自分のアンテナを高くしてもらう

最近英語の情報を多くインプットしている。読んだり聞いたり。そんなときにありがたいのが友達の存在。その内容に関係ないのだけど休憩中に”こんなことになってるらしよ~”というその英語で仕入れた情報について話すと、”なんでなんで?””具体的になんかあったの?””それってこうじゃない?”と質問をしてくれる。
そうやって聞かれていくと”そうそう、それがこうなんだよ~”と言えるものもあれば”それが触れられてないんだよね”となるものもある。一番嬉しいのが”そうそう、それも言ってたんだけど、なんだったかな~”と思える質問。
僕の中にアンテナを立ててくれる/感度を高めてくれる質問だ。
そうすると、次から情報をインプットするときにそんなやりとりのイメージができて、ちゃんと聞いておかないと、と思える。そして、そう考えて情報をインプットすると理解も高まっている。好循環なのだ(^^)

難しい質問

土曜日は2+1の用事があって銀座へ。1つは買ったばかりのにインクが出なくなってしまうボールペンのインクの交換。1つは一ヶ月ほど前にまとめてメンテナンスに出した靴の受け取り。最後1つはどうしてもすき焼きが食べたくなったのでついでに食べてこようというもの。
最初の用事のために伊東屋へ。出の悪いインクを渡して聞いてみる。”先日こちらで買ったものなのですが、最初は出るんですけどすぐに出なくなってしまうんですよー”。店員さんが白紙にためし書き。少し緊張する。なぜなら本当に書き始めしばらくはインクが正常に出るからだ。しばらくするとかけなくなってくるのだが、本当にかけなくなるのか?と不安になるくらい最初は書ける。
しばらくすると案の定インクが薄くなりかけなくなる。直線も曲線も、円を描いていろんな角度からボールを回そうとしてももうでない。一安心。店員さんはルーペでペンの先をみて色々と考えを巡らせている。何が原因なのか自分でも気になる。ボールが回っていない感触はないし。交換当初は、間違って古いインクをはずして、また古いインクをつけたんじゃないかと思い自分の適当さ加減を悔やみかけていたくらいだ(悔やんでいた)。
店員さんが一言。
”お客様済みません。こちらのボールペンなのですが、どういった用途でご使用されていましたか?”
・・・
・・・?
・・・え?
想定外の質問に頭が(ムダに)ぐるぐるまわり始める。
なにを確認したいんだろう。あ、きっと書いていた紙の種類かな。上質の紙だったらいいけどわら半紙(懐)とか粗い紙だったらその細かい繊維がボールにはさまってしまっていると言うことがあるのかもしれない(最近わら半紙のような紙にメモを取ることが増えていた)。それとも左利きだったからボールをペンの中に押し込むように筆圧がかかるから、そういうことなのか(どういうことなんだ)。いやまてよ用途を聞かれてるんだからこれは、ノートや手帳にメモをとったりするくらいですね、と言う話でいいのか。でもそれって当たり前の気もするし、その答えだったら聞いても何も解決しない気もするな。あー、でもなんか小さいボタンを押したりとか、なんかそもそもペン本来の用途とは異なることにつかってインクが出なくなってしまう人っていうのが多いのかもしれない、そこを確認したいのかな。んー、どうでしょう。
”手帳にメモを書かれたりとかですか?”
”はい。手帳とかノートとかですねー。”
ということであっさりとこの質問のくだりは終わってしまった。(え?)
なんだったんだろうか。と思いながらいやーひとつの会話、1つの質問のやり取りにもこれだけのすれ違いと言うかおそらくお互いの頭の中に浮かべる前提や想定している答えが異なるんだから、普段人に質問をするときにも気をつけないといけないなー、そしてヘタに考えずに聞かれたことにまずシンプルに答えるって言うのを忘れていたなー、とぼーっと考えていた。
結局インクは交換になるも、レシート・領収書を持っていなかったため買い換えることに。大きい買い物ではなかったのでよかったのだけど、おそらく僕がレシートを捨てたのは今回ここに来る前に家で財布の整理をしたときだった。いやーちゃんと考えて整理せねばなりません。
その後は、何事もなく靴を受け取り、すき焼きを食べることができた。すき焼きを食べたのは久しぶりだったのだけどたまに食べるとおいしい(^^)

