何事にもおわりがある

日々を何気なく過ごしていれば、何事にも始まりがあり終わりがあるということを忘れるのは容易いことだ。忘れている間は、本当ならばおわりあるはずのその時間が永遠に続くかのように感じられ、永遠にその時間の中にいられるように感じる。そしてそれが当たり前に感じられ、そのものがいかに自分を支えてくれているかを忘れる。いかに貴重なものであるかを忘れる。いかにありがたい存在であったかを忘れる。
そしてそれが無いとしたときに自分の当たり前のどれだけ多くの部分が崩れ去ってしまうのかを忘れる。
不意に忘れ去っていたこれらを思い出すきっかけが与えられることもある。しかし往々にしてそれまでおわりが来なかったという事実の中に、そのきっかけは埋められてしまう。一瞬何らかの危うさを感じることこそあれ、それが忘れ去ってしまったそのものの尊さを深く心にとどめてくれることはない。
そして往々にして本当にその尊さに気づけるきっかけは、その尊いものを本当に失った / おわりを迎えたという事実が担う。
心に深く尊さが刻まれる。おわりを告げた時間であり失ったものは二度と戻らないという経験が刻んでくれる。
それでも人間はまた同じことを繰り返す。良くも悪くも、時間は心に刻まれたものを取り払い、その跡を薄めてくれるからだろう。一連の経験が自分を成長させてくれたはずなのに、二度と同じことは繰り返すまいと強く心に誓ったはずなのに、刻まれた跡と共に自ら刻んだ学びや教訓、成長した自己像も薄めてしまう。
人間は同じことを繰り返す。
オフィスにPCの電源を忘れてきた。今日中に決着をつける予定であった仕事に中途半端にしか手がつけられない。そしてそのような状況にありながらこうしてBlogを書いている。こんなことを言っている間に残り時間は17分をきった。
明日、僕は朝日を浴びながらオフィスへ向かう。
人間は同じことを繰り返す。
洗濯をして早く寝よう。
最近自分でも笑いがとまらなくなるほどにアクシデントに囲まれて暮らしている。