今日は先週末で終えたプロジェクトの打上げ。いろいろなつながりで総勢4人で飲みに行く。
笑いが絶えないあっという間の4時間だった。それぞれ限界が来たときの面白行動、その行動を笑えた人笑えなかった人(往々にしてその行動の被害を受けた人は当時笑っていない。横目で見ていた人は当時から笑っている(今となっては誰しも笑える))。そして、そんな行動によって突然の修羅場?に立ち、それをくぐりぬけた人の成長を笑いながらほめたたえる。
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プロジェクトのテーマがこれまでとは少し違ったからだろうか。
プロジェクトの体制がこれまでになく複雑だったからだろうか。
プロジェクトを共にしたメンバーがこれまでと違う色の人だったからだろうか。
これまでのプロジェクトと異なる部分の筋肉をつかったような感覚がしている。
思いのほかうまく動いた筋肉もあれば、思ったよりもうまく動かせずすぐ筋肉痛になってしまう筋肉もあった。
大切なのは、そういう部位も使えるということに気づいたことだと思う。
そしてまだ使っていない部位があるという可能性に気づいたことだと思う。
逆に考えて、実は使わなくていい部位もあるのではないかと自分を疑えるようになったことだと思う。
また、今回のプロジェクトでは上記の力加減をどう場面に合わせるかというのも知ることができたと感じている。”できる”との間には勿論大きな壁があるのだけど。まずは知ることからだろう。
新しく使えると気づいた筋肉と、少し繊細になった神経と、環境を感じとる勘。
今回のプロジェクトで得たものもあわせた本気をだしていきたいと思う。
その過程は、後から考えたら笑えて仕方が無いような行動をとってしまう程の限界もあるのかも?しれないが、苦しみやつらさだけではなく、そこしれぬ充実感と喜びに溢れている、そんな気がする。
少なくとも今回はそうだったことは事実なのだ。
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おわりとはじまりと
この週でこのプロジェクトも最終報告を終え、ひとつの区切りを迎えた。クライアントからすればあくまで1つのプロジェクトに区切りがついただけであり、自分達がつくっている戦略であり計画でありを実行に移すのはまさにこれからになるのだけど。
前夜、クライアントとの打上げを終え。朝、今後についての打合せも終え。昼前から自由のみとなる。これまで、時に思いっきり転んだり、互いに手を引いたり、時におんぶをしあってきたりしたコンサルタントの方とすこしはやめで、すこしゆっくりしたランチをとりに繁華街へ。自分にとっては少し懐かしく、彼にとっては新しい街だ。”いやー、やっとこれましたね(笑)”なんて話をしながら繰り出す。食事をしながら話をするのはこのプロジェクトの話、そして今後の話。振り返れば(一部はその当時からはやくも)ネタになる笑える経験(今になれば修羅場も笑える?)、そのときは気づいていても口にしなかった互いの胸の内、これから先もっと伸ばした方がいいところ等々、話は尽きない。
面白いもので、そのときは気づいていても口にしなかった互いの胸の内は、いざ口にしてみると既に互いに気づいている。当時の自分の機微を理解しており、そして相手の言葉以外で表現されているメッセージを受け取っていたようだ。言葉以外のコミュニケーションでやりとりできる情報の多さに素直に関心する。いただいたたくさんのメッセージの中で1つだけ書いておこうと思う。
(このプロジェクトの中で何度か自分のやり方や価値に迷いを持った時があった。それを話した自分に対して)
それは違います。確かに一緒にやっていてドライブする力が弱くなった時が1-2度ありましたけど。違いますね。何でかって言うとそれはお客様の目を見ていればわかります。このプロジェクトでお客様がsagadさんを見る目が変わっていくのを横で見ていました。彼らが迷っている時、相談したい時、それを僕らが答えるとき、彼らが見ていたのはsagadさんの方でした。それは彼らに信頼されているからこそのことです。自分でどう思うかというのはあるのかもしれませんが、彼らの視点からみて価値がなかったということはないと思います。
価値を考える視点がそもそも違ったのだなと反省しながらもらった言葉を噛みしめた。まだ”自分”だけに焦点があってしまってるのだなと。そして、プロジェクトとは別だけどプロフェッショナルサービスというものについて気づかせてくれるエピソードを1つ。
