収まりきらない位が面白い

一緒に仕事をしているパートナーが面白い。
勿論常にクライアントの期待値を超える価値を出し続けている(パートナーとしてのパフォーマンスは果たしている)のだけど、それだけにとどまらない。
なんだろう、コンサルタントとか、パートナーっていうより、”その人”っていう感じなのだ。
パートナーに必要な能力が整理されているとして、それを過不足なく満たしてるというわけではなくて、なんだかんだで満たしてる上、その整理された枠に収まりきらない部分がいっぱいある。で、それが面白い。それがその人らしい。
組織で人を評価・育成するときに、スキルセットのカテゴリやレベルを定義することはよくあるのだと思う。そうすると評価しやすいし育成しやすい(組織の意図を含めて)。ただ、それが行き過ぎるとその基準を満たすインセンティブが強くはたらいて、逆にそこに定義されていない能力を発揮するインセンティブが失われる。若いうちからその枠組みの中で育つと定義されていない(評価されない)能力を感じ、学習するレセプターさえ育たない。
枠組みを満たすために過不足なく成長しようとするよりも、自分らしさを理解して、結果として満たす、収まりきらない部分も楽しんで伸ばす。
そうしたほうがおそらく魅力的な存在になれる。上記のような枠組みが仕組みとして成熟すればするほどに。
そんな気がする。(その仕組みにこめられた意図や価値をキチンと理解せずに放り投げてしまうのは違うが)
キャリアにも同じことが言えると思う。

「収まりきらない位が面白い」への2件のフィードバック

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    マニュアル化の目的は、マニュアルには収まらない領域をあぶりだして、
    「そっから先は、その都度自分の頭と身体で考える」という覚悟をきめる
    ことにあると思うのですが、それに通じる気がします。

    評価の枠組みを定める目的は、そこに適応する人を育てるのではなく、
    むしろ「はみ出るんだけど、なんか大事だよな。あいつの存在感。」を
    見つけるためにあるんだと。

    ぼくは、この「今すぐは必要じゃないけれど、もしかしたら必要になるかも
    しれない。だけど、わからない。」領域を“愛すべきムダ”と呼んでいます。
    愛すべきムダを大事に扱える人、集団は強い。

    人が人になったのは、その時の環境に適応したからではなく、その時の
    環境には意味がなさそうなムダを保有してきらから。と生物学の何の本
    で読んだことがあります。

  2. SECRET: 0
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    直人さん、コメントありがとうございます(^^)
    >マニュアル化の目的は、マニュアルには収まらない領域をあぶりだして、「そっから先は、その都度自分の頭と身体で考える」という覚悟をきめることにある

    収まらない領域まで意図をめぐらせることができると、この考えを共有して動ける集団って良いと思います(愛すべきムダを大事に扱える集団でしょうか)。

    人についての考え方も面白いです。
    結果として環境に適応できたから人がヒトとして生きているのだと思いますが、環境変化の速度に適応する速度が追いつかなくなった場合に、変化Aに対してムダだった(適応しきれずに残っていた)ものが変化Bへの適応で必要になったとか、あるのかもしれないですね。

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