[3/3] 天より火の粉が降り注ぎ地上に花が咲き乱れる街VALENCIAへいってきた – LAS FALLAS Y OFRENDA DE LAS FLORES

バレンシア最終日。夜は思いのほか寒くて少し風邪をひいてしまったかなという雰囲気。気温はバルセロナと大きくは違わないのでおそらく日のあたり具合と気密性の違いなのだろう。

帰りの電車は終電近くのものを予約していたので、この日はほぼ終日観光に使えた。Las Fallasでご飯を共にした同級生がこの日はビーチに行く予定で、そこにおすすめのパエリヤが食べられるレストランがあるという話を教えてくれた。一緒に行こうと誘ってくれた。まずそこへ向かう。

初めて通常の昼のバレンシアの街に出る。第一印象がLas Fallasの最終日の昼下がりだったので雰囲気が異なる。来た時はほとんど歩行者天国になっていた通りが、人のかわりに車で溢れていた。

穏やかな陽気を浴びながら海近くの停留所で下車。時間があるので周辺を少しぶらぶらしていた。バルセロネタ(バルセロナのビーチ近くの地域)の規模を大きくしたような雰囲気だった。

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その後はビーチへ向い、待ち合わせの時間までのんびりぶらぶら。暑くなく寒くない調度良い気候とシーズン前で人気(ひとけ)の少ないビーチはそうするには最適だった。

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そしてレストランに着いたとの連絡を受けて集合。人数が多い方がパエリアに加えて色々なものを食べられていいよねと。メインで頼んだのは勿論バレンシアのパエリア。シーフードではないチキンのパエリアだ。美味しかった。サングリアも美味しかったし他のメニューも然り。ついぼーっとしながらご飯を食べてしまった。会話が弾んでいる中でぼーっとそれを聞きながらあれこれ考えるのが好きなのだ。もっと積極的に輪に入り打ち解けた方が良いというのをわかりつつ。次は気をつけたい。

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その後は同級生とそのパートナーと別行動で、ひとまず近くのカフェへ入る。一緒に旅をしている仲間のJapan Trek関連の電話会議のため。一部自分が関係する部分は質問を受けた内容に答えながらコルタドを飲み、手作り感溢れるデザート?を頬張る。

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話がそれる。

Japan Trekはいいものにしたいなあと思う。色々なことを進める過程で、仕事じゃないから・組織じゃないから・上下関係がないから、という理由づけでの意見を聞くこともしばしば。ただそれらはきっと本質的には関係がないんだと思う。

いいものにしたいなっていうイメージがあったらそのために何をいつまでにするべきかは考えて決めていける。いかに効率的にできるかというのも考えていける(仕組み化する等も含めて)。それを誰が担当するか・できるかという話も、当事者となる各人が決める話だ。アウトプットとその期日に責任を負えるかという問にYesと言えるかどうかだ。それだけの時間を投入したいか、できるか、と言った話は、最終的に自分が何とかするという責任のもと各人が判断する話だ。で、その判断の結果、イメージを達成するのに必要なリソースが集まらなかった場合には、イメージを変えるのか、担当範囲を拡げて頑張るのか、もっとうまいやり方がないか考えるのか、責任の発生しないタスクを他の方へ依頼するのか等考えて進めていく。

上記のアプローチには仕事かそうじゃないか、組織かそうじゃないか、上下関係があるかないか、は関係がない。カタい語彙を使えば(僕は使ってしまいがちだが)仕事”らしく”感じるということもあるのかもしれないが、本質的にやっていること・とっているアプローチはきっと普段と変わってない。

みんなでやろう。そういう考え方は仕事では勿論プライベートでもしないんじゃないだろうか。仕事でもプライベートでも、みんなでやろうというのは誰にも責任を負わせずに成り行きに任せようということだ。ついでにいうと、できるだけ早くやろうというのはいつまでにやるべきか期日が決まるまではやらないということだ。だから成り行き任せでは上手く行きそうにないものに対してはプライベートでもみんなでやろうとは言わないだろう。

