過去に手がけたプロジェクトでケーススタディをやる。
与えられたケースでの勉強は過去に何度となくやっているが、自分でケースをつくってファシリテートするのは初めて。やはりその場にいる人全員がやってよかったと思えるものにしたい。自分がケーススタディをしていたときの楽しさや価値の大きさというものは体に染み込んでいるし、やるならそれを超えるものにしたいと思う。
それが楽しくも難しい。特にディスカッションの前の準備の段階で気づきが多い。
自分の意図が及ぶ範囲内にスタディの場をおさめてしまうのは避けたい。
学びのポイントは与えられるのではなく参加者が自ら見出せるようにしたい。
N:1のやりとりではなくN:Nのやり取りを盛り上げたい。
ケーススタディなんだから細かいところでスタックせずにオープンにディスカッションしたい。
参加者の成熟度に関する話もあるがそれはそれ。
スタディのアウトプットの質ではなく、その学びの過程の質にこそこだわりたい。
学ぶだけが目的ではないが、こうして学ぶ/学びの場をつくるというのは本当に楽しいし嬉しいのだ。
そのチーム、その参加者だからこそ学べるものがある、参加する誰ひとりをなくしてもこの学びは得られなかった、そう思える場にしたい。それぞれが違う色をもった人間である以上、できるはずだ。(ひとりではできないけども)

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KY
今日はクライアント10数名の方を相手にプレゼンテーション&ディスカッション。
結論から言うと、改善の余地だらけ。余地しかないんじゃないかっていう。最大のポイントはクライアントのおかれている状況・彼らの今日に向けた心情を把握し切れていない状態で臨んでしまったことだ。その上、論理・ファクトでかっちりと裏付けたメッセージではなく、新たに興りつつある常識を”語る”形式でのプレゼンテーションを準備いていた(要はPyramid Structure云々を崩したImpact重視のストーリーだった)。しかもその準備は完璧な状態ではなかった。
クイックにお客様の認識を確認して、GAPの大きいところについて簡単にディスカッションをしながら進めていく。時間を少し余して終えて、最後に全体を振り返ってディスカッションする時間をつくる。ディスカッションのポイントもいくつかでてきたし、それなりに盛り上がる部分もあったのだけど、何かが違う。何かずれてる。何かぎこちない。何かこう”響く”ポイントを打てていない。
その後の会食・懇親会の中でようやくわかった。彼らがどのような立場におかれていたのか、どのようなものを背負ってあの場に座っていたのか、どんな気持ちを抱きながらプレゼンテーションの内容を聞いていたのか。
”オーディエンスは誰か?”
そんな、プレゼンテーションの基本の基本の問いかけに躓いている自分を自覚して驚いた。いくつかの言い訳は考えらえるがそれはそれ。
失敗は誰にでもある。でも、していい失敗としてはいけない失敗がある。今回得たものは大きい。自分の心にも深くささったのだし。でもしてはいけない失敗だ。
いろいろな制約条件があるにせよ、その中で、全てにおいてベストを尽くした上での失敗でなかったらしてはいけない。後で言い訳が思い浮かぶような失敗はしてはいけない。
いくつかの感情が自分の中にある。それらを感情のまま風化させること無く、腐らせてしまうことなく、行動に変えていきたい。結果につなげていきたい。自分の価値はクライアントであり誰であり周りが決めるということは忘れずに(独りよがりで勝手に反省して、勝手に学んで、勝手に成長した気になって、勝手に満足するなんていうのは論外なので)。

学びの深さ
先日当Blogで紹介したINVENIO Leadership Insightの記事より。
https://leadershipinsight.jp/member/2008/10/post_128.html
INVENIO 取締役 エデューサーの高井さんは学びを深める要素として以下の3つを上げられている。
深い課題認識
ものごとを抽象化して捉える力
柔軟な世界観
なるほどなるほどと思いながら読んだ。中でも大切だと感じるのは柔軟な世界観だ。
深い課題認識は、文字通り学びを深くするが同時に広がりを抑える可能性がある。
ものごとを抽象化して捉える力は学んだ内容を使いやすく整理・理解することができるが同時に学びを浅くしてしまう可能性がある。
上記の可能性を抑えるという意味でも、柔軟な世界観を持つということが求められると思う。
深い課題認識を持って学びに臨み、Focusするべき場所の誤り、ピントのずれがあったときにすぐに自分の認識を改められるか。そもそもその違いを認識するために自分の世界観に対しても疑いの目を向けられているかどうか。(自分の持っている課題を解決するより大きな学びを得られる可能性だってある)
ものごとを抽象化とは上位概念を持っているからこそできる。その上位概念のフレーム自体が間違っていたら誤った解釈で終わってしまう。その抽象化の仕方に対しても意図を張り巡らせているか。(もし抽象化して、要はこうだろ、と一般論で片付けてしまっては深い学びには結びつかない)
柔軟な世界観、素直さや謙虚さに結びつくのではないかと思う。
なんとなくイケてないときに
自分が”なんとなく”イケてないと感じるときに人に相談する、問いかけてもらうっていうのは大切なという話。
ここのところ、なんとなく自分のパフォーマンスが良くないなと思っていた。この”なんとなく”が曲者。”なんとなく”を”なんとなく”ひきずってしまい、そうしていることでさえも”なんとなく”良くないな、とまでしか踏み込めないところが曲者たる所以だと解釈している。解決に向けた一歩が踏み出せない状態だ。何を解決するのか?(問題なのか?)というところの整理も含めて。
そんなとき、そのまま誰かに聞いてみる。
”オレ、なんか最近イケてないと思うんだけど、どう映ってる?”
