今日の朝日

今日は朝が早くて朝日が見られた。前に比べて時間も30分ほど遅かったので太陽の位置も違う。空の色も違うし雰囲気も違う。
にしてもまた雲ひとつない朝日。眠気も消えて元気になる。人によるとはいえ、やはり誰しもこのような朝日を浴びたら心身ともリフレッシュしてしまうのではないだろうか。
この季節、朝型の生活もいいかもしれない、なんてふと思った。
朝+夜型の今だけど。

変わらない

最近は特になかなかやることが多い。そして難易度も上がっている気がする。できる限りまず手をつける。特に初めてのものはアウトプットのイメージを固めても手を着けてみないことには必要な時間がわからないからだ。
手をつけずに寝かせてしまうと、手をつけることが億劫になってしまうし、どうも自分の中でタスクの鮮度が落ちてしまう。これまでの経験上、荒くても最初にざっとやってしまったほうが結果として筋が良いことが多い。
といいつつピークになると手をつけることさえもままならかったりするのだが。ここはやることの多さ・難しさに”自分の手綱は自分で握る”という感覚を渡さないことが重要になる。目の前のやることに目いっぱい自分を傾けることは勿論必要だが、その自分をコントロールする自分を失ってはいけない。そこを譲ってしまったらもうあとは”やれるだけやる”、”とにかくやる”の世界に行ってしまう。
そのテンションは結構面白かったりするのだが。”やってやろうじゃねーか”みたいな。
ただ、計画を持った大胆さと計画を持たないただの蛮勇は違う。あくまで前者。
と、忙しいながらこの時間に少し区切りがついたので休息をとる。
どんな状況に置かれても変わらないものもある。
おいしいものはおいしいのだ。

久しぶりの朝日

今朝は気がつくと5時近くになっていた。
寝支度を済ませてベッドに横になってみるとブラインドからオレンジの光が差し込む。
その光を受けた部屋の中にいると穏やかな夕方と錯覚する。
外を見たくてベランダに出る。
ベランダからそれを見ても、空気の温度・におい、街の音くらいを除いてしまえば太陽の周りの空の雰囲気は夕方のようだった。
シャッターを切って、覚めかけた眠気をひきとめて、ベッドに横になった。

カメラメンテナンス

土曜日は朝~夕方はオフィスで仕事。面白いように増える仕事。大きくなる責任(感?)。感じないと言えば嘘になる幾らかのプレッシャー(健全な範囲)。自分の地力・これまでの経験の咀嚼の浅さを感じながらも以前書いたとおり。やるだけ、伸びるだけ、足りないところは補い方を考える。
途中からマネージャも入って軽くディスカッション。その後は同じ会議室でお互い別の仕事。マネージャ、今日はその後家族サービスとのことでオフィスにご家族がやってくる。2年程前にホームパーティに招待いただいたことがあったのだけど、その頃赤ちゃんだった長男はすっかり子供。マネージャの奥さんには久しぶりの挨拶をして早々
”昔より貫禄つかれたんじゃないですか?”という一言をいただく。
・・・体重は当時と変わっていないと思うが・・・老けただろうか(^^;)
その後、カメラのメンテナンスへ。銀座にあるNikonのサロンへカメラを持参。保証の範囲内ということで無料で内側を掃除してもらう。初めて行ったのだけど面白かった。メンテナンスして下さる方も、1Fのショウケースのスタッフの方もとても優しい。カメラの話をすると実機に触れながら色々と教えてもらえる。
そしてメンテナンスの間に買い物。梅雨の時期(雨天時)用の靴をこれまでもっておらず、いくつか靴を少々傷めてしまったので雨用の靴を購入。後は気に入って普段使っているフレグランスがなくなったので同じものを購入。その他もろもろ久しぶりの買い物。
夜ご飯は以前一度来て気に入った豚しゃぶのお店。銀座店は3月オープンらしく基本的に社員を除く人は新しいバイトの方。コースや食材について簡単に説明してもらえるので興味のままに色々と質問する。中には事実と違う話が含まれていたりするのだけど、気がつく。
メッセージが事実として正しいかどうかよりも、問いかけに心から答えようとしているか / ”どうしよう”という不安云々よりも目の前の相手と向かい合おうという気持ちの方がよほど強く人の心を満たすのだと。
日常の仕事のにおいても重ねられる部分があるだろう(誤った情報でもいいという話ではなく)。
帰り、しばらく歩いているとライトアップされている花があった。花の名前はよく分かっていないが(ラベンダーだろうか)、その紫とそれを照らす鮮やかなブルーのライトに眼を奪われた。構図をみると自分の価値観のようなものが感じられる部分が端々にある。面白いものだと思う。

貢献ってなんだ?

移動後はホテルで仕事。
移動中に雨は上がっていたが、気がつくと徐々に雲は晴れ、うっすらと夕焼けが見えた。最近感じるのだが、仕事で求められる貢献の質が変わってきた。並行して進めるタスクの数も違ってこれば、そのタスクの重み(自分の責任範囲)も変わってきている。
大変に感じるときもあるが、楽しい。
一方で自分の力の至らなさを感じることもある。悔しいというよりはやるしかないし伸ばせばいい、自分らしいやり方を見つけられればいいという気持ちの方が強い。
”(成果を上げるために)求められている貢献に焦点をあわせろ”とはドラッガーの言葉だが、焦点をあわせること自体よりも、何が求められている貢献なのか、特にその変化を感じとることが難しいのではないだろうか。プロモーションや異動・転職等、次のポジションであり職務でありを明確に意識できる(しようと思える)イベントがあればそれをきっかけに感じとれると思うが、日常の中で徐々に変わり行く周りからの貢献というのはともすれば気づかずにそのままの自分でいてしまうように思う。
また、ここで大切になるのは主体的に自分の貢献を明示することだと思う。それができているからこそ変化に気づける(ある種仮説検証)。勿論そこには自分として関わる組織や集団に出したい貢献(自分の意義)というものがあるだろうし、そこに周りの期待とGAPがあるのなら、焦点をあわせるために関わる組織や集団を変える/遷る/つくるという選択肢も考えられるだろう。
自分の貢献、明確にできているだろうか?
それは周りからの期待と合致しているだろうか?
ここにGAPがあったとして、その原因を”周りがわかっていないから”と他責にして自分の変えられる部分/変えるべき部分をほったらかしていないだろうか?
これらを意識せずとも日々円滑に送ることができているとしたら、その居心地のよさは、本当にしたい自分の貢献へ向かう一歩を妨げてはいないだろうか?
ふと思った。