朝ごはん

朝ごはん(^^)
ちょっと前になるけど、再度実家から桃が届いたのだ。(桃が僕の好物だと認知されたのかもしれない、いずれにしてもありがたいことですね。ありがとう!!)
…一人で1つ食べるのは結構苦しかったりする…でもんまい(^^)
今日は午後からSTR勉強会。
まだこれからケースを開くところだけど、2時間程度。しっかり読み込んで勉強会に貢献したいと思う。
…よくよく考えると、朝ごはん桃っておかしいのですかね…(一人暮らし7年目…ちゃんとせな)

自分の中に大きなYESを持つ

自分の中に大きなYES、胸を張ってYES!!と言えるものを持つ。
とても大切なことだと思う。
with condition / without condition、おそらくそれは問われない。どんな条件があってもでもいいから、それも含めて明確に、胸を張ってYES!!と言えるものを持つことはとても大切だと思う。
そのYES!!が、明確にNO!!と言える力になる。
大きなYES!!を言えない人はおそらく大きなNO!!は言えない。何か説得力に欠ける、後ろめたいNOは言うことができたとしても。
詳しくは書けないけど、しばらく”優しさ”って何だ?ということを考えていた。その過程で、自分がIssueを外しているということも考えた。
いや、考えていたというのは正しくないかもしれない。頭ではわかっていると思うから(優しさもIssueも)。頭の中では理想的な優しさが描けているから。その、自分の考える理想的な優しさが行使できない理由。僕はそれを、今の自分が、胸を張ってYES!!と言えるものを持っていないところから来ていると考えた。
じゃあ持とうよ(^^)
で、優しく明確にNO!!と言おう。Issueに応えずにまごまごしてるなんてらしくない。
相手への優しさと甘えを混同しない方が良い(^^)ましてや混同している中で生じるジレンマを愚痴に変換して一時的にすっきりしようなんてかっこ悪い(たまーにやっちゃったりしてますけど。反省(^^;))
…意味不明かな(^^;)

STRになじめてきた気がする

なんとなくそんな気がする。
仕事とのバランスが徐々に取れてきたからだろうか(慣れてきたからだろうか)。
レポートの内容は×。
講義の中で出てきた内容は、頭の中を一度はよぎった内容。ただそれはそれ。
限られた時間の中で客観的に見て、冷静な判断を下す難しさを改めて感じる。(時間がなくなってくると、客観的な判断<自分のロジックに筋を通す判断、となってしまう。経営者であっても、コンサルタントであっても論外だ。) 同じ部品を使っても、組み立て方1つで完成品のクオリティは雲泥の差がでる。 少なくとも予習とレポートではもっともっとロジカルに行こう。 成長してるような感覚を味わえるって楽しい(^^) (成長してるのかどうかはアウトプットで測りましょうと。)

人間力

最近は体で感じる。
ロジックで人の心は納得させられない。
ロジックで人の体は(自発的には)動かない。
ロジックで人の頭は…ねじ伏せることは出来るかもしれないが、納得させるとなると…なかなか難しい。
社会人として初めて入った環境を受入れる強さを持っていなかった僕は、ロジックへ逃げた。今後のキャリアを考える上でもクリティカル・シンキング系の内容は必須であると思ったし、その力があれば歳も経験も関係なくやっていけると思ったから…?いや、違うと思う。おそらく、論理的な正しさで、周りに対して、おまえら(主観的に僕が思う)正しいことをやれよ!と言いたかったのだと思う。
…そうしないと自分がだめになると… ←周りに依存しすぎ(^^;
なんてことは置いといて、とにかく今言えるのは、ロジックじゃ人は動かんのですよ。という当たり前の現実の中にいるということ。で、そんな中に立って僕は2つのことを思う。
■ロジックの大切さを忘れないこと
■目的を見据えてバランスをとること
■ロジクの大切さを忘れないこと
そう。ロジックの大切さは絶対的には変わらない。
ただ、人間関係であったり、そもそもの人格(人間力)であったりの大切さに気付いて、相対的に大切さが下がっているだけなのだ。
みんなでモチベーションを高めて、やるぞ!っとなった答えが正解なのか?それは違う。そもそも的を外していれば、高いモチベーションでもって失敗に向かってみんなで走っていくだけ。多分走ってる本人たちが求めてるものと結果は違うだろう。
(気づきながら、モチベーションも下がって、なし崩し的に失敗するよりは楽しいかもしれないけど)
周りが賛同して、モチベーションを高めて一丸となって進もう、という状況は素晴らしいと思う。ただ、そのときでも「その方向ってそもそも正しいの?」という問いには胸を張ってYES!!と応えられるものを持っていなくてはならない。(そモチベーションやチームワークは本質的な理由にはならない。)
Issueをちゃんとおさえて、もれなくダブり無く考えていくという活動、その結果のロジックは大切なのです(^^)
■目的を見据えてバランスをとること
そう。大切なのはバランスだと思うのだ。
…色々と考えて書いていたら長くなったので削除。端的に言おう。
8のロジックをつくりこんで、人を2しか巻き込めないようなら、2のロジックをつくりこんで人を8巻き込んだ方が良い場合が多い。
ということだ。
1つ注意すると、このロジック側の数字は、ロジックの確からしさを言っているのではない。方向性は正しい(であろう)という前提で、それをどれだけ詳細に落とし込むかのことを言っている。
ロジックをどれだけ精緻にしても、人がついてこなければ価値無いですよ。ということだな。要するに。…結局当たり前だな(^^;)
ふぅ…人間力か。

うわべだけの優しさ

うわべだけの優しさを持って人に接することは僕はとても失礼だと思うし、有益なことはことは無いと思う。
「自分は人に優しくしている」と自分に言い聞かせる材料ができるという意味で短期的且つ自己中心的な益はあるかもしれないが(そんなもの益じゃないよ、と最終的に思うので、有益なことは無いと)。
”うわべだけ”という言葉がつくと、その後に続く言葉の逆、即ち本心というものを残酷に伝えているような感がある。
”うわべだけの優しさ”はおそらく”うわべだけ”だなと相手に悟られた時点で、残酷にその冷たさを伝える手段になる。
”うわべだけの敬意”はおそらく”うわべだけ”だなと相手に悟られた時点で、残酷にその軽蔑(是が反対の言葉だっけか?)を伝える手段になる。
そんな感じだ。
僕はどうも物事をクリティカル(批判的)に見てしまう。
主張の穴を探すわけではないけど、そこにモレとダブりがないか、と何のためにそうしているのか、というのを見てしまう。
いや、見てしまう、というと見ることが悪いような感があるけどそうではない。
問題はその後だ。
それを指摘する。それで終わってしまうのだ。(指摘のSo what?のリードが弱い)
…建設的なコミュニケーションではない。
人の意見に依存しているからだろう。
僕は知っている。
自分の腹に落ちたロジックに従っているときの人の強さとそのリーダーシップの威力を(そして、腹に落ちてないロジックに従っている人の弱さと脆さも)。
必要なのは指摘したことに対しての答えが無いこと、答えが的外れであることを我慢しながら”うわべだけの”優しさで包み隠して自分の主張を相手に渡すことじゃない。
相手に伝わるまでコミュニケーションを続ける力と、そのコミュニケーションの結果に自分が責任を持つんだ、という責任感、そしてリーダーシップ(他への影響力)だろう。
歳なんか関係ないじゃない(^^)
それに今は人に依存して甘えてる時間は無い。