心が解ける風景

普段仕事をしていると、目に入れる風景を目の前や足元に限定してしまいがちだ。
実家に帰るたびに田舎の空の広さや緑の多さを実感するが、東京でも空の広がりを感じられる場所がある。
それがここだ。
晴れた日に、東京駅を丸の内側にでると広がる空。あわただしく時間を過ごしていてもそこに目をやると心を解かれる感じがする。
頭がふっと軽くなるような。
心がスッと落ち着くような。
体の緊張がふわっと解れるような。
そんな感覚だ。
こうしてフレームにおさめたとたん窮屈に感じてしまったりするのだが・・・。

携帯から


この週末は法事のため実家へ。
来てみると何とも天気がいい。空は青く澄んでいるし、半袖一枚でも出掛けられそうなほど暖かい。
昼までに法事を済ませ、久しぶりに家族全員で食事。変わらない雰囲気に安心して馴染む。
その後海を見にいってから、ぶらりと買い物へ。今くらいの時期は何を着ていいのやら迷う。結局何も買わずじまい。
海でも買い物でも、カメラを持ってこなかった自分にとっては日差しも煌めく波も日を隠すビル達もがうらめしく思えた(^^;)

フィット

日曜日は夕方頃から買い物に繰り出しました。
欲しいものもそれを売っているお店も決まっていたのでなんら問題なく終わる予定だったのですが、気がついてみれば予定外の買い物をしていました。
靴を買ったのです。
決め手はフィット感でした。サイズがちょうどいいという表現では足りないくらいに足にフィットしたのです。
これまで靴は慣れるまでなかなか時間がかかり、それまでつらい経験をしていました。これが必需品でした。その靴を履くたびに2枚ずつつかうことを考えるとなかなかの出費になってしまいます(それも痛い)。それでも喉もと過ぎれば何とやら~、で靴を買っていました(勿論できるだけ回避するよう、靴購買要因を頭の中でくるくる計算しながら見ているつもりでいても、結局一目ぼれの誘惑には勝てない)。
ところが今回はぴったり。シンデレラみたいなものです(え?)。
一目ぼれしたものがまさに自分にフィットする(自分”だけ”ではないと思いますが)。それがいかに幸せなことか実感した日曜日の夕方でした。
素材やデザインというのも大事ですが、自分にフィットするか、心地よいか。靴に限らず身に付けるものはそういった観点が大切だなと気づけた気がします。

今年初

今日は今年に入って初めて髪を切りに行きました。
前回切ったのが去年の12月後半、かれこれ3ヶ月半以上切っていなかったことになります。
久しぶりにばっさりきって(といってもそれなりの長さなのですが)、スッキリしました。
次ぎ行くのはいつになることやら。。。あの美容院の騒がしくも(切られる側は)ゆっくりできる時間、結構好きですしあまり遠くならないうちに行きたいと思います。
通い始めた頃はスタイリストだった担当の方も今では副店長になられています。
歳は少し担当の方が上だと思うのですが、とてもジェントルで、面白い話をしつつも謙虚な姿勢は崩さず、それでも美容師としての自分なりのポリシーはしっかりともたれている。とても好感の持てる素晴らしい方です(勿論腕も素晴らしい!)。言葉の端々からプロ意識を感じますし、自分の仕事を顧みるきっかけにもなります。
昔は、美容院は何か違うなーと思うとすぐ変えてしまっていたのですが、この方にお願いするようになってからはお店を変えることなく安定しています。
また、サーフィン好きで、サーフィンの話をし始めると止まらなくなってしまうのだとか。
今日も、その話を聞いていたら途中で、”済みませんお客様商売なのに自分の話しばかりしてしまいました。。。”と。
それが全く苦にならない、むしろもっと聞きたくなるのはその方が本心を素直に話していただけているからだと感じました(私はどちらかというと聞き手になる方が得意だったりするので、目についたり思いついたりしたことについてついつい聞いて、話してもらってしまうのですが)。
海には人の人生が凝縮されていると言われていたのが印象的でした。
自然から学ぶこともしていきたいなと思いました。
その後はぶらぶらしながらカフェにはいってひたすら読書の1日でした。

メリハリ

生活にメリハリをつけ始めた。何のことはない、2つのルールに従うだけなのだけ。
1つはPCを仕事につなぐ/つながない時間を明確に決めてそれに従う。
1つは上記のPCを仕事につなぐ時間の使い方を明確に決めてそれに従う。
当たり前だなあと思うと同時に、知っているということとできるということはこうも違うことなのかと感じる。
そしてやってみると頭が軽くなることに気づく。
PCを仕事につないでいなくても自分がつながってることは往々にしてあるが、それにしても頭が軽い。
これまで無意識のうちに仕事=手元にPCという考え方をしていたけどそれは適切ではないのかもしれない。もしくはPCを開くことにマンネリ感を覚えてしまっているのか。
なぜならPCを閉じていた方が上記の通り頭が軽くなって色々と思索を巡らせられる自分がいるし、それはPCを閉じるだけでそれを非日常と感じてリラックスしてしまうような状態にあったのかもしれないから。
目的を遂げるための手段。今一度幅広く捉えたい。