一方で、最初に書いたような理由づけで何かを悩んだり逡巡する人がいることは事実だ。人によって言葉の捉え方も普段の考え方も異なるのだろうから、そこは僕がキチンと理解せねばならないししたいと思うところだ。

Japan Trekの準備を通じて感じている面白さのひとつだ。国を跨がなくたってこれまでのバックグラウンドが異なれば、そこには多様性が溢れている。

ということで話をバレンシアの昼下がりに戻す。

旧市街へ戻りまず向かったのはカテドラルとミゲレテの塔だった。仲間の話によると(今回は頼ってばかりだった)バレンシアの街並みが一望できるとのことで、塔に登ってみた。調べた所螺旋階段は208段あるとのこと。昇り降りを終えたときには若干膝が震えていた。眺めは素晴らしいものだった。

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で、この塔から街を眺めていて気づいたのは広場に人だかりができているということ。そしてどうやら花であつらえた何かが人を集めているのだということ。どうもそれがOfrenda de las Floresという、Las Fallasの後半に重ねて行われるイベントに関係するものではないかという話で、早速向かってみる。

広場には沢山の人、そして花。昨晩はおそらく火の海であったであろうこの広場が変わるものだなあとしみじみ。

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そして次に向かったのはセラーノスの塔。先ほどのミゲレテの塔のようなイメージを持っていたが実際に目の前に現れたのは砦のような重厚な建築物だった。

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そして次に向かったのがラ・ロンハ。15世紀末に建てられた商品取引所であり、世界遺産登録がされているとのこと。バルセロナで見る建築物とはまた趣が異なり美しかった。

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こちらはラ・ロンハを出た後に通りすがった教会。

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その後、閉まっている市場を横目にフラットへ戻り一息ついて荷物をもって帰途についた。帰りの電車は時刻通りにやってきて、バレンシアを後にした。

これにてバレンシア旅行はおしまい。

楽しかった。そしてこれからが楽しみだ。スペインで訪れていない都市はまだ幾つもあるから。

 

[2/3] 天より火の粉が降り注ぎ地上に花が咲き乱れる街VALENCIAへいってきた – LAS FALLAS Y OFRENDA DE LAS FLORES

インド人の同級生とそのパートナーの方と合流して、お祭りが本格的に盛り上がる前に早めに夕食をとろうという話があった。

その待ち合わせまでまだ時間があったので、最後の夜が始まるに際してパレード?があるようでそれを見に行った。

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まだお祭が本格化する前にして、それはもう僕の想像の及ばない様相を呈し始めていた。パレードの一角が見えたと思ったらもう辺り一面煙と火薬の匂い、少し遠くには宙を舞う数々の花火が見えた。

そしてパレードを見る人の群れに辿り着いた。遠くから見えていた火花が何であったのかを理解した。幸か不幸か、僕らの立ち位置の辺りでちょうど花火が消え始めるようで、火花のボリュームは小さかった。

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その後無事合流し軽くご飯を済ませる。その間に小さい張子(Falla)への点火がスタートしたようで外からは一層多くの爆竹の音と人のざわめきが聞こえてきた。そんな喧騒から一歩離れて談笑しながら飲んだビールはとても冷えていて美味しかった。

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外に出て、僕たちは今年最大のFalla(という話だったと思う)が燃えるのを見ることに集中しようという話になった。これまで見て来たように多くの張子があり、フィナーレを飾る会場も別にあるのだが、街はもはやそれらを時間内に移動できる状態にはなかった。

向かう途中目にしたのは既に姿を失った小さいFallaであった。こうなってしまうのか、と喧騒の中にあっても一抹の寂しさを感じた。こんなにもキレイになくなってしまうものなのかと。(奥の大きい張子はもっと遅くに燃やされる)

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そして炎を上げている小さいFallaも目にする。諸行無常を感じた。

