気がつけば舞台に

新しいプロジェクトが始まろうとしている。
参画を依頼されてインターナルの最初のミーティングにでる。
ミーティングが終わる。すると自分が提案書作成リードになっている。
提案書を書いてみる。すると自分が提案に行くことになっている。プロジェクトの計画も自分。
実質全部自分でやることになりそうな気配。
やるならやる。
今回のプロジェクトはステークホルダーが多い。
頭の中でマッピングしながら聞く・話す。
相手によって期待値が違う。プロジェクトに対する温度も違う。
私に対する接し方も違う。それはそうだ。私のマッピングも彼らそれぞれによって違うだろうから。
とても丁寧に接して情報を提供してくれる人もいる。
明確に自分の守備範囲を守ろうとする人もいる。
自分のやり方でつきすすもうとする人もいる。
どの角度から見るか、どこからどういうライトをあてるかで私のイメージは異なっていたりする。
なるほどこういうときにこそステークホルダーマネジメントなのか。なんてしみじみ思ったりする。
気が付けば舞台に立っていることがあり、
気が付けば様々な角度からライトをあてられていたりする。
それでもその舞台で踊るかどうか。踊るならどう踊るか。ライトを避けるかどうか。あたるならどう映り込むか。
それは自分で選択することだ。
自分らしく行きたい。
#こうしてたとえて考えると、舞台監督になることが想像しにくい。例えが下手だったかな。

解釈の土台

2008.3.31号の日経ビジネスの中で、ダイドーリミテッド会長の羽鳥嘉彌氏は語っている。

アンドレ・ジッドの小説にあるような「狭き門」を突破できた企業だけが残っていく。(中略)では、どう突破すればいいのか。ヤマ勘ではいけないわけです。自分たちにやがて降りかかってくる環境の変化を自分で読み取らなければいけない。それには歴史の認識しかないように思うんです。過去の延長線上に将来というものが見えてくるわけですから、未来を読み取るためには、過去に対する深い認識がないといけない。

ダイドーリミテッドは創業130年、自分たちの居場所を変えながらここまできた。成功体験が少ないが故に、環境の変化に割合適応して、己を変えてこられたと氏は言っている。

この内容がとても印象深かった。簡単に言ってしまえば”歴史を理解することは大事だ”と。

こう言ってしまうとあまりに当たり前に聞こえてしまうのだがこれはとても大切だ。

歴史のように、事実であり、人間模様もありありと描かれており、(当たり前だが)非常に長い期間にわたって描かれているものを理解し自分の頭の中に持っておくことは、人の話であり文章でありをインプットする時の解釈を助けると思うからだ。

コンサルタントは論理的に物事を考えられる人だ(程度の差こそあれ)。マナーの一部のように論理的に考えることを身につける。(・・・このブログは論理的ではないが(^^;))

だからたいていの人は自分が知らない分野でも論理的に質問を考え出すことができる(考えることができることと相手が答えやすいように、必要な情報が得られるように実際に問いかけるのができることの間には大きな大きな隔たりがある)。

でも一方で、(特にエントリーレベルのコンサルタントを見ていると)人の話を解釈できない人が多いように感じる。論理構造にのっとって整理はできても、論理の矛盾や足りない情報を見つけることができても、1つ1つの話の奥にある相手のメッセージでありそのメッセージを発する理由を見出すことができないのだ。

文章で言うなら行間が読めないというのだろうか。(そもそも行間を読む必要がある文章が悪いと考えもあるのかもしれないが良い悪いと事実どうあるかは別だ。そして良し悪しはケースバイケースだ。)

そういった解釈できないという現象の裏には、経験であり教養でありの不足があるのではないかとふと思ったわけだ。

でその教養の中で歴史を理解するということは大きいと。

歴史をはじめ、人としての教養をそなえるための自分磨きもしていきたいと思う。

記念すべき

最近行っているオフィスは、家から歩いて30分。電車でも30分程度かかる。
なので晴れた日や気候が穏やかな日(春・秋)はよく歩いてオフィスへ向かう。
そうでない日も勿論歩くこともある。家で仕事をする時もある。他のオフィスにいることも多い。
そんな中で、たまにタクシーを使うときがある。
そして今日は”たま”だった。
朝は雨がちらついていたけど、夜には晴れるという天気予報を信じて傘は持たず。いつものように道路脇に立って、タクシーを見据えて軽く手を挙げる。
ハザードランプをたいてタクシーが目の前にとまる。
乗ってみると”おはようございます!”という大きく元気な声。見てみるとそこには満面の笑み。ドライバーは若い人だった。
行き先を告げる。
”すみません!分からないのでお教えいただけますか?”
”・・・何分今日が初めてでして、お客様が初めて乗っていただくお客様なのです。”
信じていい雰囲気(直感任せ)だったので信じる。
びっくり。意図せずして(意図してできるものではないが)その人のタクシー運転手人生の乗客第1号になってしまったわけだ。
歳が(おそらく)同じくらいだったので、前にどんな仕事をしていたのか、なんでタクシー運転手になろうと思ったのか等会話が弾む。
”よかったですー。最初に乗せたのがお客様みたいな方で。怖い人や難しい人だったらどうしようかと思って怖かったんですよー。”
自分が簡単な人(ってなんだ?)と映っているのかと思いつつ、確かにタクシー運転手というのは、最近事件が多くてニュースに取り上げられているように、リスクの高い仕事だと思うので、まあ怖かったり難しくない自分は良い客なのだろうと理解する(遠距離で使うことがあまり無いのでその点悪い客だが)。
(自分が)間違えなくナビし、無事オフィスに着く。
”これからも頑張ってくださいね(^^)”
と素直な気持ちを伝えてオフィスへ向かった。
4月には社会人に初めてなる人々が僕ら集団の中に入ってくる。彼らも当たり前ながら日々初めての経験をする。何にしても素晴らしい可能性を秘めた、優秀な人々だ。
学生時代の経験や、自覚し始めた自分ならではの強み/アドバンテージを過剰に意識することなく、日々の経験から素直に学んで欲しいと思う。”無私”とまでは自分の中で言い切れないが、そうしたスタンスを取っている中でも自分の価値観、意志、ストラテジック・インテントといったものは滲みでてくる。スタンスにその方向性が相まって、素晴らしい関係が構築される。相手を信頼し、自分に対しても素直に、そして謙虚に学び、尽くす姿勢はいかなるロジックよりも人の感情に訴えるものになる(結果として)。
そして色々といっている自分も、毎日の中に散りばめられている初めての何かをしっかり自覚し、どこかに新鮮さを持ち続けていたいものだと思う。
素直さと謙虚さ、相手への思いやりも。

それぞれのその後

今日は以前のマネージャの送別会ということで久しぶりの面々で集まる。
会社を移った人もいれば、社内でポジションを上げている人もいる。
もともと同じチームに属していた人間がこうしてそれぞれステージを変えて活躍していることを考えるとなんとも感慨深い。
転職をすることでこれまで触れたことの無い文化や風土に触れる人の話を聴いていると自然と自分も何をやりたいのか考える。
転職するにしてもしないにしてもその組織に属すという選択を日々自分が行っているということを忘れずにいたい。そしてその選択の判断基準が、昨日もいたから、などというものではなくありたい。
自分らしく生きたいと思う。

もっともっと

今日はとても楽しくて嬉しい経験をした。
機会をくださった方々にも、今日お会いした方にも心から感謝したく思う。
これからも経験の幅を広げていきたい。
どんな学習よりも実体験が勝る。
実感。
”相手に対しての”自分の価値、こだわっていきたい。
けれどまずは感謝(^^)