IESE Japan Trek 2014を振り返る -感想・学び・改善策・引き継ぎ-

少し間を置いたがJapan Trekを振り返る。まず感想を、次に学びを、最後にどうすればもっと良いものにできそうかを書く。

まず感想。

濃密な時間でありTrekの最中でも多くのことを感じ、考え、オーガナイザーは時に衝突しながらでもどうすればより良い物にできるか試行錯誤を重ね続けてきた。毎日旅程を終えた後、夕食後には、嬉しい事に楽しんでいる仲間からの2次会3次会への期待が寄せられ、52人のその盛り上がりに8人でできうる限りこたえてこられたと思う。

睡眠不足で疲労が蓄積する中そうできた理由は1つだ。仲間の驚く顔、喜ぶ顔を見られることが嬉しいからだ。驚き、喜び、それに対してありがとうと感謝されることが嬉しいからだ。

彼ら彼女らはとても素直で、楽しい時は楽しい顔をするし、疲れた時退屈な時はそういう顔を覗かせる。なのだけど、節目節目にはとても丁寧に言葉を選び、感謝の気持ちであり自分がこの旅を楽しんでいることを伝えてくれる。それが、この旅をもっと良いものにしたい、楽しんで欲しいという気持ちに何度でも火をつけてくれたし背中を押してくれた。

また、このTrekを新婚旅行としてパートナーへプレゼントした同級生がいたのも大きい。そういう特別な意味をこのTrekに込めて参加してくれることは、僕らを彼らのその期待を裏切らないものにしたいという気持ちにさせたと思う。

加えて、後日談に近いがこのTrekの中でサプライズでプロポーズをし無事OKしていたふたりがいた事もとても嬉しいことだった。Whatsappに投稿されたふたりの写真(左手の薬指にはキラリと光るリングがついていた)を見て胸が温かくなった。ふたりのことではあるものの、彼らのそのシーンであり気持ちの結びつきにこのTrekの内容の良さが影響できていたら嬉しい。

個別の都市であり旅程の感想を書き初めたら終わりが見えなくなってしまいそうなのでそれは割愛する。ただ、上記のように時に疲れを覗かせながらもそれを移動時間の昼寝で補い、毎日毎日早朝から深夜まで楽しんでくれた仲間がいたからこそのこのTrekであった。それに心から感謝する。

Japan Trekに参加した仲間とのつながりを深められたし、僕個人としてもこれまでのプライベートの旅行にはなかった角度から日本を経験でき、本当に良かったと思っている。

 

次に学び。

最大の収穫を1つ書く。それは、ひとりではどうにもできないことに責任を負う、という経験ができたことだ。これは得難い経験であったと思う。

これまでの経験は、いざとなれば自分ひとりでリカバリーできるラインを引いていて、それを超えない範囲でチームワークに臨んできた。しかしこのTrekはそうは行かない。50人を超える海外からの仲間をアテンドするのは1人では難しい。臨機応変にしたいと思えば思うほどそうだ。当たり前ながら旅行は常に現在進行形でとまらない。動きながら考え続ける、考えながら動き続けないと仲間の大切な時間に空白を生んでしまう。

1人のキャパシティはあっという間にオーバーする。人数確認さえひとりではできない、もしくはできても時間がかかりすぎる。

いくら自分の頭のなかでシミュレーションができていても、タイムテーブルが組まれていても、仲間がそれに従い適切に動き続けなければ、それをしてもらうよう自分が働きかけられなければ、それは机上のものでしかない。しかも往々にして難しい局面はタイムテーブルに表現されていない細部で起こる。

本当に大切な経験を得た。

 

最後にもっと良いものにするには。

4つ書く。

まずプロジェクトとして動くこと。どういうことか反省を踏まえて4つポイントを強調する。1) 体制(役割と責任)を明確に定める 2) マスタースケジュールを明文化しタスクの進捗を管理する 3) タスクの完了条件(状態)を明確にする(何が決まれば完了なのか、何ができあがっていれば完了なのか等) 4) 全員の懸念事項は全てToDoとしてリストする 5) 1-4に従って行動する

