最近、少々の空き時間で写真の整理をしている。デスクトップのpicasaでも顔認識ができるようになったこともあり、過去の写真に登場する人々にタグをつけていくのだ。もともと写真が好きだったので枚数は相当のもの、大学の使い捨てカメラ時代の写真も卒業パーティや友達の結婚式披露宴で使うためにPCに取り込んでいたらほぼ全て入っている。相当な枚数、結構な時間軸で詰まっているのだ。
ひたすら顔がでてくる。
suggestion機能があるので同一人物の違う写真だったり、違う人物だけど似た表情だったり顔が似てる人は並んで表示される。
大学時代から今に到るまでの写真の顔が一斉に表示されると、昔から変わらないなあと思っていた友達も、自分も、その変化を認識せざるをえない。髪型は勿論、顔のシルエット、肌つや、表情etc…いくつもの要素が変化している。
そんな流れで自分の顔を見続けていると、その時々の人生の充実度というかが見てとれる。キラキラしてるときもあれば苦しそうにしているときもある。
写真写りのよしあしはさておき(基本的に悪いんですが)、今の自分を将来の自分が見たときに恥ずかしくない生き方/映え方をしていたいものだと思う。
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要相談
タフじゃないプロジェクトはない。するのかなるのかの違いこそあれ。自分の経験上。そしてチームでやらないプロジェクトもない(以前もどこかに書いた気がする)。
プロジェクトがタフになったとき。それぞれがめいっぱいのタスクを持っている。自分でもったタスクではなく持たされたタスクだ(それがタフに”なる”ということ)。誰しもある。常々思い通りにいくことは仕事に限らずそうない。
とれる行動は4つある。
1. やらない(何もアクションをとらない)
2. やらされ感を持ちながらやる
3. そのタスクについて自分で納得する理由を見つけてやる
4. 自分で納得ができるアプローチを再構築し、チームを動かす
結論からいえば3以上の行動がとれないなら要相談。マネージャでも、パートナーでも、メンターでも。閉じこもったらアウト。
1は論外。
2は心身の健康を損なう可能性が高い。
2を続けているうちに、相談する力を失って、佳境で限界をむかえてしまって、プロジェクトから抜け、周囲に迷惑をかけるというのが最も辛いケース(1は即プロジェクトリリース。中長期的に問題ない)。
違和感を感じたら、それを自分で解消できないと思ったら、要相談だ。
友達とかだったら、その場ですぐに”それ違うんじゃない?”とか”こうしたほうがいいんじゃない?”とか”それ時間足りないからやり方考えようよ”とかいくらでもいうと思うのだけど、立場や関係が違うとそうもいかないみたいだ。
友達というと馴れ合うイメージもあるから適切でないかもしれないが、相手を信頼できていたら多くのことは率直に話せると思う。逆に、自分が率直に何も言われていないと感じたら、それは信頼されていない可能性を考えても損はない。
チームであることの意味
ひとりでやる仕事は限られている。そしてひとりでやるプロジェクトはない。参画するコンサルタントがひとりのプロジェクトはあっても。複数人でチームを組んで動く。その中で大切にしたいのが、そのチームであることの意味だ。つい忘れてしまいがちだが。それはチームの能力を最大化する、チームメンバーの成長を最大化するのに必要な要素だろうと思う。
ここに気付いてない人間は、チームだからこその成功経験を持っていないのか、isolateされた環境で能力を最大限発揮できるタイプで周囲に干渉しないか、個々人の能力最大発揮は個々人の責務であるという考え方をもっているかといったあたりだろう。
メンバーとして動く分には、ひとりで仕事をする分には上記でもまだいいがマネージャでありパートナーであり、人・組織を率いる立場になるとそうはいかない。そして冒頭のにも書いたが一人でやる仕事は限られている。
そうこう書いている自分もタフな状況ではついチームであることの意味であり、チームとしてのパフォーマンスを最大化するところへの意識が薄れてしまうことがある。
自分が優秀であること、価値があることは前提として(そうあるための努力は怠らず、でないと自分が要らなくなってしまう)、チームにも意識を伸ばして走っていきたいと思う。
ディスカッションの質
今のチームは定期的に集まって勉強会をしている。テーマは色々あるのだけど、それぞれの講師がそれぞれの分野のプロフェッショナルだし集まる人間もコンサルタントで日々プロジェクトで格闘してる集団なのでとても面白い。
ディープな内容になってくると理解に少々の時間を要することもあるが基本的に全員が理解・レスポンスが早い。そして当たり前だけどそれぞれの意見にはそれぞれのロジックが通っていて前提に関する議論であり、その置き方に関する議論であり、勿論ロジックそのものの議論、ファクトの解釈の仕方の議論、そもそものケースに関する議論、というように盛り上がるポイントは無数にある。