無条件に信じろ

今回のプロジェクトはこれまで経験してきたものとは少し毛色が違って新鮮だしタフだ。一緒にプロジェクトに入っている人は他の業界や職種での経験が豊富で、素直に言えばコンサルタントとしての基礎の部分にはムラがあるがツボにはまるととても頼もしい。
当初は、以前エントリーしたとおりで、コミュニケーションが円滑にできていなかった(今も根気がいる)。それについて、自分でプロジェクトのベースを握ってしまえば許容できる、枝葉に惑わされずに自分でコントロールできると考えていた。けど自分のworkにも限界があるわけでうまくやりつづけるにはちょっと厳しい。
そんなこんなで結局辿り着いたのは、相手をまず無条件に信じろということ。
ゆっくりかく時間がちょっとないが、相手を信じると批判であってもなんであっても素直に、ネガティブな感情を添えずに話ができる。自分が信じているということ、素直にまっすぐに話をしているという姿勢が相手にのしかかっているプレッシャーや、ネガティブな感情を取り除いてくれる。相手も自分に対してまっすぐになってくれる。率直に話をしてくれる。
信頼関係が生まれる。
そりゃあギリギリの状況もあるわけで、信じてるだなんだ忘れてバッサリいってしまうこともあるけど、そのときは後から素直に謝ればいい。その事情を話せばいい。どこかで信頼しあえていれば時間はかかってもチームのつながりがばらばらになってしまうことはない。より密になれる。
その人だからできることがある。
このチームだから出せる力がある。
頑張ろうと思う。
#信頼関係の有/無とコミュニケーションのOpen / Closeでマトリクスを考えると、(おそらく特にあわないと感じられるヒトとの関係は)信頼関係無×Close → 信頼関係無×Open → 信頼関係有×Open → 信頼関係有×Close、となっていくのかなとふと思った(密に結びつく必要性が発生している場合。じゃなかったら信頼できないと感じるヒトと話すことはないだろうし)。
コンサルタントでたまに、不信感ありありというか、上から目線で突き放すように何でもいう人がいるけど(この手の人はロジックは意識できている人が多い。正しいかは別だけど)、それは信頼関係無×Open。そのやりとりしかできないうちは本物のチームにはなれないと思う(本物ってなんだ?信頼感の有無って何だ?って話だけど)。

コミュニケーションの悪循環を断ち切る

コミュニケーションの悪循環。
相手の話の目的と構造が見えないけど口数は多く1回あたり口にする語数が多い

自分は内容をシンプルにして理解するために突っ込むのだけどいらいらしてしまっているので少しとげのある言い方になる

相手は頭では一定の理解を示すもののその感情面に反応してまくしたてる。一段と目的も構造も見えなくなる

自分は最初よりいらいらが大きくなってとげが大きくなる

相手はその感情面に。。。

。。。
余裕があるときはいらいらせずゆっくり解きほぐせる。それでもやはり何かと時間がかかる。初体験なのでどうしたものか戸惑いと、新鮮な驚きを覚える。”なんだなんだ??”って感じで珍しいものをみる感覚。
どうしたらいいかなーと考えてみた。
いくつかのオプションを考えついた。
その中で選択したいのは、プロジェクトの全体像を自分の中で明確につくるということ。それをベースにしてひっぱるということ。
昔、英語でコミュニケーションをしてプロジェクトを進める必要があったときに、自分がやりやすかったのはアジェンダを明確にして、コミュニケーションをリードすることだった。相手にリードされて好き勝手話されてしまうと詳細が理解できなくなったり、話を戻すハードルが高くなってしまうから(英語をもっと使いこなせるようになれれば良いのだけど)。
今回も同じことが言えると思う。相手にリードされるがままでいたらその方向も、道筋も、今いる位置もあやふやになってしまう。だったら自分でリードしたほうがいいんだなと(自分がもっと相手の話をちゃんときいて、要するにを都度整理できるスキルと根気があれば良いのだけど)。
ゴールと、そこへの筋道と、今の立ち位置と答えるべき問いが明確になっていれば相手が何を言ってもフラストしない。自分のいらいらは、相手の言動が適切でないと感じつつ修正しきれずに受容れてしまっているか、もしくはそれさえも分からない状態に甘んじて立っているかのいずれかから発生してるのだと思う。
自分は適切なコミュニケーションができているのか。そこを棚に上げずにやっていきたい。
行動を変えれば相手にに与える影響も変わる。影響が変われば相手からの反応も変わる。そしたらまた次の打ち手を考えられる。
今よりももっとうまくチームとしてかみ合っていくために頑張りたいと思う。

素直と敬意を具えた率直を

よくあるパターンなのかもしれない。
・率直になることと尊大になること、
・自分のロジックを主張することと相手のロジックのあら探しをすること、
・自分のロジックに自信を持つこと、それに照らして選択的に相手を解釈すること、
・自分のロジックの誤りを認めることと自分が間違いをおかしたということを認めること、
・相手に敬意を払うことと相手の主張に迎合すること、
等々の混同。
・率直に意見を述べることと高圧的に振舞うこと(尊大な態度をとること)は異なる。
・自分のロジックを主張することと相手のロジックのあら捜しをすることは異なる(相手が間違っていれば自分が正しいわけではない。解が常に唯一であるとも限らない)。
・自分のロジックに自信を持つ、それを検証するだけのための相手ではない。さらに進化させるための相手だ。仮説であり、お互いでありを。
・自分のロジックが間違っていても、それはそれだけの話。自分のロジックが正しいことは目的ではない。早期に間違いに気づいて適切な対応をとるほうが、自分が正しい/間違っているに固執するよりも圧倒的に価値がある。
・相手には勿論敬意を払う。でもそれは相手の意見を受け容れることとは関係がない。敬意と遠慮は全くの別物。
走りながら、軌道修正しながら進んでいけたらと思う。