加えて、こんな狭い所でこの大きいのもこの後燃やされるのか・・・周りの建物は大丈夫なのか、この距離で見ていても大丈夫なのか、等いくつかの不安が頭をよぎった。

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その炎が消えゆく様を静かに見ていたいという気持に後ろ髪をひかれつつ、僕らは今年最大のFallaのもとへ急いだ。

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そしてそれを目の当たりにした時に僕が感じたのは2つのことだった。1つはその大きさと構造の手の込み具合の凄さに、そしてもう1つはこのサイズのものをここで燃やしたら周りの建物はどうなってしまうんだ、ということだった。先ほど頭をよぎった不安であったが、いよいよどうなるんだろうと。

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このFallaに火を点すまでまだ時間があったので極力前方に陣取り待っていた。頭の中に、夕方に合流した仲間から聞いた、昨年この祭りに参加された方の声が頭をよぎった。

燃え上がる張子の炎は想像以上に熱く近くで佇んでいることは不可能だった。そして燃えた火の粉が上空から自分達に降り注いでくるため非常に危険だった。

己を守るために、自分しかいなかったが、カッパを着ていた。

この大きさにしてこの距離でいいのだろうか。もし熱かったとして、距離をとろうにも後ろには満員電車さながらの人人人。距離をとれるのだろうか。ただ、カッパは持っていないが周りの人も持っていないし、それは大丈夫なのだろうと思っていた。

ちなみにスペイン語が堪能な同級生が周りスペイン人の方々から聞いた話によると、これは風刺を含んでおり、各キャラクターが欧州の政治家をイメージしてつくられているとのことだった。

そうこうしているうちに、日帰りのバスツアーで来ると言っていた同級生を互いに発見。写真に収めた。ピンぼけを防ぐことはできなかった。

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点火予定時刻は24:30。その時になると人々のざわめきもいよいよ大きくなる。点火前にFallaの目の前で取材をしていたTVリポーターの方へは明るく、大声で”はやくどけ”コールがなされる。怒った雰囲気の一切ない明るさが好きだ。

そんな中で僕は驚いたことがあった。自分たちの前には数人の若者がおり、とてもカジュアルな格好でお酒を飲んで談笑しながら待っていたのが、点火が近づくと、おもむろにフードをかぶり、ジッパーを閉め、首にしていたバンダナを口を覆うようにして巻き直したのだ。

未経験ながら、カッパがあったらよかったんじゃないかと思った。遂に僕の想像力でも昨年参加者の方の気持ちに手が届く状態に至った。

が時既に遅し。

照明が落とされる。導火線に火が点され火花がチリチリと小さい音を立てて動く。

まずは点火前のセレモニー、打ち上げ花火だった。幸か不幸か無風だったため真上に上がり、火花が真下に、即ち自分たちの下に降り注ぐ。

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 花火が終わり、視点を前に移した時には既にそれは始まっていた。僕はほとんど言葉を発することなく、ただただ目を奪われ、シャッターをきっていた。

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最小限の消火も同時に行われているようで、結果、大粒の火の粉や灰と小雨が同時に自分たちに降り注ぐ事態となった。怪我はなかったが気がつけば全身煤けていた。

確かに熱かったが身動きがとれなくなるのではというのは杞憂であった。なぜなら気がつくと人の群れごと後ずさりしていたからだ。

全員煤けながら一足早く人混みを抜け、フィナーレの会場へ向かうことにした。大きいFallaに火を点け始め、こうして燃え盛っている時間帯は、不思議なほど街は静かで、人の動きもまばらだった。

