特定のエンゲージメントにどっぷり浸かっていない最近は、どっぷり浸かっているときとはまた違う負荷がかかる。簡単に言うとひとつのエンゲージメントより粒の小さい、独立したタスクを複数並行して行う。
そんな中で感じるのが、そういう日常の中でも自分の魂を磨き続けること、そしてそれを小粒でもそれぞれのタスクに宿して遂行するということ。
そうしていかないと”自分”がそのタスクをやる意義が薄れてしまう。必要最低限の価値を付加できたとしても、自分だからこそという付加価値はなくなってしまう。それぞれのタスクを小さくこなしてしまうだけにとどまっては自分の中で積み上げられるものもまた小さくなってしまう。
魂という言葉をつかうと仰々しく感じられなくもないが、仕事にそれがこもっているかこもっていないかという話は、ロジック云々とは別の次元で大切になってくる。勿論アツければいい・心がこもっていればいい・やる気があればいいというのともまた違う。
自分としてのその先にある世界をどう描くかという話と、そこに対するコミットメント(目の前のタスクに必要とされるアウトプットへだけのコミットメントではなく)をもって目の前の事にあたるという点だろうか。そこでロジックが必要であるならそのレベルまで徹底的にロジックをつめるという話。
書いてみると当たり前だよなと思えるのだけど、エンゲージメントに比べて粒の小さいタスクを多数並行で進めていくとき、ついそれぞれに求められているアウトプットのラインを考えてそこを満たせばいいだろうと考えて片付けていこうとしてしまうので。個人的な反省を込めて。
誰にでも、どんな仕事にでもいえると思うが、せっかくの自分なのだし。どのようなことであれ、反応を選択するのは自分の責任なのだし。
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可能性をくれる人
(何とかなりそうな気にさせる人と同一人物だったりするのだけど)可能性をくれる人がいる。
他愛もない会話をしていたら、”最近どう?”という話になり、近況を話しているうちに”こういうのいんじゃない?あとはこれとか?”とポンポンっとアイデアが出てくる。偶然なのかもしれないが、言われてみれば当たり前だけど自分では意識が届いていないところからでてくる。全部。
最も感心したのは(感心してる場合でもないだろ、という感じなのだが上記でキレイに感心してしまった)、それらが極めて現実的な内容だということ。概念的な話でもない、悲観/楽観した話でもない、ただ目の前にある現実に対して具体的でストレートなものなのだ(っていうと自分が何考えてたんだって話になってしまうのだが)。
勿論、いつもすぐにできることだけをやっているのが最善ではない。でもやんないとはじまんないじゃん、ってことはいくらでもある。いや、ある意味全てのことが結局は”やんないとはじまらない”。
もし的確に問題を捉えられていても、それに対して根本的な原因を頭の中で特定できていても、それを解消するためのアクションプランが描けていても。やんないと何もはじまらない/変えられない。頭の中に現場はないからどれだけ考え抜かれていてもそれは仮説。やんないと何も検証できない。前に進めない。
で、上記を学び、具体的にに”やる”ことを始められたきっかけをちょっと辿ってみると、偶然と些細なきっかけから始まっていることがわかる(最初はほんっと他愛もない話。”いやー、こんなことでも話しかけてもらってよかったですよー”といってお互い笑って会話を終えた)。

そして僕は
洗濯機へシャツを入れる。
明日は最終報告だ。
最近人目が気になる
今日、そして明日、人目が少しだけ気になる。
なぜか。
それは、昨日から同じシャツを着ているからだ。
クリーニングをとりに行く時間がないのだ(そもそもため過ぎたというのもある)。
幸い形状記憶のシャツなので、
帰る → 脱ぐ → 洗濯機をまわす → 干す → 着る
このサイクルを続けている。
個人的には日々清潔なシャツを着ているつもりだ(清潔なはず)。
これはたたみじわではなかったのか?と思わせるほどに形状を記憶しているし、
襟・袖はぱりっとしているし、
洗濯洗剤のいいかおりもしている。
勿論自分もお風呂に入るなりシャワーを浴びるなりしている。
周りにはどう映っているのだろうか。
特に毎日会うプロジェクトメンバー。
自分が思うほどに人は自分に関心がないと思いつつ。
さすがに3日続いたらそれは”?”と思われている可能性もある。
明日聞いてみよう。
ひとりディスカッション
ひとりで仕事をすること、あると思います。
そんな時ホワイトボードでもフリップチャートでも、スペースを気にせず使えるツールを重宝します。
頭の中で整理するのもいいですが対象が複雑になると効率的にできないし、
ノートに書いてると、どうもノートのスペースに収めることを頭のどこかで意識してしまう。(案外自覚がない)。
直接パワーポイントを使うと、どうもチャートにする負荷(ちょっとしたものでも)とアウトプットの是非を図りにかけてしまったりする。
会議室にひとりはいって、大きいホワイトボードやフリップチャートに頭の中のものを出す。
それとディスカッションする。
結果を次々とアウトプットしてみる。
まとまったらそれをそのまま資料にする(パワーポイントで加工する)。
目的は変わらずとも、上記のほうが広いキャンパスに好き勝手描いて考えれるようで、効果も効率も高いように感じます。
アウトプットの質を高める、自分のパフォーマンスを上げるための手段の工夫も大事だなと思います。