(彼が以前欧州へ行ったときに、ある有名な靴ブランドの本店で靴を買った時の話)
靴づくりの職人さんが似合う靴を探してくれるんです。その時点でまずお金を扱う方と、お客様にあった靴を探す方が分けられているんですね。で、実際に靴を探すときなんですけど、その職人の方が次から次へと靴を持ってくるんです。これを履いてみろ、あれを履いてみろと。で、だんだんと疲れてくるんですよね履かされてる方は(笑)で、なんとなく良さそうなやつがあって、”これがいい”って言うと、職人さんが”ダメだ”っていうんですよ。
彼は僕の言葉を聴いてないんです。僕の目であり表情でありを見てるんです。”お前はまだ心のそこから”これだ!”って思えてないだろ”って。それでまたたくさんの靴を履く。そうすると、でてくるんです、”あ、これだな”っていうのが。そしたら今度は僕がそれを言う前に、”こちらですね。”って言うんですよ。
これだけのこだわりをもって自分がコンサルタントとして活動できいたかなーって思うと、いやー、考えさせられますよね(笑)
今回のプロジェクトで感じたのだが、おそらく彼はこれだけのこだわりをもってコンサルティングということに携わることができている。
自分はどうだろうか。
今回のプロジェクト、彼との出会いで学べたことを旨に前に進んで行きたい。
そのためにまず自分のメンテナンスもしていこう。
君だから
プロジェクトも大詰め。先週金曜日はMeetingを23時過ぎごろに終え、最近ブログに書いているコンサルタントの方と少し遅めの食事へ。少しお酒を飲みながら、少し昔の話を聞く。メンバーとの接し方について。
”昔は、(自分がリカバリーできる範囲で)達成して欲しいゴールと時間だけ投げてたんですよ。手段はお前に任せるからとにかくいつまでにこれを達成しろって。レビューしながらぎりぎりまでやらせて、いよいよもう駄目だってなったら、もういいよオレでやるから、って取り上げちゃう。自分もそういう中でストレッチしてきたっていうのもありましたからね。取り上げられた方は放心状態ですよね、何していいかわからなくなっちゃう。でもそういう経験をするから任せられた仕事は自分でやり遂げたい、価値を出したいって心から思えるようになるんだと思うんです。”
”でも、それってあくまで幾つかあるやり方の1つであって、それだけじゃないんだなっていうのにいつだったかな、気づき始めたんです。最近は、一緒にやるメンバーにはまず徹底して、このメンバーでチームになる意義、このチームのメンバーになる君達個々人のだからこその意義っていうのを分かってもらうようにしてます。誰が欠けても成り立たないんだっていうのを分かってもらうんです。この船は、オレたちの誰一人が抜けても沈んじゃうんだって。やっぱり人って、自分の存在意義とか価値とかそういう部分から納得しないと本当の力って出せないんだと思うんですよね。勿論昔みたいなやり方で燃えるようなやつが少なくなったというのもありますけど。”
経験に裏付けられたまっすぐな言葉は、重みがありつつも優しく自分の中に入ってくる。
あと一息。なんだかんだあるが、今回は存在意義も何もすっとばして、ひたすら二人でこぎ続けているような気がする(頭も体もつかって)。確かにどっちがそれをやめても沈んでしまうことは事実だと思えるが。
面白いものだ。
それでも
変わらない
最近は特になかなかやることが多い。そして難易度も上がっている気がする。できる限りまず手をつける。特に初めてのものはアウトプットのイメージを固めても手を着けてみないことには必要な時間がわからないからだ。
手をつけずに寝かせてしまうと、手をつけることが億劫になってしまうし、どうも自分の中でタスクの鮮度が落ちてしまう。これまでの経験上、荒くても最初にざっとやってしまったほうが結果として筋が良いことが多い。
といいつつピークになると手をつけることさえもままならかったりするのだが。ここはやることの多さ・難しさに”自分の手綱は自分で握る”という感覚を渡さないことが重要になる。目の前のやることに目いっぱい自分を傾けることは勿論必要だが、その自分をコントロールする自分を失ってはいけない。そこを譲ってしまったらもうあとは”やれるだけやる”、”とにかくやる”の世界に行ってしまう。
そのテンションは結構面白かったりするのだが。”やってやろうじゃねーか”みたいな。
ただ、計画を持った大胆さと計画を持たないただの蛮勇は違う。あくまで前者。
と、忙しいながらこの時間に少し区切りがついたので休息をとる。
どんな状況に置かれても変わらないものもある。
おいしいものはおいしいのだ。



