混乱のさなか

本当に混乱すると、混乱しているのかしていないのかの判断も明確につかなくなるものなのだろうか。いや、混乱していないという判断が下せなくなる(=混乱している)が、その原因も具体的な状況も把握できない、直接・間接的に得る断片的な情報の解釈に一貫性を見出すことが困難になる、といったところだろうか。その整理のつかない、でも自分の中で解釈を留保できない状態が、個人の内側に相反する意味を生み出し続け、さらに混乱に導くのか。
他人事ではない。
そうだったとしてもそう割り切って自分の中でケリをつけてしまえるほど自分は成熟していない。
そんな状況の中だからこその学びというのは多い。
そんなときだからこそそれぞれの本音、普段みられない一歩深い欲求というか動機付けの要因が垣間見える。それとの各人の折り合いのつけ方にしても、他人とのコミュニケーションの仕方にしても、どのようなスタンスでのコミュニケーションが、どのポジションの人に、どういう印象を与えるのか、その人がどういうリアクションを返すのかということを身をもって理解できる。
そして上記は自分にも当てはまるだろう。
こういうときだから自分が普段自覚できない一歩深い価値観であり環境への対応の仕方でありが理解できるのだと思う。
捉え方ひとつで、自分にとって得がたい経験になるのだ。