ただ、街の幾つもの場所で狼煙が上がっているようで、空の赤い方角もあれば黒煙の立ち上っている所も見えた。その様は、僕に、これが祭りであることを一瞬忘れさせた。

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メインの会場は既に人に埋もれていて近づけない状態だった。ただ、その会場についた時に僕達全員が驚いたのは、遠くに立ち上る巨大な火柱でも、けたたましい爆竹の音でも、打ち上げられている数々の花火でもなく、その人混みの中で掲げられているスマートフォンでありデジカメでありといったガジェットの多さだった。一方でどの角度からならフィナーレがうまく見えるか場所を探しており、そうこうしている間にそのガジェットの多さが表せる写真を撮れていないことが心残りだ。

最後にはこれまでに見たことがないほどの高さ、そして近さで火の粉が舞う姿を目に焼きつけ、帰途に着いた。

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爆竹の音もいくらか落ち着き、人混みもまばらになった帰り道になって初めて、少し高揚感こそあれど、静かに燻る炭になったFallaを見て、心を落ち着かせることができたような気もしなくもない。

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フラットに戻って軽く飲み、学生らしく色々な話をしてそれぞれの寝室へ戻って行った。フラットの明かりの下で、それぞれがいかに自分たちが煤けていたかに気づかされて笑った。

祭りに関係ない話になる。寝る前、僕は心地良い疲れと眠気を感じながらおそらく人生で最も大きい類であろう勘違いに気づき、こんなことが現実にあり得るのか、とまさに狐につままれたような気分で眠りに落ちていった。

次の日、この祭りとは異なるバレンシアの顔を見ることになる。

-つづく-

[1/3] 天より火の粉が降り注ぎ地上に花が咲き乱れる街Valenciaへいってきた – Las Fallas y Ofrenda de las Flores

今週の水曜木曜はバレンシアへ行ってきた。スペイン3大祭りのひとつ、サン・ホセの火祭り(Las Fallas)に行ってきたのだ。3大祭りの残りの2つはセビーリャの春祭り(Las Feria)とパンプローナの牛追い祭り(San Fermin)だ。

ねぶた祭のような張子(Falla)が大小いくつも街中に飾られており、それが最終日の夜に、1つを除く全てが燃やされる(その1つは火祭博物館へ永久保存される)とのこと。

大きな炎に照らされながらその燃え尽きるさまを静かに見守る趣ある情景が頭に浮かんだ。何て風流なお祭なんだろう、そういう静かで趣きのある夜を過ごせるなんて素晴らしい。パチパチと音を立てて燃え、形を失っていく張子の写真を撮りながらMBA生活を振り返ってみるのもいい経験になるに違いない。是非行ってみたいと思い、スケジュールを調整し、行ってきた。

バルセロナから電車で3時間と少し。バルセロナ発の電車が何事もなかったかのように2時間遅れたが、ホームで偶然あった同級生と話したりケースを読んだりアサインメントを進めたりしゃべったりして過ごし、無事電車に乗り込んだ。

バレンシアの駅に降り立つと既に多くの人で溢れていた。僕らと同様、19日のLas Fallasのフィナーレ(と闘牛)を見に来られている方々だろうと思う。

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駅を出ると外は既に多くの道が歩行者天国になっており、人通りもとても多くなっていた。お祭りらしく、多くの出店や大道芸人?が人通りを賑わせていた。

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初めてのバレンシアは道の広さと建物から、バルセロナよりも大きくそして歴史を感じさせた。

当初の想像よりスケールの大きい街と人の群れに僕は想像をアップデートした。当初考えていたような静寂の中燃えていく張子とそれを見守る人、という雰囲気ではない。ルミナリエのような感じではないかと。

滞在するフラットへ向い、荷物をおろし、仲間と合流し、祭りへと繰り出した。仲間がAirbnbを使って借りてくれたところだ。4名で泊まるのだがベッドルームが4-5つあり、7-8人で泊まれる大きさの家だった。この時期バレンシアのホテルの価格は高騰していたようだが、リーズナブルな価格で宿を確保することができた。自分で使ったことのないサービスだったが今後使ってみたいと思った。