文字にすれば当たり前のように感じられる。せずとも当たり前だと感じていた。しかし現実はそうスムーズには行かない。同じ企業に属する人間であることとバックグラウンドの異なる同級生であることの関係性の違いに躊躇して体制を曖昧なままにしたいという力学が働いたり、こうすべきだと思ってもそれを表に出さない力学が働くケースがある。

でもやはりそれではうまくはいかない、もしくは効率的にうまくは動けない。効率的に動けないということは、Trekをより良くできる可能性に割ける時間を失うということだ。

Trekは準備の段階からプロジェクトとして扱い、しかるべき行動をとらねばならない。

次に全体のストーリーを練ること。各都市毎に旅程を考えていくことは勿論必要だが、Japan Trek全体としてどこに盛り上がりのピークを持っていくのか、逆に(ピークをピークたらしめるために)どこを抑えるのかを考えておくのが良い。そしてそれは勿論、各都市の旅程を考える担当と合意されているのが良い。今回のケースで行けば僕は名古屋の旅程を担当していたが、前日の睡眠時間の少なさ、朝の移動時間の長さ、自由に使える時間の長さ、泊まれるホテルのグレード、翌日の旅程に鑑みて、この日は極力ゆっくりするべきだと考え、バスの中での睡眠と観光場所での自由時間の長さを優先した。

各都市であますところなくその魅力を伝え、楽しんでもらえたら嬉しいしそうしたいという気持ちは強く働く、ただ全体の旅程・ストーリーを考えた時に日々そうすることが最善とは限らない。戦略的にあえて緩急つけた方が、疲労蓄積の結果としてそうなってしまうより良いと考える。

そして細部までby nameで詰めること。感想の中にも書いたが、往々にして難しい局面は細部で起こる。そこも詰めておくべきだ。例えばホテルでバスに乗り込んで移動するという1つをとってみても、荷物は誰がどこまで運んでくれるのか、自分たちでやる必要があるのか。やる必要があるなら誰がやるのか。全員でやるなら全員荷物を持って一旦そのスペースまで行ってバスに乗り込む。人数確認はどのタイミングで、誰がやるのか。その全てを見込んで旅程に書いてある時間に集合・出発できるのか。で、それら全てどこの責任をオーガナイザーの誰が持つのか。

細かいところを考えだすと、往々にして、それはその時になんとかできる、今考えても仕方がない、等感じる人はいると思う。しかしそうではない。それは完璧な旅程をつくるために必要なのではない。この点、いくら詰めてもその旅程に寸分違わず事実が動くということはまずない。そうではないのだ、この真の目的は次のポイントにある。

それは、オーガナイザーが心から楽しむこと、だ。このために細部を詰めておく必要があるのだ。Trekは現在進行形だ。早朝から深夜までオーガナイザーが喜ばせるべき仲間と行動を共にする。

皆を楽しませることをゴールとすれば、皆が楽しんでいる場で、疲弊した表情、悩んだ表情、苛立った表情、人を責める表情、これらは一切見せてはならないのだ。

そしてそれらを減らす大きな手段の1つが、事前に細部までby nameで詰めることなのだ。それができいれば安心して仲間にサーブできる。計画通り行っていなかったとしてもその段取りに誰が責任を持っているのか明らかであれば心に余裕を持ってサポートができる。

想定していなかったことが起こることは問題ない。問題は、それが起こった時に誰がそれをカバーするのかその人の顔が浮かばないことだ。浮かべようとする行為が自分はその人ではないと考えてしまっているということも含めて。

その不安や苛立ちはあっという間にその人の表情を曇らせる。そして人の表情というのは、当人よりも他人の方が圧倒的に敏感である場合が多い。

サーブしているはずの相手に逆に気を遣われる。心配される。そうやって感謝の意を強調させる。これは避けなければならない。そのためにオーガナイザーもTrekを心から楽しまねばならない。

 

