海辺のカフカ

海辺のカフカ (上)
海辺のカフカ (下)
村上 春樹 (著)
時間がないと言いながら週末つい手にしてしまって読んでしまってと。基本的に自分は小説を読みながらあれこれ考えるというよりはイメージに身を任せてその世界に浸る性質なのだと思う。本の最後に行くにつれて謎が解き明かされるとか、ちりばめられていたストーリーがひとつにつながるとかそういう話ではない(これは村上春樹の作品共通なのかな)。
自分の理解の範疇を超えたところで何らかのプロットがあるのかもしれない。そして登場人物もそれはわかっていない。そんな中で、ユニークなそれぞれのキャラクターがそれぞれの過去を抱え自分らしく生きている世界を感じることが心地よい。勿論その中には苦しいものもあるし哀しいものもあるのだけど。
印象に残っている言葉を一部抜粋。

上 P.384-385
「差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、その後には個別的な傷口が残る。(中略)僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T.S.エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そして、その無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理やり押しつけようとする人間だ。

上 P.400
「そりゃいい。だからね、俺が言いたいのは、つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生きている限り、まわりにあるすべてものとのあいだに自然に意味が生まれるということだ。いちばん大事なのはそれが自然かどうかっていうことなんだ。頭がいいとか悪いとかそういうことじゃないんだ。それを自分の目を使って見るか見ないか、それだけのことだよ。」