見た目美しい資料をつくれる人は多くみかけるのだけど、目的を考えずに資料を美しくする(それなりに手間をかけて)人も結構いるように感じる。それは非効率だ。そこに時間を投入しているという意味で。そして効果的とも言えない。クライアントとディスカッションをするためのペーパーであった場合ならディスカッションの幅を規定する枠になってしまうという意味で。
例えば、クライアントを理解しよう、お互いに知っている知識・考えている仮説をまずテーブルに並べてその筋の良し悪しをディスカッションしてみよう、と言うときに、コンサルタントが持ってきた資料が100%コンサルタントの主張する仮説をサポートするものであり、質はそこそこ、そしてそこそこロジックも担保されており、そして美しく図表が配置されてつくり切られていたとする。
その資料のクライアントへのメッセージは、”中途半端なロジックでものをいうな、この主張が正しいのだから受容れろ”となってしまうことが多い。資料がディスカッションを拒絶している上、説得までしようとしているように映る。
そう感じてクライアントは不快になる、そしてそこそこの質やロジックで言われても納得はできない。彼らは私達を理解する気がないのだな、且つその程度の主張を押し付けるのか、となる。でも資料を基に話をする(コンサルタントはそのつもりなので)、自然と資料のあら探しになる。俗にいうレビューモードのミーティングになる。
指摘事項をコンサルタントが直して持っていってまた自分達の主張を繰り広げようものならそのプロジェクトはむずかしいものになる。
仮説があるのは良い、それを主張するだけの裏づけを持てているのも良い。ただそれを全て資料に書ききってプレゼンしていてはディスカッションにならない、クライアントと一体になって頭で理解し、心で納得するようなものはできあがらない。
極論すれば論点と、その論点の理由を示す資料が1-2枚あればいい。仮説やらそれを支える情報やらは必要に応じて言えばいい、見せればいい。キレイにまとめられている必要は一切ない(かといって数字の羅列とかレポートの切り抜きの束とかではつらいが)。後はPCででもホワイトボードでもに書きながらディスカッションを進めればいい。
答えを期待していないときに無理やり答えとおぼしきものを持ってこられて、しかも最初から最後まで一方的に主張されるというのはおそらくとても居心地の悪いものだと思う。逆に答えを期待しているときに、答えを導き出すための論点の説明をされてもまたおかしなことになるだろうと思うが。
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名古屋より初めてコメントします。
SAGADは読書量がすごいので驚きです。
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一瞬わからなかったけどすぐわかったよ(^^)お疲れ様。いつの間にか本読むようになってたなあ。大学の頃は縁遠い存在だったのにね(笑
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きっちり、ファクトにもとづく資料が作れているのなら、いいのではないですか?それが中途半端なものだから問題なわけで。
論点は中途半端な資料しかできないのに、デコレーションするなではないでしょうか?
コンサルであるならば、非の打ち所のない緻密な論理からなる資料をつくるべきだし、きれいな論理のものを作れなくては価値がないです。
だとすれば、ファクトと仮説で素晴らしいものがつくれるなら、それでいいではないですか。
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うっちゃんさん、
”論点は中途半端な資料しかできないのに、デコレーションするな”そのとおり、そうなんですよー(^^)
”きっちり、ファクトにもとづく資料が作れているのならいい”、”きれいな論理のものを作れなくては価値がない”、”ファクトと仮説で素晴らしいものがつくれるなら、それでいい”、こちらはちょっと難しいですね。クライアントであり、目的でありによります。
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まったく同感です。
論理は美しくしようとすると閉じてしまう。
開いた生き物である戦略、事業、打ち合わせ、人間に対して
”完成品”で向かおうとすると通じ合えないものですよね。
まあ大企業内のコミュニケーション用や権威づけにはきれいなパッケージが”役立つ”こともあるのですが。
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Kさん、
そうなのですよね(^^)思わず頷きながら拝読致しました。ありがとうございます。
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完成品があってはじめて議論が始まると思うのですが。
コンサルとして、突っ込みどころを意識的に用意するというのは、間違っていると思います。
心が通じ合うとか通じ合わないという話は、コンサル以前のコミュニケーションの話であって、議論の場では、1回1回が真剣勝負というのが戦略コンサルだと思いますが。権威付け云々の話ではないと思いますよ。
完成品をつくらないのだというのは、作れない方の逃げの弁のように感じてしまいました。
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うっちゃんさん、コメントありがとうございます(^^)
1回1回が真剣勝負、そのとおりだと思います。
自分の中で仮の答え(仮説)を持っておくのは大事です。それを資料としてつくりこみすぎてしまう(完成品として仕上げてしまう)と、相手は、仮の答えなのに正解を押し付けられたように解釈するケースがあるのです。
こうしてすれ違ってしまうと、なかなか真剣勝負ができないことがあるのです。本筋と違うところで議論を呼んでしまったりして。
うっちゃんさんが言われているとおり”心が通じ合う合わないは、コンサル以前のコミュニケーションの話”なので、コミュニケーションがとれずしてどうやって真剣勝負(これもコミュニケーション)ができるのかという話ですね(^^)