IESE Japan Trek 2014は終わった。でもこれは2015も2016もその先もきっと続くだろう。良いものにできる程良い評判が生まれ、一層多くの仲間が、一層高い期待値をもって参加を表明するだろう。その将来の仲間を一層喜ばせるために僕ができることは、今回の学びとつくりだしたアセットを次代へ引き継ぐことだ。

何をするかは次代が決めることだ。ただ、その内容に2014と重なるものがあった時、同じ過ちを繰り返すようなことがあれば、それは引き継ぐ側の責任と考えて動くのが良いだろうと思う。

同じ過ちを将来にわたって防ぐこと。それが引き継ぎの目的だろう。

自分の描いていたストーリーを知る

Japan Trekのために4月10日に日本へ一時帰国し28日にバルセロナへ戻ってきた。その間色々なことがあった。もう少し落ち着いたらゆっくり整理をしていきたい。

帰ってきてからも僕のJapan Trekは終わったわけではなくて、粛々と制作作業を進めていた。それに完了の目処がついたのでこうしてブログを書くことができている。

この数日間、数千枚の写真を相手に格闘していた。

それを通じて気づいたことがあった。それは、自分が普段何気なく撮っている写真にも、朧気ながらでもストーリーがあるということだ。

西は広島から東は東京までを巡ったJapan Trekを通じて、僕ひとりでも2,500枚程度の写真を撮ってきた。途中にOptionalのツアーがあったり小グループに分かれての行動があったのでひとりで全ての写真は撮りきれない、それに誰が写真を撮るかによって人の表情だって異なる。なので複数人で写真を担当し、それを全て束ねて制作作業のインプットとしていた。

いざ作業にとりかかると想定以上に時間がかかる。しばらくして気づいた。自分以外の誰かが撮った写真に触れるときに時間がかかっているということに。

自分が撮った写真であれば、そのシーンも覚えているし自分がなぜそこでシャッターを切ったのかもわかる。自分の中で流れが自然とつながっているのだ。一方でそうでないもの、自分が撮っていない写真、加えて自分が居合わせなかったシーンの写真となると話が異なる。

違和感を覚える。それは切りとられているシーンにしてもそうだし、そのアングルにしてもそう。ピントを合わせる相手にしてもそうだし、シーン間のつながりもそうだ。

自分だったらこういう写真を撮っていて、それをこうつなげていた、という考えに、それに当てはまらない写真を目の前にして気づくのだ。

これは少なくとも次の2つの意味で新鮮な経験だった。

ひとつは自分が何かしらのストーリーを描きながら写真を撮っていたということ。

ひとつは自分の手の届く範囲を超えてチームで動くとはこういうことなのだということ。

どうすればもっと上手くパフォームできるのか、この経験を次に活かしていきたい。

ボケ続ける一日

まだ終わらない今日なのだが。

朝からボケている。疲れているのだろうと思う。

朝ホテルを出る前、身支度を整えて最後に手を洗おうと蛇口をひねったら横のシャワーから水が出て上半身半分がずぶ濡れに。改めて着替える。

 

その後用事を済ませ、遅めのランチをとり、スペインでなくしたカナル型イヤホンのシリコンを買いに駅近くのビックカメラへ。スペインではWebでメーカーに注文しないとないと言われたものがビックカメラにはちゃんとあり、難なく購入。早速音楽を聞きながら地下鉄に乗り込んだ。

iPhoneで、聴きながら曲をとばしても流れる曲が変わらない。おかしいなと思いながら色々な曲にとんでみても一向に変わらない。何でだろうと考えて気づいた。

イヤホンを差していないiPhoneをいじっていた。

僕はiPhoneを二つもっている。スペインでのiPhoneを持っているのと日本のものだ。スペインでのiPhoneでWhatsappを使っていたので今回はモバイルルータをレンタルしていた。ルータは既に返した後だったので、日本のiPhoneの電池を節約しようとスペインのiPhoneで音楽を聞いていたのだった。それを忘れていたのだ。

ブルーハーツを聴こうとしていた。自分はイヤホンして聞いているので気づかなかったがおそらく周りには断片的にリンダリンダが流れていたと思う。失礼をしてしまった。

 