街へ繰り出し、僕は想像を再度アップデートした。ルミナリエのような雰囲気でもないと。2つの情報が加わったからだ。

まず合流した仲間より、昨年参加された方からの情報を得た。聞く所によると、その方は、

燃え上がる張子の炎は想像以上に熱く近くで佇んでいることは不可能だった。そして燃えた火の粉が上空から自分達に降り注いでくるため非常に危険だった。

己を守るために、自分しかいなかったが、カッパを着ていた。

と言われていたとのこと。

次に、いざ街に出て祭りが始まらんとしている中歩いていると、遠くで近くで、いたるところで爆竹が鳴らされているということだった。

ただでさえなる度に肩を びくっ っとさせていた。時折、今のは銃声ではないのか、という位大きい音も聞こえてきた。もはや、僕たちは近くで小さい火花が見えた時点で自ずと耳を塞いで歩くようになっていた。

例えそれが爆竹ではなくただの花火であったとしても。そして周りの人々に笑われようとも。

出店で軽くご飯をつまんで、いよいよ街中に飾られている張子(Falla)を見てまわった。これら全てがこの一晩で灰になるのだというのはにわかには信じられなかった。爆竹の音にはなかなか慣れなかった。

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こうしている間に暗くなり、いよいよ全てを燃やすフィナーレに向けて祭りは動き出した。その間、街の一角では音楽に合わせながら踊り歩く一団もいて、人の密度もいよいよ高くなり、相変わらず鳴り響き続ける爆竹もあり、一方では小規模なルミナリエのようなライトによる装飾も街に施されていた。

 

僕はLas Fallasへのイメージ、先入観を捨てることにした。

 

-つづく-

 

アントニ・ガウディの最高傑作と名高いコロニア・グエル(Colónia Güell)は、凛として、それでいて優しかった

この金曜日は晴天に恵まれかつとても暖かくおでかけ日和であった。なのでバルセロナにありながらなかなか足を伸ばす機会のなかったコロニア・グエル(Colónia Güell)へ行ってきた。

コロニア・グエルはサグラダ・ファミリア、グエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・バトリョ等のアントニ・ガウディの代表作と並び世界遺産に登録されている。しかしそれは他のガウディ建築とは異なり、バルセロナの中心部から1時間弱程度れた人気(ひとけ)の少ない場所にひっそりと存在する。

家の近くからバスでエスパーニャ広場へ向い(20分程度)、そこから電車に乗り換えて最寄り駅となるコロニア・グエルへ(20分程度)、そこから歩くこと10分程度でたどり着く。

_aDSC6143コロニア・グエル駅は建物は新しく綺麗だが無人。駅を出るとバルセロナ市街の喧騒はもはやなく、小鳥のさえずりとたまに通る車の音だけ。一面に空と緑が広がる。市街は遠くに見える。

_aDSC6147_aDSC6153少し坂をのぼって進むと公園のように整備された緑、そしてその中には桜らしきものも。8分咲き位。

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教会に近づくにつれて松が増える。それにしても、おそらく平日の昼下がりということとも手伝って、人がおらず目には青空と溢れる緑と白い建物、耳には風に揺れる木々の音と小鳥のさえずり、という環境にとても癒やされた。

やはり田舎が好きだ。

教会に辿り着くも、別の場所で先にチケットを買う必要があるとのこと。案内に従ってチケット売り場へ。小さな博物館が併設されており、見学してきた。その建物の中に居たのはおそらくそのスタッフの方と僕だけだった。写真は全てOKとのことだった。

_aDSC6166 _aDSC6174もともとこの辺りは繊維系の工業地帯であったということで、どのようにして綿花から布ができるのかという工程の説明であったり(日本でもどこかで似たものを見た記憶がある。地元の民俗資料館だったろうか。時代は異なるのだが)がなされていた。

そしてきた道を戻り、コロニア・グエル教会堂へ。入り口にひとりいたスタッフのかたはとても気さくで良くしてくださった。写真はフラッシュもOKよ、とのことだった。立入禁止のゾーンにさえ入らなければと。