そんな中で切れるのはやはりパートナーだったりするのだけど、彼がまた面白い。切れ味や自分の意見におけるケースの解釈の仕方、前提の置き方、ロジックの組み立て方、いずれもシンプルに鋭いところをついているのだけど、他人の意見に対するリアクションがしなやかなのだ。
ディスカッションのレベルを3つに分けると大体次の3つになる。
・相手の話が構造的に理解できないし、自分の意見を構造的に話せない
・相手の意見は構造的に理解できないけど、自分の意見は構造的に主張できる
・相手の意見を構造的に理解できるし、自分の意見を構造的に話せる
彼は3つ目。更にいえば相手が意図していない背景や構造も自分の中で組み立てて解釈し、相手の意見の良し悪しを逆に相手に教えてあげながら自分の考えをキチンと主張するのだ(基本的に自分に素直なので、あまりに意味が分からない場合は一蹴(たまに無視?さえ)するのだけども(苦笑))。
コンサルタント(特に若手-中堅)には2つ目で満足している人間が案外多いように見える。クライアント相手であれば3つめの段階にとどまろうと努めるのだけど仲間内でのディスカッションとなった途端に2つ目になるパターン。
表面上の相手のエラーをついて、あとは自分の主張一辺倒になるパターンだ。
コンサルタントである以上、構造的にものを考えられない・話せないというのは致命的なのだけど、勿論ロジックだけがコンサルタントとしての武器ではない、これは犬の躾みたいなものだ。中には躾はなってないけど嗅覚が優れているものもいればその他様々な長所をもっている人間もいる。また多くの場合組み立てるロジックの違いは、目的の置き方の違い、状況の解釈の違い、前提の置き方の違いに拠っている。
そんな中でロジックが通ってる/通ってないというレイヤーでディスカッションをするというのはあまりに勿体無い。ましてや相手のロジックが自分の中で通らないだけで耳をふさいでしまうというのは多様なチームである価値を毀損している。そもそもに立ち返ってディスカッションし、更に価値を付加する機会を放棄している。
パートナーのしなやかなさばき(根元にあるのは純粋な知的好奇心かな)をみて、自分も時折つい忘れてしまいがちな、相手の意見をしっかり理解する、自分から価値をみつけにいく姿勢の大切さを改めて思い出した。その姿勢がディスカッションの質を高めるし、なによりチームの力を高めるのではないかと思う。
イライラの原因は自分にある
今日はちょっとイライラしていた。珍しい。普段あまりイライラすることがないので。そんな経験なのでイライラについて考えてみた。期待とレスポンスのネガティブGAPからイライラは生じる。特に他者に対しての。なぜGAPがあるのかというと、期待が間違っていたか相手のレスポンスが悪かったか。相手のレスポンスはアンコントローラブル。自分の期待が間違えていた方へ注目。
ちょっと話を戻すと。仕事に関していえば自分が他者へ期待する前には、クライアントからの期待があり、その期待を分解して自分で満たすものと自分以外で満たすものにしている。自分以外で満たそうと考えた期待に関してネガティブGAPが発生している。
全体の期待を自分含めてチームで満たせるサイズにするか、自分が満たせる期待をより大きなものにするか、他者が期待を満たせるように配慮しサポートするか、ネガティブGAPが発生した際にイライラが生じる前に他の方法を考える・実行に移すことができればいいのだという話になる。
結局のところ自分の力不足なんだなあというところへ辿り着く。普段イライラしなかったけど今回イライラしたというのは満たすべき期待が自分のキャパシティを超えていると感じたからだという話だ。自分がいきなりどんな期待にも答えられるようになることは難しい。でも最初のクライアントからの期待値を調整する部分であったり、他者への期待をキチンと伝えること、合意を形成することといったあたりは丁寧に意識にとどめておけばなんとかしていけそう(勿論キャパってモノはある。余裕無くなったら意識からとんでいくこともあるだろうけども。今回もそうだったわけだし)。
イライラをイライラのまま処理する(自分の内側でほとぼりが冷めるのを待つのも、外へ放出するのも)はあまり良いことがない気がする。内側にいつまでもくすぶっているくらいなら愚痴でも何でも発散してしまった方が良いし、その発生もとのエピソードを笑いに変えられたら大方スッキリできるけど。
前向きにはたらく何かのエネルギーにかえて行きたい。
こういうスタンスでいると、それに乗じて低いパフォーマンスのまま切り抜けようとする人もどうやらいる。そういう相手へは明確に告げる必要がある。価値が出せない、出せるようになる気がないなら去れと(今のところそういう人と一緒に仕事をしたことはないのですが)。