権威付けは、コミュニケーションの手段です。例えば形式を重んじる文化の企業であれば、戦略を実行する際には、ルーズリーフにボールペンで殴り書きになっている戦略よりも、パワーポイントでキレイに体裁の整えられた戦略を説明された方が真剣に解釈されるんだろうと思います(例えべたで済みません。。)。
#自分で書いていてですが、ボールペンで殴り書きにされた戦略って妙にリアリティありそうですね(笑)
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sagadさん
丁寧な回答ありがとうございました。
ただ、私としては、それは、とことん作りこんだものを、さも正解、これ以外なしという姿勢で説明することに問題があるのであり、とことん作りこむことを、完成品を作りすぎるということだと考えるのは、間違いではないあなと思っています。すみません。
おっしゃるように、完成品で、問答無用という姿勢では誰もついていきません、しかし、その内容をとことんつくって、自分たちのベストのものをもってきている、更にこの場で、更なる高みに持っていこう。
そういうような姿勢でいるものですから、完成品を作り上げないという姿勢に疑問に感じてしまったまでです。それは、完成品を作れない人がいう逃げの発言として、よくきくので。作ることは難しいですから、作り上げられないことを恥じることはなく、鍛錬すればいいだけのこと、そこで、ある意味安易に妥協して、完成品は作らない方がいいのだというのは、私には受け付けられないなと思った次第です。
作ったものを絶対と信じて、クライアントの意見を真摯に聞かないのは論外ですが、完成品を作りこまないのは怠慢な感じをもっています。
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うっちゃんさん、↓この考え間違いではないと思いますよ(^^)
”とことん作りこんだものを、さも正解、これ以外なしという姿勢で説明することに問題があるのであり、とことん作りこむことを、完成品を作りすぎるということだと考えるのは、間違いではない”
こういったマインドは同じで、それを体現する手段に関して議論しているんだと思います。これは妥協でも言い訳でもはないんですよ。資料をつくりこまないだけで、仮説は常に持っている必要があるのですから。
私もうっちゃんさんもそれぞれの経験に基づいて話をしていると思います。なので思い浮かべているシーン等異なる部分もあるのだと思います。そういうのを文字だけでキチンと伝えて共有して話すって難しいですね(^^)楽しくもありますが。
是非今後もうっちゃんさんのお考え、お聞かせくださいね。自分を振り返るきっかけにもなりますしとてもためになるのです。よろしくお願い致しますm(_ _)m
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ここでも丁寧に議論されていてさすがだなあと思います。。
逃げずに価値を追求するというのが共通認識だとして、
気になったのは
・”完成”というものが高付加価値の仕事において成立するかどうか?
あるべき姿があって、そこへ近づいていくというタイプの仕事は
戦略コンサルではあまりないのでは?
・価値や完成度を意識する対象として、資料にどこまで重点を置くか。
コンサルの目的はあくまで企業の価値向上であり、
そのための戦略の質の向上、議論の質の向上、理解の向上、とあって、
それをサポートするための資料、という位置づけな気がします。
そいういう構造のなかで、資料へのこだわりが
コンサルの貢献価値を損なってしまっていることはけっこうあるように思います。
(ただ、上記構造の中の末端モジュールを担うアナリストとしては
資料レイヤーでの最適化を認識するのが効率的な場合もありますね)
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と、思う一方で、最高な資料、がどんなものなのか、 と考えてみたくもなりました。
てにをはが完璧なお役所的資料なのか、
高級シンクタンクの分厚いレポートなのか、
広告的な心をゆさぶるビジュアルなのか
またはクリティカルな論点だけが示された一枚紙なのか。
各ファーム内でベストプラクティスの資料など共有されているものでしょうか。 某ファームでは ”最高のプロジェクト”の報告書は3枚以内、と教えられていました。 良い戦略はシンプルなものだし、資料として残さなくてもすでに動き始めている、と。 なるほど、と思うこところです。
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Kさん、コメントありがとうございます(^^)Kさんがわかりやすく書いていただいた論点、自分の経験からこたえてみたいと思います。
あるべき姿があって、そこへ近づいていくというタイプの仕事は戦略コンサルの中でも結構あるんですよ。戦略を描いたり企業を統合したりの後にやることがこれです。”完成”の定義が難しいんですよね、目的を達成できるものならその時点で完成なのですが。
価値や完成度を意識する対象としての資料、これほんっとKさんの言うとおりだと思います。
そして最高な資料について。これ最終的に資料自体が存在しなくなるのではないかと思いました。Kさんにいただいた某ファームの話からしても、最高の資料とは紙やファイルといった何らかの形式にならず、既に人の頭と心の中に明確に刻み込まれて動き始めているものだから。即ち資料は不要と。
少し言葉遊びのように感じもしましたが実際に若手コンサルタントがロジックを組み立ててリサーチをかけて資料をつくってプレゼンしてその後にクライアントが辿り着くような状態に、パートナーは対面の会話で引っ張りあげてしまったりすることもありますしね。
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もうディスカッションはクローズしたっぽいけど、これを読んで思い出したよ – McKinsey出身のProfessorが言っていた一言。
「最高のプレゼンテーションとはどうあるべきかって?前日までに100ページの資料が完璧に出来上がっているが、当日はそれらを一切使わずに終わる状態だ。」
弊社でそれをやるのは難しいけど、そうありたいものだね。
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ジョージさん、コメントありがとうございます(^^)良い言葉ですね。
かくありたいですね。