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他に人がおらず、ひとりでその世界に入ることができた。空気は外より少し冷たく、西側から差し込む暖かい光に照らされ、沈黙の中に自分の足跡とシャッター音のみが広がった。

サグラダ・ファミリア、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園でみたどの建築物とも異なる雰囲気であった。

どれよりも優しかった。

観光用の顔をしていないというのだろうか。綺麗に手入れは施されているが決して着飾っているようには感じられなかった。それが自分にとってこの地下聖堂を自然に、身近に感じさせてくれて、それが優しいと感じられたのだと思う。加えて、こじんまりとした空間、有機質に感じられる壁・天井、学校を思わせる椅子、穏やかに差し込む陽の光、暖かく光るステンドグラス。この辺りが僕に親しみを抱かせ、優しいと感じさせたのだろうと解釈している。

昨年の1月にジローナのカテドラルへ入った時も他に人はおらず、静寂の音が聞こえる程に静かであった。その時にはその荘厳さに何故か涙が滲んだことを覚えている。その時との感覚の違い – その荘厳さに圧倒され涙するのか、そうではなく包み込まれるような優しさを感じるのか – は上記の違いによるのかなとふと思った。勿論外的・物理的な違いにとどまらず、自分の内面であり、なにかそういった考えを超えるものも作用しているのかもしれないのだが。

気が済むまでその雰囲気の中に身を置き、写真を撮っていた。ちょうどそろそろかなと思った頃にちょうど数人他の方々が来られた。

そのタイミングで地下聖堂を後にした。

帰り道、家の近くを歩いていると、ディアゴナル通り(バルセロナを東西にはしる大きい道路)の遠くが鮮やかな金色になっていた。

_aDSC6302とても綺麗な夕暮れになると思い、家路を急いだ。自分の家か屋上からならもっと綺麗に見られると思ったので。

_aDSC6309結果、夕暮れのタイミングに間に合わず、かつ角度的に夕日が山際に沈むの様は見られないことに気づかされた。

ディアゴナル通りが綺麗だったので、写真に収めて帰った。

スペインの冬の風物詩、カルソッツ(Calçots)を食べてきた。白ネギを甘く柔らかくしたようで美味しかった

今日は同級生の有志で集まりカルソッツ(Calçots)を食べてきた。カルソッツは白ネギを柔らかく甘く短くしたようなものでスペインの冬の旬の野菜だ。炭火で焼き、焦げた表面を剥がし、とろとろになった中身を特製のソースをたっぷりつけて食べる。その様子はカニを食べるのに近い。

昨年のこのシーズンはカルソッツを食べる余裕はつくれずにいたので初になる。とても美味しかった。

_aDSC6120各自ビニルエプロンをまとい、片手にはビニル手袋を装着し、ネギをとり、表面を剥がし、ソースにつけて食べる。カニほど無言にならない間でもその過程は近い。山のように積まれて出てきた炭火焼きのカルソッツは瞬く間に減っていく。相当の量があったものの。

その後はパエリアしかりメインディッシュのお肉しかり、幾つかのオススメの料理をいただく。

パン・コン・トマテ(硬めのパンにトマトとニンニクをすり込み塩とオリーブオイルで味付けするもの)は自分たちでつくるように食材が用意されていた。

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_aDSC6136久しぶりに集った仲間ということもあったし、そこには新たに生を受けた仲間も加わり、笑顔あふれるとても良い会だったと思う。昼過ぎから夕方までカルソッツに加えて美味しい料理とお酒を楽しみ、その後は数人のメンバーで家のみ&バーのみ。

_aDSC6140仲間の家で美味しいポルトワインをいただき、その後バーへくりだしゆっくり飲む。

あっという間にここまできたMBA生活を振り返りながら、残り少ない卒業までの期間を濃いものにしたいと思うし、そのためにも4月のJapan Trekを良いものにしたいと思う次第。