日常に魂を宿せ

特定のエンゲージメントにどっぷり浸かっていない最近は、どっぷり浸かっているときとはまた違う負荷がかかる。簡単に言うとひとつのエンゲージメントより粒の小さい、独立したタスクを複数並行して行う。
そんな中で感じるのが、そういう日常の中でも自分の魂を磨き続けること、そしてそれを小粒でもそれぞれのタスクに宿して遂行するということ。
そうしていかないと”自分”がそのタスクをやる意義が薄れてしまう。必要最低限の価値を付加できたとしても、自分だからこそという付加価値はなくなってしまう。それぞれのタスクを小さくこなしてしまうだけにとどまっては自分の中で積み上げられるものもまた小さくなってしまう。
魂という言葉をつかうと仰々しく感じられなくもないが、仕事にそれがこもっているかこもっていないかという話は、ロジック云々とは別の次元で大切になってくる。勿論アツければいい・心がこもっていればいい・やる気があればいいというのともまた違う。
自分としてのその先にある世界をどう描くかという話と、そこに対するコミットメント(目の前のタスクに必要とされるアウトプットへだけのコミットメントではなく)をもって目の前の事にあたるという点だろうか。そこでロジックが必要であるならそのレベルまで徹底的にロジックをつめるという話。
書いてみると当たり前だよなと思えるのだけど、エンゲージメントに比べて粒の小さいタスクを多数並行で進めていくとき、ついそれぞれに求められているアウトプットのラインを考えてそこを満たせばいいだろうと考えて片付けていこうとしてしまうので。個人的な反省を込めて。
誰にでも、どんな仕事にでもいえると思うが、せっかくの自分なのだし。どのようなことであれ、反応を選択するのは自分の責任なのだし。

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