今日はいくつかのヤマを超えて緊張を緩めることができたのか、朝目が覚めると身体が重くて動かない。オフィスへ行く必要もなかったのでもう一度寝て、それから家で仕事をこなす。昼はハンバーガーを食べる。一昨日たちよった六本木のカフェのハンバーガーが驚くほど口に合わず、美味しいハンバーガー食べたい欲求があったので。
夜はプライベートで相談があって同僚と二人で食事。3時間程度色々と相談させてもらう。持つべきものは友達だと思いつつお世話になるだけでは申し訳ない。何か貢献できる自分でありたいなあと思いつつ帰途につく。
話は仕事もどるが今回のプロジェクトは自分にいくつかの決断を迫るものだったという解釈をしつつある。それだけでは意味が無いと思いつつ内側にいくつかの憤りを感じ、収められずにいる。明確に決断をして、もう後戻りせずに進んでいきたい。いかなくてはならない。
#あまりのハンバーガー食べたさに間に合わなかった写真
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プロジェクト大詰め
さて、今やっているプロジェクトもいよいよ大詰め。思い返すと色々なことがあったなあとしみじみ(まだ終わっていないのだが)。忙しさにかまけてホテルの予約をしておらず、その上何かの学会があったのかいざ予約しようとしたらほとんどの宿が満室で、結果これまでにとまったことのないようなとても古風で歴史を感じさせるホテルに泊まった夜もあった(チーム全員ホテル予約に苦労し
それぞれが今まで経験したことのない類のホテルへちりぢりになっていった)。
毎週のように通ったラーメンやさんもあった。あとちょっとしたらしばらく食べることもなくなるのかと思うと寂しい。観光らしいことは一度もできていない。行ったところと言えば、クライアントサイト、オフィス、ホテル、ラーメン屋(その他学んだオススメの美味しいお店)。あ、今日はコーヒーの美味しいお店を教えてもらったのだ(ラーメン屋さんもオススメのホテルも全部教えてもらっていた)。先達はあらまほしきことなり。
自分にとって新たな分野だったので大量のインプットをしてきた。それでも尚専門領域の知識に関してはクライアントの方々に遠く及ばない。心から尊敬する。ひとつの領域に長い年月を投下するというのはすごいことだと思う。
睡眠時間なんて意識するのも忘れるくらいの勢いで起きてる。
新幹線は油断をするとすぐに酔う。でも寝てる場合じゃないことがほとんどだ。
当たり前だけどプロジェクトのテーマは決して簡単なものじゃない。
チームメンバーは個性が強くて上手く活かす(自分を含めて)ための調整は苦労した。
それでも上手くすりあわないところもある。performすれば良いといくつかのこだわりは捨てた。
きっと多くのことを学んでいると思うが今は整理していない。時間をつくって振り返りたい。観光もしたい。そうだリフレッシュもしよう。
さて、あと一息。正念場だ。
相手を親友だと思えたらもっとうまくコミュニケーションができると思う
周りを見ていると、時折「あの人何言ってるのかわからない」、「話が噛みわない」、「話しあう気にもなれない」というようなことを聞くことがある。僕もプロジェクトで色々なバックグラウンドをもった、色々なキャラクターの方とチームを組んで動くが、やはりなかには何を言ってるのか分かりにくいと感じる人はいる。
ざっと思い返してみても
・話の前提を明確にせずにいきなり話しはじめる
・話の目的がない(どういうスタンスでどこまで話を聞けばいいのかわからない)
・話に構造がない(要素も順序も。主張をサポートしないパーツがいりみだれる)
・一貫性がない(その場の雰囲気で言うことがかわる)
・文法が複雑(最終的に何が言いたいのか濁る。主語がない、接続詞多すぎ、二重否定多すぎ等)
・感情が混ざってる(場面によるが、特にネガティブな感情はノイズ)
色々います(自分も常にわかりやすくはなせているわけではない)。
そういうときに話し手を批判する声は冒頭の通りで聞こえてくるのだけども、忘れてはいけないのは、”聞き手が話し手の話しやすさに影響を与えている”ということだ。
何言ってるんだこの人?
