なぜそれを話しているのか?

最近思う。1対1で話していても目の前にいる相手を見ずにものを話す人がいる。経験上シニアな方に多いように見受けられる。自分の経験と人から聞いた話なので、それが特殊なだけで現実は異なるのかもしれないが。
1対1で話しているのに、口からでてくる言葉がただの一般論であったりする。当人は相手に対してメッセージをしてるのだが肝心の相手には思い当たる節がなかったり、なぜそれを相手が話しているのかを理解できなかったりする。
当たり前なのだがこれではコミュニケーションは成り立たない。
メッセージの受け取る側は”何話してんだこの人?”で済ませずなぜなのか、具体的に自分のどのような行動に対して発せされている言葉なのかを特定する努力を怠らないほうがいい。
そしてメッセージのを発する側は、自分がなぜそれをこの相手に話しているのか、話すきっかけはどこに生じているのかを明確にした方がいい。そして個別に発信したいメッセージなのであれば自分が発している言葉の対象を他の人にかえても成り立つメッセージになってしまっていないかに気をつけたほうが良い。
コンサルティングと同じだ。主語をクライアントにしても競合にしても成り立つようなメッセージになんの価値があるだろうか。それは往々にしてメッセージする価値のない、既に理解されている一般論であることが多い。
同じだ。主語を今眼の前にいる相手でも他人に変えても成り立つようなメッセージに誰が心うたれるだろうか。誰が価値を感じるだろうか。誰を主語にしても成り立つような話は発せずとも相手は理解しているのではないだろうか。
上記を理解できれば、もう一歩踏み込んだ、相手を前に進められるようなコミュニケーションができるだろう。

行動に移すということそれ自体に価値がある

悩むことはある。キャリアであれ恋愛であれ人生そのものであれ。
そんなとき忘れてはいけないのは、行動に移す、ということにこそ価値があるということだ。
何かに悩み、そして行動を選択するというのは独立したことではなくて、人生という一連のつながりの中の一部だ。そして人生は有限だ。
悩んでいる間、行動の選択を保留するあいだも時間は流れる。
人はたいがいの環境には適応できるもので、だんだんと行動の選択を保留しながら生きて行くことに慣れはじめる。選択しないといけないなー、いけないんだけどなー、このままじゃだめなんだけどなー、と心の何処かにひっかかりながら、ときにそのひっかかりさえも忘れながらもそれなりに生きられてしまう。
悩んでる間人生いったんストップねとはいかないし、時間が流れている以上、何らかが自分の人生に起こるわけで、それらに対処することでそれなりの生きがいというか生きてる感は得られたりして。
でも自分や知り合いの経験上、選択を保留することで悩みがなくなっていた、ということはあまりない。上記のようにいっとき放っておけばいいかなと思っていたものも、忘れた頃に律儀に自分の目の前にもどってくる。そして往々にして、時間が経った分だけ状況を複雑にしていたりする。さらには放っておいた自分に対する罪悪感だったりも連れてきたりする。
放っておかず、行動の選択はできていないが悩み続けた。そんな場合にも対峙している間に経った時間の分だけ身動きが取りにくくなってしまったり、これだけ自分を消耗させても決断が下せないのかという自信喪失だったり、自分は一体何をやってるんだこんな時間ばかり使って何も変えられないじゃないかという自責の念が生まれたりする。
行動をしっかり吟味したわけじゃなくても、自分の中でまだ迷いがあっても、何かを行動移してみる。いきなり大胆な行動をしなくても、少しでも行動を選択し、実際にやってみる。
すると大きく3つのものが得られる。
1. 新しい環境/視点(大小あるが、行動による変化は自分のいる環境もしくは環境の解釈を変える)
2. 結果(行動に移した以上、変化がなかったということも含めて何かしらの結果を受け取ることになる)
3. 動けるという自信(あ、動けるじゃんという感覚だったり、思っていたより簡単なことだったんだという感覚だったり)
そりゃー結果ってどんだけいいものか/悪いものかってあるんだけど、冒頭に書いたとおりで人生という一連の流れからすると日常生活の中での悩みというのは、それひとつの扱いで人生が圧倒的に大きくかわるということは少ないと思う。であればとりあえずやってみるということ自体の価値は結構大きいのではないかなと思う次第。

イヤホンをIE7にした

twitterで既に書いたのだけどイヤホンを無くしてしまった。そして見つからない。見つかるかなと思って一時しのぎにapple純正のイヤホン(標準付属品のようなやつ)を使ってみたのだけどどうにも馴染めない。カナル型じゃないと外の音がきになって音楽やらニュースやらがよく聞こえないし、音質もやはり違う(ながいことカナル型のものをつかっていたので)。
仕方がない買おう。でも前使っていたのからグレードを下げるのも寂しいのでひとつ良いものにしよう。
ということでIE7を買ってみました。
明日届きます。楽しみです。
それにしてもネットで買うのと量販店で買うのでは価格がずいぶん違うんですよね。12,000 – 15,000円くらい違うのかな(ほぼ倍)。

英語の理解は単語から。

僕は英語を使いこなせるわけではない。しかし流暢に、キチンと使えるようになりたいので勉強している。その勉強の過程を振り返って思うことがあるのでメモ。英語を理解できるようになるためにまずやらなくてはならないこと、それは単語をひたすら覚えるということ。眼と耳で。
目で英語を理解する(reading)も、耳で英語を理解する(listening)も、単語を知らなければ絶対に不可能。更に言えばえ目からインプットして理解できないものは耳からインプットしても理解できない。
確かに英語耳をつくるのは時間がかかる。だから完全に段階を分けてlisteningのエクササイズに入るというのも違う。耳をつくる目的で英語をできるだけ多く聴くというのはある程度は意味がある。
しかし、単語を覚えずして、目で英語を理解できるようになる練習なくして、スキマ時間に英語のpodcastを聞いても英語力は大して伸びない。
音としては聞こえる、けど意味が分からない。というところでとまる。それではコミュニケーションできない。意味がわかっていないのだから。
まずは単語だ。