その後、ホテルに戻る前に一息つこうかなとカフェによった。アイスコーヒーを注文して席についてふぅーっと一息。視線を下にやるとチャックが開いていた。今日は朝からお手洗いに寄っていない。なのでホテルを出る前からすでにそれはそうなっていたのだと思う。

 

今日はまだ夜の予定もある。閉めて、締めていきたい。

 

もう少し休息が必要だ。

IESE Japan Trek 2014始動

いよいよ本日よりIESE Japan Trek 2014を始める。昨日夕方に大阪へ入り、懐かしい大学時代の仲間と再開しゆっくりする。同日入るIESEの仲間もいたがこの日は別でゆっくり。

今日から行動を共にする。

既に、フライトに遅れる、フライトが遅れる、他の理由もありいくつかの旅程変更を余儀なくされる、等が発生している。

ありうる話であったし、これからも色々あり続けるTrekになると思う。

何はともあれ、皆が元気に安全に日本を楽しむことができたらと思う。

不測の事態に備え対応する一方で当初計画していた必要なタスクに変わりはない。突然フィールドに投げ込まれたボールに全員で目を奪われ群がることなく、チームとして目的を果たせるようポジションをとって動きたい次第。

MBAで得られたスキルは何か

キャンパスビジットやバルセロナでのアセスメントデイのために日本からアプリカントの方々が数名来られているこの週末。お話させていただく機会があり考えたのがタイトルにある内容。

MBAで得られたスキルは何か

ということだった。話の中でこの質問を受け、はたと考えた。どのようなスキルが得られたのだろうかと。簡単にこれとこれとこれの3つのスキルが身につきました、というような話はできなかった。

なぜか考えた。理由は2つある。

まず最初に、おおよそMBAは何かしら特定のスキルを身につけようとする場ではないということだ。

経営する上で想定される意思決定の精度を幾分でも高める、それを組織として実行し想定する以上の結果を出す確度を高める場だ。

そのために必要なスキルは関係する領域であり率いるチームの属性であり、組織の中での自分の立ち位置でありによって多くのパターンに分岐するだろう。

その個別のスキルを個別にどうこうする場ではないのだ。上記の通り、現実の経営において結果を出すための鍛錬の場なのだ。

財務諸表が読めるとか分析ができるとか、ファイナンシングのスキームが組めるだとか、マーケティングのフレームワークが使えるだとか、組織設計の考え方がわかって使えるだとか、そのレベルの話はMBAに来なくても学べる。本を読み自分の会社でも新聞取り上げられている企業でもを対象にして使う練習をすれば十分ではないだろうか。

特定のスキルを伸ばすという目的で行動することはない。強いて言えば経営における意思決定のスキルとその決定に基づいて結果を出すスキルだと表現できるが、具体的に何か、と考えてみるとどうも説明がつかない。

次に、上記のスキルを得られたというにはそれをサポートする事実が不足しているということだ。

なぜか。それは、スキルを身につけたと主張するためにはそのスキルを使って結果を出したという事実が必要だ。しかし、その事実はMBAの中では積み上がらないからだ。

数百のケーススタディをしてきた。数々のプロジェクトを経験してきた。コンペティションで結果を出した。インターンシップで何をしてきた。クラブ活動で何をしてきた。

どういったところでそれは実際の業務ではない(インターンは程度による)。ましてや実際に企業体を経営し結果を出したわけではない。

1つ目の話の最後に書いた2つのスキルを身につけた、と主張する根拠を持っていないのだ。もしかしたら勘違いなのかもしれない、だがしかしできる気がしている、何かしらの自信がある、という程度だろう。

その、スキルをサポートしない経験や、勘違いや自信を、幾つかの企業は信じてMBAに対してFast Trackを用意し、幾人かの学生自身は信じて起業でありの道を進むのだと思う。

 

という2つの理由からMBAで得られたスキルは何か?という問いに対して上手くこたえられなかったのだと考える。

 

MBAで得られたものは卒業のタイミングでまとめたいと思っているが、おそらく何か特定のスキルといった類のものが占める割合は極めて少ないだろう。