話噛みあわないな。。
早く終わってくれないかなこの話
という気持ちっていうのは自分が想像する以上に相手に簡単に伝わるものだと思う。そして、それを感じた、話し手は聞き手に対してネガティブな感情を持つ。こんなこともわからないのか?こいつら聞く気あるのか?等々
そんな感情面の変化は、話す・聞く行為にとても強く影響を与える。
例えば、聞き手は嫌味なほどロジックにこだわったりする。それに対して話し手は”そんな細かいレベルまで聞くなよ”と思いながら細かく応える。不要だと思って話しているのであらもでてくる。それを聴き手は揚げ足を取るようにつっこむ。その繰り返しで目的から離れていく。コミュニケーションは価値を薄めていく。
コミュニケーションだったり、その前提となる人間関係の構築だったりというのは研究がされている分野であるし、自己啓発本も相当数ある。リーダーシップ、コーチングといった分野でもコミュニケーションには確実に触れられているし、NLP等具体的な行動の解釈の仕方・活用の仕方にしたって情報はいくらでもとれる。そういった色々なテクニックというかtipsはあるのだけども、平たく言うと、相手を親友だと思って接すれば大半の問題は解決するのではないかと思う(リーダーシップは別かも)。
親友がなんかよくわからないことを話し始めたら、別にネガティブな感情を伴わずに”え?何の話それ?”、”いや、今その話するタイミングじゃないだろって(笑)”と言えたり、”なんでこいつこんなこと言い出したのかなあ”、”あー最近疲れてるし、頭まわってねんだなー。休む時間つくらないとなー”であるとか、とにかくネガティブな感情に走らないハンドリングを自然としているはずだ。
ネガティブな感情を持っているからこそ伝えにくくなってしまう率直なメッセージも、相手が自分が信頼している友達だと思えれば素直に話ができる。揚げ足をとりあうこともないだろうし、わかってねーなあと思いながら適当に話をすることもないだろう。
相手をそう思うかどうかは自分で選択ができることなので、相手に依存する必要はない(話が分かりにくい等、相手に依存している部分に不満を抱くのは精神衛生上も良くないし、解決も難しい)。
信頼できない親友っていうのはおそらくいないだろうし、親友として相手を見ることは自然と相手に自分はあなたを信頼しているという信号を送ることにもなる。そういう信頼をもって伝えられるメッセージを直感的にムカっと来たからといってネガティブに返したりする人は経験上少ない。
実際の中の良し悪しやこれまでのその人との歴史の浅さに関わらず、親友だと思うだけでコミュニケーションはとてもとりやすくなると思う。
仮説を持て。仮説を手放せ。
”メッセージって、調査の結果自然と浮かび上がってくるものだと思うんだよなあ”
というあるコンサルタントの言葉に違和感を覚える。そうではないだろうと。
メッセージは調査の前に自分の中にあるんだろう。それが実際にメッセージとして主張できるかいなかを検証するのが調査だろう。それが仮説検証というものだろう。時間含めてリソース度返しで考えたら、調査だけなら誰でもできる、そしてそれなりに筋のいいメッセージを紡ぎ出せるだろう。
持っている仮説と、それを検証する精度とスピードこそが価値ではなかったか(勿論テーマによるのだが)。
それをメッセージは調査の結果自然に浮かび上がってくるといいながら、ただひたすら情報を集めてメッセージがでないとぼやくのはただの怠慢だろう。能力不足だろう。メンタリティからしてもケイパビリティからしてもコンサルタントではないだろう。
恥を知れ。
でと。
一方で仮説を検証するとなったときに調査して得られるいくつもの情報について、その1つの仮説の検証という目的のみで眺め、そうでなければ捨ててしまうというのもまた違う。仮説検証の過程で、それに使えなかった情報も含めて、自分の中に蓄積した情報は、新たな仮説の筋を良くするための材料になる。
勿論仮説検証に絞ってひたすら情報を切り捨てていっても、切り捨てた情報であっても頭の中にはある程度残ってしまうものだし、ある日突然新たな仮説の発露を促すものになっているのだと思うが。
仮説は立てる(その仮説が検証されたとしたときのメッセージに価値がなければ仮説を見直す必要がある。検証する価値があるのかと。)、でも情報に触れるときのアンテナはその検証のみに絞り込まない。
このスタンスで情報に触れるのが良いと思うし、実際にそうしている人が多いのではないだろうか。思考法によらず、限られた時間・リソースの中で結果をだすことさえできればまずはよしだと思うが。
予期せぬランチ
早速ほぼ寝ずにGWを明けた。AMにクライアントとのミーティングを済ませてオフィスへ。外でゆっくりランチでもと思って、この地方に詳しい先輩コンサルタントの方にちらっとオススメのお店を聞いてそこへ向かう。
入ってみてびっくり、本格的なイタリアン。
ゆっくりしたいしいいかと思ってメニューを見ると本格的なコースメニュー。
まあそれさえいいかということでコースのピザとパスタを注文して待つ。
周りはまだGWのようでキレイな格好をされた方々があっという間に席を埋めていく(お昼どきだった)
そんな中カウンターに並ぶ徹夜明けのスーツの男子ふたり。
会話もそこそこに料理を前にする。
同じ事を考えていたのだろうか。
せっかくだから写真をとろうと。
携帯でアングルをみてシャッターを切る。
食べる。
次の料理が運ばれる。
シャッターを切る。
食べる。
・・・
そんな自分たちを心のなかで笑いながら仕事に戻った。それにしても美味しかった。