言語はチャネルだと最近感じる。
素晴らしいと思えるプロダクトをつくっても、売りたい相手、使って欲しい相手、価値を認めてくれそうな相手に届けるチャネルがなかったらどうしようもない。
英語だったり中国語だったり、言語(言葉)は入れ物に過ぎない、大切なのはそこに何を入れるかだという話をする人がいるけどそうではない。
チャネルが無かったらどんなものをもっていても相手に届けることができない。相手に認知すらされないから向こうからチャネルをつくってリーチしてもらう動機付けもできない。逆に、チャネルがあれば何かしらものを届けることができる、その反応を受け取ることができる。それに対して反応することができる。
特に自分の頭の中にあるものが自分のプロダクトになる知識労働者にとっては重要。言語はなおさら大切なチャネルのひとつになる。逆にチャネルがあれば、例えばWebを通じて世界中にチャネルを持つことができる。世界がマーケットになる。
とどのつまり言語は大事だなというところなのだけど。
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付加価値への渇き
少しでも、できる限り多くの価値を出したい。
自分が自分への期待値を下回っていると殊更強く感じるものだと気づく。クライアントに対しては勿論、プロジェクトメンバーに対しても、チームに対しても。
自分のやるべきことはやれているなどと思えているうちは味わえなかった感覚だ。
必要な経験をしている。
何とかなりそうな気にさせる人2
USのパートナーと電話会議。そして感じさせる。何とかなる / まだまだいけるって。
こう書くと自分たちがよほど追い詰められているのか、なんともならない状況にずっといるのかと思われるかもしれないがそうでもない。それでも話していると自分の中で開けていくものがあるのだ。
このパートナーは以前ブログに書いた何とかなりそうな気にさせる人からの紹介でコンタクトすることができた。AクラスはAクラスを呼ぶ、ということだろうか。
One Firmだなというのを改めて感じた。
自分も最近相談されることが増えてきているが、周りにこう思われるような存在にはまだまだまだ距離がある。とてもいい刺激をもらえる。具体的なモデルを身をもって教えてもらえる。本当に嬉しいことだ。
まだいける。

リーダーはやらされない
些細なきっかけで感じたことなのだが、リーダーに大切な要素として、何事にも”やらされ感”がないことというのがあると思う。”やらされ感”がないとは、言い換えれば自分なりの意志・解釈を持たずに(明確にせずに)(不本意ながら)動くことをしていないということだ。
逆を言えば、何をするにしても自分なりの意志・解釈を持って、それを明確にして、やるべきこととしてやっていく必要があるということだ。
それをしないということは、
自分の意志・意図とは関係なく、組織の都合等他の力に自分は(不本意でも)流されますというメッセージになる。
特にやることに価値を見出せていないのなら、価値が無くても都合に流されますというメッセージになる。
価値が無いことをやることに不満を感じ、それを表に出していては、相手に対しても価値がないと分かっているし申し訳ないけど、他の都合があるからやりますよ、他責にしていますよというメッセージになる。
何事にも意味があると思っている。もし自分が何かしら自分発信以外の都合で動く必要がでてきたとき、他を動かす必要が出てきた時には、それの意味を自分なりに解釈して、自分としてやるべきなのだという意思決定を明確にしてから動いたほうが良い。
そして、本当に意味がないのであれば、きっとそれはやるべきではないのだ。
自分のこれまでの行動を幾つか反省した。

