改めて人の優しさを知る

改めて人の優しさというものを知った。
今、チームを組織してプロジェクトに臨んでいる。メンバーも少々増え、チームとして形になってきている。ただ、正直プロジェクトのステータスは厳しく、予断を許さない日々が続いている。
そんな中でチームのマスタースケジュールを作成し、進捗を管理し、リスク・課題・ToDoを管理し、他のチームにディペンドする問題について歩調をあわせながら日々Taskも片付けていく。
メンバーへは断片的な指示しか出せない期間が続いていた。できるだけ頭を使ってもらいたいし、プロジェクトを楽しんで欲しい。プロジェクトを成功させることが大前提とは言え成長の材料として最大限活用して欲しい。そう思いながらもついつい一人で考え、時に悩み、部分的にタスクを任せる、もしくは目的と期限、そのために使って良いリソースやアドバイスを与えたまま進捗を見てあげられずに結果として丸投げになってしまう、といったことを繰り返していた。
そんな中で、今日は新メンバーが参画してきたため、全体を整理する意味も含めて、現在のプロジェクトのステータスとチームの全体進捗、抱えている課題・リスクを共有する時間を設けた。
詳しくは省略。
一通り共有し、中には一部メンバーで検討したことでより良いアクションプランが練られたものもあった。最後に、”他に各自のタスクの中で検討しておきたいことや、今後懸念されるリスクとか持ってるものがあったら共有しよう。”という話をした。
メンバーの一人が口を開いた。
「直接は関係ないのだけど、もっと自分達を使って欲しい。sagadさんには全体を見てもらって、作業は自分達に投げて欲しい。全体の方向性さえコントロールしてもらえれば自分達ももっと役に立てるはずだから。」
勿論考えていた。少々申し訳ないと思いながら僕は全体を見るためにもともとお客様だったり他のチームとの調整をして、タスクの方向性(Issueの特定と目次レベルの検討)を決定した上でメンバーへ仕事を振るように心がけながら、小さいタスクは自分で片付けるようにしていた(現実は既述の通りですが(^^;))。それを、もっとリーダーというかマネージャのロールへシフトしていいんですよ。僕達はこんなもんじゃない、まだまだやれるんですよ。とメンバーに教えてもらえたのだ。
嬉しさと情けなさの入り混じった感覚だ。
僕は厳しいマネージャが好きだった。中途半端な妥協や甘えを少しでも見せるようなマネージャは受け付けず文句(?)を言ってきた。ただ、文句(?)は言ってもそのロールを取って代わるほどのパワーは無かった。で、自分がマネージャの立場に立ったとき、メンバーに自分はどう映っているのか?自分の理想のマネージャとして映るように自分は振舞えていたのか?
わかってる。答えはNoだ。
中途半端な妥協こそ無くとも、確固たる信念やリーダーシップは行使してこなかった(持っているの??)
優先順位を思い出せ。
1. プロジェクトの成功
2. メンバーの成長の最大化
3. 自分の成長の最大化
だろ(^^)妥協や甘えなんて考えてる場合じゃないだろ!!ましてやメンバーの成長とか関係ないだろっ!!(ウェイトを占めるのは圧倒的に1)だってさ、自分が一番伸びるのって、あくまでお客様のObjectiveを見失わずに、がんがん進んでいくマネージャとプロジェクトを一緒にやったときじゃない!そういう時は彼(マネージャ)が自分の成長を考えてくれてるかくれてないかなんか関係なく、自分が勝手についていきたくて、必死で頑張って、結果として勝手に伸びていたじゃんっ!!
まどろっこしいことで悩んでないで、頭の芯/心の芯はシンプルに目的を捉えてでっかくはばたけよっ!!!!
と言いながら僕は改めて人の優しさを知った。
これで僕がしっかりと全体を見て、ベクトルを保った上でメンバーを引っ張り、各タスクはメンバーへ割り振って安心して作業に集中してもらう。で、僕はより全体最適を思考する。
小さいチームとは言え、相手(お客様)をハンドリングし、持てるリソース(メンバー)を適切に配分することが僕の仕事だ。
この好循環がwin-winの関係ってやつなのだろう。
同い年のメンバー、僕は彼から人格を教わった(^^)本当にありがたいことである。
頭の中に色々と、時に矛盾する考えも浮かんでくるけど、じっくり向き合って全てを統べて行きたいと思う。日々たくさんの刺激がある。ネガティブなものもポジティブなものも。どんな刺激を受けても人は反応を選択する権利と力を持っている。
”焦る””悩む”という反応をする前にスペースを置く。そこで適切な反応を選択する。焦ることが最善であるとき、悩むときが最善であるときは少ない(^^)