当たり前ながら返ってくる。
”えっ?何が?”
”何で?”
これ。このほんの一言二言でようやく頭がまわりはじめる。
”なんとなく”ネガティブな感情をいだいた状態が続くと、ネガティブな事柄を選択してセンスするようになる。その悪循環を繰り返すと自分の、自分に対する信頼性が下がる。
すると、そんな自分が”何で?””何が?”と自分に問いかけることにさえもネガティブな感覚が着いてまわる。なんとなく。自分の中で客観的に問いかけて自分を理解する像をうまくつくれなくなる。
つくれない自分がまた”なんとなく”イケてなく感じる。また循環。
そんなこんなも、人から聞かれればすっと頭も回り始める。そりゃあそうだ、わからないよな。ところで何でだっけ?と。
それを話していけば相手は理解してくれる、質問してくれる、意見をくれる。相手にとって自分がどう移っているのか率直に教えてくれる。
自分の頭の中が整理される。素直に人に相談する価値を感じられる。相手の存在のありがたみを再認識する。自分が人に相談されたときに相手をどう理解して、どう接することが良いのか学ぶ。
フィードバックから人(相手)に自分がどう認識されてるのかを認識する。
他人の目を気にするわけではないけど(いや多少気にするけど)、他人に自分がどう映っているのかを一番良く知っているのは他人だと思うし。そして自分で自分の良し悪しがみえなくなったときには他人にそれを聞いてみるというのは有効だと思ったわけだ。
#そして何より、こうやってコミュニケーションできる仲間って言うのは大切にしたいな、ありがたいな、と思った。
自分をupdateする。
先週は社内で勉強会があった。採用されたケースは自分が参画していたプロジェクト。事前にIssueとして何を切り出すか、当時どういった情報から何を考えたのか、その結果どうなったのかをまとめておく。生きたケーススタディをしたいなと。
資料を事前に共有して、スタート。
資料にレビューが入る。そもそも論から前に進めない。
Issueを設定しているはずだ。背景の情報を説明しているはずだ。
資料のレビューはIssueに答えるのに必要なのか?Issueにこたえるのにそもそも論が必要なのか?Issueを明確にして、それに対して論理的に答えをつむぎだしていくというのはロジカルシンキングの基礎というか基本的なルールではなかったか。そしてロジカルシンキングはコンサルタントにおける最低限の”しつけ”のようなものではなかったか(そのしつけを常に守るのか、破るのかは勿論判断があるが)。
電話会議での参加だし、遅れてしまったし背景が読めていなかった。意図が読めていなかった。
会議に参加するのに意図や背景を理解しておくのはビジネスパーソンの基本ではなかったか。背景が読めていなかったのならそこに問いをかけて明確にしていくのではないのか?”わからないけど”と枕言葉をつければ何でも言ってよいのか? So what !?
もっとうまいやり方ってあるよなあ。。。反省し学んだ。
そして面白かったのが自分の暗黙の期待に気付けたことだ。
自分は、基本的に人に過度な期待をしない(というと誤解があるかもしれないが極論するとそう)し、事実は事実として受け入れて、その上でどうしようかと考える人間だと思っていた(これについては良し悪しある)。
ところが、上記のように”こうあるべきだろう?”という前提というか周りへの期待を持っていることに今回気がついた。ロジカルシンキングってこういうものだろう?コンサルタントってこういうものだろう?と。
ああ、自分も自覚なく人に期待しているところがあるんだなー。
自分が準備にかけた労力のぶんだけ、勝手にゴールへの期待を膨らませてしまったのだなー(期待を膨らませるだけでは×、それを実現する方法を考えるという行動に転化しないと)。
そんな気づきが新鮮だった。
そして、そうこう考えても、上にあげたような振る舞いをされた方も素晴らしいコンサルタントの方であることに違いはない。
考え方をちょっと変えれば、自分にはない素晴らしい”何か”をたくさん持っている、学ばせてもらえる部分が大いにある方だと解釈できるのだ。
自分の想定と現実が違うときに、現実を責める/現実を悲しむだけに終始するのはナンセンスだ。現実こそが事実なのだし。変えたいならそのための行動へ。
解釈を新たに加えて、自分をUpdateしていきたい。
