誕生日

今日は誕生日ということで銀座のよねむらへディナーに行ってきました。とてもおいしかったです。自分の歳を改めて考えるたびに、小さい頃に想像していたこの歳のオトナはもっとしっかりしていたような気がせずにおれません。が、今の自分がまぎれもない事実ということで。
歳を重ねても妥協なく自分の理想に重なり続ける努力をしたい。
流れをとめてよどむことなく常に何らか動いていたい。
現状に安住することなく、かといって現状否定の気持ちだけに囚われずに生きたい。
どれだけのものを背負い込んでも、自責のもと歩き続けたい。
周りの都合ではなく自分の信念に従って生きたい。
それと単なるわがままや身勝手を安易に重ねてしまわない分別を持ちたい。
やっぱりひとりじゃないし、仕事含めて、一緒に何かするのが楽しいって思われるようになりたい。
いや更にいえば・・・
・・・色々ありますがこの歳も楽しく生きます。
皆様どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

あっという間のサマーバケーション

この一週間休みをとっていました。今回は東京で静に過ごしていました。やりたいことがあったのでほぼひたすらそのことだけに時間を投下していたのですが良いものですね。効果がどれほどあがっているのかはまだわかりませんがそれを見たら時間の投下の仕方も上手にできるでしょう。
明日から本業含めて腰をすえて取り組んでいきたいと思います。

計画された偶発性とは何か

とても面白い記事Globis.jp出ていたのでここにご紹介。そしてPlanned Happenstance Theoryについて一部抜粋。

次の五つの行動が必要だとスタンフォード大学のクラン・ボルツ教授は言っています。一つ目は「好奇心」。心に壁を作らず、自分の好奇心を広げていく。二つ目は「持続性」。すぐは諦めずにある程度納得するまでやってみる。三つ目は「楽観性」。悲観的にならず、意に沿わないことが起こってもチャンスと考える。四つ目が「リスク・テイキング」。失敗はするものだと考え、何かを失う可能性より、新しく得られる可能性を考えてみる。五つ目は「柔軟性」。一度「こうだ」と意思決定したことでも、状況、環境次第では、変えていく。
共通して言えることは、自分の人生に積極的に関与して行動する姿勢と、自分を閉じずにオープンマインドを持ち、自分の可能性をオープンにしておくことが、偶発性を呼び込むコツだといいます。

ハリーポッターと謎のプリンス

今日は”ハリーポッターと謎のプリンス”を観た。たまたま映画館だったりDVDだったりテレビだったりで過去の作品をだいたい見ていたので、そういえば最近映画館で新しいのを上映していたなと。見終わるとやはり続きが気になるものです。作品を重ねる毎にハリーはじめキャストの面々が子どもから大人の表情になっていきます。この年頃だと人間本当に変わるものですね(見た目)。

世界は分けてもわからない

世界は分けてもわからない
福岡伸一 (著)
生物と無生物のあいだがとても好きだった(過去エントリー)のでこの著作も手にした。
面白いところもあるのだけど、自分の中で話を繋げるのに少し苦労するかもしれない。いくつかの話が散らされているのと内容が専門的なところから。わかりやすい例えは常に配慮してちりばめられているのだけども。プロットが不安定というか、メッセージが絞りきれていないというか、という印象。
とはいえ、自身の専門分野の話を、それ以外のテーマ(芸術・歴史etc…)と結びつけて、かつ素人でも何とかイメージしながらついていけるだけの例えを盛り込んで本にできるというのは本当にすごいことだと思う。
途中と最後は引き込まれた。
印象に残っている言葉をいくつか抜粋。

P.85
生命をかき分け、そこだけ取り出して直接調べるという、一見、解像度の高いインビトロの実験。しかし、インビトロの実験は、ものごとの間接的なふるまいについて何の情報ももたらしてはくれません。ヒトの細胞はそこでは全体から切り離されているからです。本来、細胞が持っていたはずの相互作用が、シャーレの外周線に沿ってきれいに切断されているのです。

P.104
絵柄は高い視点から見下ろしたときだけ、そのように見えるのであり、私たち人間は、そのような絵柄として生物を見なしている。心臓の細胞は、心臓の形や大きさを知らない。心臓の細胞は、自らが一個の細胞から出発してできた個体の一部であることは知っているかもしれないが、心臓の一部であることを知らない。なぜなら心臓とは、われわれマップラバーが人体を見下ろしたときに見える絵柄に過ぎないからである。

P.112
胴、というものが幼児に見えないことはそれなりに興味深いことだが、それ以上に、二歳か三歳の子どもであってもすでに、顔には、目、鼻、口といったパーツの存在を認めているという事実に驚かされる。

P.126
でもプラスαはある。一体、プラスαとは何だろうか。それは実にシンプルなことである。生命現象を、分けて、分けて、分けて、ミクロなパーツを切り抜いてくるとき、私たちが切断しているものがプラスαの正体である。それは流れである。エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物理的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもたらす効果にこそある。

P.274
この世界のあらゆる要素は、互いに関連し、全てが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界には部分は無い。部分と予備、部分として切り出せるものもない。そこには輪郭線もボーダーもない。
(中略)
世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けても分からないのである。