それに従うことが目的ではないのだけど。そうしていく過程で僕も成長していきたい。
ここのところの”いまいち”っていう感触も徐々に整理できてきている。2つの要素から悪循環になっている。息切れしてることも手伝って、自分のポジションの変化に伴う”貢献”のピントを合わせられないままでいるのだ。
1. 息切れ気味
休みなく、プロジェクトをかぶせながらずっと走ってきたので単純に息切れしてる・頭が疲れてる。そうなると一番つらいのは判断力が鈍ることだ。
疲れからリスクを受容できる器を小さくしてしまうので、普段ならさっさと動けるところでスタックしてしまう。やるべき/べきじゃないという軸とできる/できないという軸で考えたときに後者のウェイトが上がってしまう。するとだいたい判断を誤る。リカバリーのための(余計な)アクションが必要になってしまう。
2. ポジションの変化を受容れきれてない
プロジェクトをマネージする / メンバーをリードするというポジションにおける”貢献”とは何か。それが明確に決め切れていない。
メンバーでいるときにはタスク単位で仕事があり、その中で自分で結論を出してマネージャとディスカッションして洗練していくという感じだったのだけど、マネージャになるとタスクをデザインするとそのタスクにメンバーをアサインする。そしてディスカッションする。勿論ディスカッションの中で見えていない論点だったりなんだったりを指摘することはあるのだけど、それがマネージャの価値なのか?スケジュールの中でやるべきことの優先順位もあるからそれに従ってアウトプットのレベルを調整する。それがマネージャの価値なのか?そうしたアウトプットをもってクライアントとのセッションをリードする。軸できったりして整理する。示唆を出す。それがマネージャの価値なのか?
って言うのを整理したいのだけどその余裕がなかなかつくれない。時々”いや、論理的にはそうなんだけど現実みたらどうなの?それ正しいの?”みたいなロジックを通そうとするメンバーを納得感を持ちつつ軌道修正したり(時間がかかる)、自分が持っているタスクをやっていたり、パートナー・レビューに対応したりしているうちに時間が経ってしまう。
この夏休みを利用して、まずは理想のマネージング・コンサルタント像を描いてみようかな(今更ながら(^^;))。
チームとして出すべき価値はだしていると思うのだけど、その中で自分も成長したいし、僕のピントがあえば、もっと素晴らしいチームになると思うのだ。