急遽親が来て向かった先はボディーチューニストなる方のもと。接骨やら整体やら気導術やら色々な東洋医学?をおさめられた方が個人でひらいているところだ。親が趣味?でそれらを習っていたためその人らとつながっており、実際に治療をしてもらいにきた次第。そして結果自分も治療をしてもらうことになった次第。
結果、治療と講義のハイブリッドの時間を過ごす。両親と自分。治療時間はひとり1.5~2時間。
職業上というよりもともとの性格だろう。何事も基本的に自分を納得させるまで信じないのだけど、話を聴いているとまあそれなりに筋が通っている。一部筋が通っていないことを認めながら、相手が信じられる/納得できる言葉がまだみつからないのだという話もでてくる。なるほど。
特に言葉には出していなかったのだけど身体を色々と診られているうちに”基本的にまず疑って入るタイプですね~”っとさらり。顔にでていたのか、それとも身体がそういっていたのか(先生の解釈は後者)。
いずれにしても身体は緊張がほぐれて軽くなった。素晴らしい経験だった。マッサージしながら話をしていく過程で、1枚1枚緊張の鎧を外されていくような感じだ。そして往々にしてその鎧は無意識にまとっていたりする。身体にしても精神にしても。外して初めてまとっていたことに気がつくのだ。
自分の仕事を思い出した。このからだを企業に置き換えると自分の仕事に通じるものがあると。
そう考えながら治療を受け、言葉を聴いていると学べることはいくつもあった。
#治療後外に出てみると遠くの方で空が二層にわかれていた。このGWに晴れ間をみることができるだろうか。
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突然
GW1日目。突然両親が上京するとのこと。
幸い特別予定は入れていなかったので今日はまず夕食を共にする。行った先はどれ味。おいしいしスタッフの方も明るくパフォーマンスも面白い。何度か行って気に入っているお店だ。
急な話だったので特に何も考えずにお店を選んだのだが、母親は東京に来る前に、もんじゃ焼きとかお好み焼きが食べたいと父親と話していたとのこと。
”なんか最近願ったことがどんどんかなっちゃうわ~♪”
と言っていた母親が印象的だった。
(きっと当たり前のはずなのに改めて気づく)身近なところに学ぶべき人がいるのだと。
明日は用事を済ませて両親と共に帰郷予定。今年のGWは短いけど地元では昔からの友達との遊びもアレンジしている。濃いGWを過ごせそうだ。
まずやってみる楽しさ
昨日はちょっとお祝いしたいことと、それをする機会があった(かなり曖昧)。
そこでその人に似合いそうな花を選んで花束をつくってもらい、それを渡す。そこには小さいステージがあって、少しのaudience(知らない人)がいて。そんな中マイクを持って一言二言話をする。そしてお祝いしたい人に言葉と笑顔を添えて花束を渡す(まるでスピーチになっていなかったので笑顔でごまかす)。そんな風景が拍手で包まれる。
この場にいることができたことも、
その場で花束を渡すことができたことも、
渡す時にステージで少し話をするという演出がなされたことも、
過去を辿ってみると、ほんのちょっとしたきっかけ、それに対するほんのちょっとのポジティブな姿勢の積み重ねのおかげだったりする。
もともとその音楽に興味があった訳ではなかったし
サプライズが得意だったわけではなかったし
ステージで話をして花束を渡すなんてキャラクターでもなかった。
でも、
その音楽は奥が深くて、それがある空間は居心地が良いし、
人に驚きと喜びが溢れる瞬間っていうのはとても幸せだし、
その中幸せな瞬間に自分に立ち会えるというのはワクワクする。
過去の自分がまだ入っていない領域に自分を持っていく。躊躇せずまずやってみる。
仕事に限らず、どんなことにおいても、きっとそれは想像以上に敷居は低くて、想像以上に楽しいことだと改めて感じた。そして、そういう領域の存在を教えてくれる人、そこに自分をひっぱってくれる人に、そのきっかけに心から感謝だ(^^)
・・・花束の写真とっておけばよかったな(^^;)
その一瞬のときめきを
気がつけば前のエントリーから1週間近くが経ちます。(できるだけ)日々エントリーを心がけていたりしたので少し驚きました。色々とやることがあるのは今に始まったことではないのですが、ゆっくりと一日を振り返る時間をとれていなかったですね。
そしていったんそういうモードになってしまうと、こうして少し時間をつくることができても、書くことが思い浮かばなかったりするわけです。まさに今。
そして思い出してタイトルを編集しました。
週末にジャケットを買いました。季節的にもう今春着られる時間は限られているのですが自分の中で納得のいく買い物だったと思っています。
服等日用品?の買い物に限りませんが、だいたい一目あったときの感覚がものをいいます。一目あったその瞬間のときめきを疑って、他のものを眺めてみても、大体が最初にときめいたもののもとに戻ってくることが多いです。
勿論その良し悪しをすぐその場で判断しようというのはあまりに早計ですが。
インスピレーションを信じて行動して(良し悪しはさておき)結果を出してそこから学ぶ。その繰り返しで自分の感覚を磨くのもよいと思います。
従って取り返しがつかなくなるほどのことは(個々人の性格や条件によりますが)よくよく考えればあまりないものです。
ラストフレンズ
おそらくここ何年か見たいドラマというものがなかったのだけど、最近見ているのがラストフレンズというドラマ。
登場人物それぞれが何かしら”傷”だと認識している出来事を抱えているようで、その凹凸が補完しあった結果いびつな関係として成り立ってしまったり、ぶつかりあうが故に一般的に大切だと思える関係を成り立たせることができなかったり。普段は普通に振舞えているのに、ふとしたきっかけで必要以上に傷を守ろうとする衝動に駆られて走ってしまったり。
そういった、きっと誰しもが大なり小なり抱えている部分を前面にだしたドラマだと思っている。
私は普段人を観察する癖があって、許される雰囲気だと思える場があれば口を開くこともなく人を見ている。それぞれが選ぶ言葉、スピード、抑揚、声色に、それぞれの目の動き、顔の筋肉の使い方、身振り手振り、タイミングに、その人の行動の意図やおそらく望んでいる相手の反応を感じる。
このドラマを見ていても同じ。(演技とはいえ)それぞれのキャラクターを観察する。
ちなみに今日、第3話の中で最も印象に残ったのは及川宗佑(錦戸亮)が藍田美知留(長澤まさみ)に抱きしめられてこぶしのやり場を失うシーンだ。
書き始めるときりがないのだが、このシーンには愛するという気持ちを伝える行動の選択肢であり、愛されていることを認識した結果返す行動の選択肢でありが、彼らが普段選択してしまう、結果としてDVと表現されるかたちに収まらないものだった。
特に及川宗佑(錦戸亮)が愛されることを認識した結果返す行動の選択肢に気づけないこと、ひいては愛されるという経験を今までしてこなかった、もしくはそう解釈できる行動を他人から受けられなかったということを感じさせるシーンだった。
日々触れる誰しもがそれぞれの過去を持ち、その結果、時に無意識に外部からの刺激に対する反応を選択している。どのような行動を目の当たりにしても、”意味わかんないんだけど”で終わらせずに相手のコンテクストに考えをめぐらせるゆとりを持ちたいものだ。
勿論自分に対しても。