イメージは明確に

最初は立ち位置とかキャラクターの切り替えっていうのをうまくやっていかないとなと思っていたのだけど、とどのつまりゴールのイメージがどれだけ明確にできているかだなというところに落ち着いた。
次の仕事もステークホルダーが多く、立ち回り方が難しいと感じていた。自分がリードしていい部分と、他の方がリードするようにコントロールする部分との切り分けだったり、そのコントロールのための動きだったり。
なのだけど、ゴールのイメージが明確になっていたら、そういうのいちいち考える必要なくなるんじゃなかろうかと思った。プロジェクトが終わったとき、その後ビジネスがかたちになったときに誰が何をしているのか。ビジネスモデルに名前と顔を入れてみる。そしてその中で自分は何をしているのか/いないのか。
そういうことを具体的に考えていったら、むしろ切り替えが難しい云々ではなく、自分が動いたらいけないところ、ここはあなたがやらないといけないんだと判断できるところがいくつか思い浮かんでくる。そのイメージに重なるために誰にはどういうことを理解しておいてもらう必要がある、リレーションを密にしてもらう必要がある等々。そしてそのイメージに期限が入ると、この必要性もいつまでに、という期限が入ってくる。
とはいえ現状のステークホルダーを理解するまではやはり手探りの部分もある。
具体的にゴールイメージをupdateしていきながら、現状を丁寧に理解していきたい。

誰の目的か

今日のあるミーティング。資料を用意して臨む。過去の経緯を確認しながら話しに入っていく。
何かが違う。
相手の関心が、事前に聞いていた内容と違う。
直接話をするのは始めて。初対面。人伝いで状況を想定して仮説を立てて臨んだ。
そもそも聞いた人が解釈を間違えていたのか。
自分が聞き間違えたのか。
使う語彙に込める意味合い、ニュアンスに込める意味合いが異なっていたのか。
期待値が違うのだ。
どうミーティングを組み立てるか。
どうゴールにたどり着くか。
頭の中でいくつかの考えをめぐらせながらプレゼンを進める。質疑に答える。
チームで臨んでいたのでいろいろサポートしあいなが、ほぼゴールにたどり着いた状態でクロージング。
仕事を引き継ぐときに明確にしておくべきことだったり、
用意するべき資料・シナリオの幅だったり、
具体的なコミュニケーションの流れのつくりかただったり、
いくつかその時点で学ぶこともあったが、後々ふと思った。
このミーティングの目的でありゴールは誰にとってのものだったのかと。
上記のように自分がゴールや目的に(最短距離で)たどり着こうとしていて、なんだか話がずれていると感じているとき。
それは相手が間違っているのか?
自分の設定したゴールや目的がずれていたのではないのか?
考えるべきは、自分が設定したゴールや目的への筋道に相手を乗せようとすることではなく、軌道修正でもなく、ゴールや目的そのものではなかったのか。
相手にとっての価値を考えて臨んだものの、気がつけば自分の仮説に囚われていた、自分のロジックに囚われていた、プロダクトアウトになっていたのではないか。
次に活かしたい。

相手の中に気づきを

新しい経験といえば先日の緊張の経験に加えてもう1つ。
詳細はさておき、その経験では、相手に自発的に気づいてもらう、考えてもらう、答えを出してもらう(これが答えなんだと主張できる状態になってもらう)というのが自分の中でのチャレンジだと思っている。
学ぶ内容を明確にして、それをそのままメッセージするのは難しいことではない。でもそれでは生きた学びになりにくい。学ぶにとどまらず、それによってどういうシーンがどのように変わるのか、変えないとどんなことになってしまうのか、いうところまでを体で感じることができない。
徹底的に相手の頭を使ってもらうこと、いざというときにはこんがらがった思考を引き取って軌道に乗せてあげること、そのための適切な質問、自分なりの仮説、そもそもの地力。後は最近思うのだけどどこか”逃げ道”をつくるというのが大切だ。ロジックのエラーを突き詰めていくのはそれはそれでいいのだけど、それ=相手を追い詰めていることではない、人格を否定しているわけではないというのは、特に文化の違う相手に対しては意識的に伝えていく必要がある。
例えば1つは笑い。とぼけた感じで鋭い質問を投げる。
相手に精神的にリラックスしてもらえる。その余裕は自己否定を避ける緩衝材になるし、相手を否定してるんじゃないという雰囲気をつくれる。シリアスに鋭く質問を投げていたら相手は余裕が無くなる、不安や恐れや怒りや自己否定の気持ちがぐるぐるまわりはじめる。わからないといけないんだとなって、わからない自分を否定したくなる。考える余裕を失って結果そこで思考停止 + 一連の経験は失敗としてタグがつけられる。
勿論ケースバイケースだけどチャレンジとそれがうまくいったときのシーンを思い描きながら進めていきたい。
生きた学びにしていきたい。自分にとっても。

目を見れば

人の目や顔の筋肉の動きをよくみている(いつも目を合わせている/凝視しているというわけではなく)。言葉よりも多くのことを伝えてくれるように思う。バイアスかもしれないが言葉よりその表情のメッセージが本音に近く感じる。勿論それが正しいとは限らないし、自分に向けたメッセージだとも限らないのだけど。
なんでこんなことを言い出したかというと、人と対面でコミュニケーションをとるときに大切なことが2つあるかなと今日思ったのだ。1つはメッセージを受け取る側として、相手が背負っているもの(相手のふるまいをそう動機付けるもの)を理解すること。1つはメッセージを発信する側として、目の前の相手に集中すること。
具体的な話は省くのだけど、すれ違いがすれ違いを生んでいくコミュニケーションは望ましくない。たくさんのものを背負って走っているときはなおさら頭の切り替えが難しくなるのも事実だけど、相手と面と向かってコミュニケーションをとるときは、そういったもろもろのものは横において、そのコミュニケーションでありその目的でありに集中していたいと思う。

言語はチャネルだ

言語はチャネルだと最近感じる。
素晴らしいと思えるプロダクトをつくっても、売りたい相手、使って欲しい相手、価値を認めてくれそうな相手に届けるチャネルがなかったらどうしようもない。
英語だったり中国語だったり、言語(言葉)は入れ物に過ぎない、大切なのはそこに何を入れるかだという話をする人がいるけどそうではない。
チャネルが無かったらどんなものをもっていても相手に届けることができない。相手に認知すらされないから向こうからチャネルをつくってリーチしてもらう動機付けもできない。逆に、チャネルがあれば何かしらものを届けることができる、その反応を受け取ることができる。それに対して反応することができる。
特に自分の頭の中にあるものが自分のプロダクトになる知識労働者にとっては重要。言語はなおさら大切なチャネルのひとつになる。逆にチャネルがあれば、例えばWebを通じて世界中にチャネルを持つことができる。世界がマーケットになる。
とどのつまり言語は大事だなというところなのだけど。