行動から学ぶ哲学

HBR4月号のBRAIN FOODの1つ、”BCG流チーム・ビルディング”が関心をひいた。
簡単にまとめると、

心に残るアドバイスというものは人の言葉ではなくて行動に宿っているものだ。だから他人の行動を観察し、行動を良く見てその哲学を理解して、それを自分流で取り入れていくことが大切だ。

という話だ。
そして具体的に、そうして行動から得られたアドバイスとして、敢えてでこぼこした(それぞれが異なった部分でとがっている)チームをつくること。その中で、各人がとく意図する仕事に取り組むように導き、その能力を最大限周囲に見える形で発揮できるように支援することの大切さをあげている。
チームで仕事をする時にはそれぞれが異なるバックグラウンドと仕事に対する動機付けをもっていることがほとんどだ。だからその中ではお互いに理解しがたい言動があったりもするし衝突もある。
そんなときに、1つ1つの言動に対して過敏に反応する前に、まずその言動の裏にある哲学を理解する必要があると思う。本人が自覚していなくとも、一貫性がないように見えても、その言動の裏にはどこかで一貫して繋がる当人の哲学があるのだから。
それを理解して、多様性を持ったチームから、誰しもが誰しもからできるだけ多くのアドバイスをもらって成長することができれば良いと思う。
そしてチームの中でそれぞれがそれぞれだからこそできることに集中できる環境とそれを認めあう文化をつくることができれば良いと思う。
チームのメンバーの立場からもマネージャの立場からも学びのある内容だった。

人生を切り開く「学び」の極意

人生を切り開く「学び」の極意―ローランド・ベルガー会長 遠藤功氏
改めて成長とは何かを考えさせてもらえた。
一部、印象に残っている個所を抜粋。
心に灯がともっていることを確認することができた。

学びの目的は主観を磨くこと
 そもそも勉強って何か。私は「自分の主観を磨くこと」だと思います。自分の思い、気持ち、意見は全て主観ですよね。どんなに客観的に分析をしても、最後は自分の主観で判断して、人生を切り開いていくわけです。
 人間は勉強しなくても主観を持っています。でも原始的なレベルで放置するのではなくて、主観を磨くために鍛錬する。主観の品質を高める。そして「こう思う」「これをやりたい」と主張するわけです。その主張に対して相手が「やる気があるな」「なるほどな」と思ったりします。そこに人生を切り開く突破口があるのです。
 コンサルタントは客観的な人間だと思われているが、数字やロジックを並べてもお客さんはまったく動いてくれません。最後は自分の思い込みで「おたくの会社こうすべきだ」と言い切る。その主張は、証明や裏づけが不十分かもしれない。でも社長は「そうか」と受け止めるわけです。客観的なデータだけで言っても、相手は全然反応してくれないわけです。「言っていることは、もっともらしい。でも何か気持ちがない」となる。一流のコンサルタントというのは、自分の主観をぶつけて、それをお客さんが飲み込んでくれる人なんですね。
 そうは言っても単なる思いつきではだめで、思いつきというものを吟味して、揉んで、裏づけをとって、客観的な分析というのがあって、主観を論理的に説明する能力がなければいけない。質の高い主観というのは洞察、本質を見抜いているものです。
強靭な信念は客観を超える
 マザーハウスという会社があって、山口絵理子さんという20代の起業家がいる。起業家の賞を受賞して、メディアで売れっ子になっています。何をやっているか。バッグを作っている。どこで作っているか。バングラデシュです。世界の最貧国で、ジュート(黄麻)を使って、日本で売れるようなバッグを作っている。
 彼女は元々、国際貢献がしたいということで、国連の機関でインターンをし、金だけばらまいて現地に根ざした貢献ができていない現実に直面した。そこでバングラデシュに飛んでみたわけです。そして考えた。「私に何ができるのか」と。
 「ジュートを使って日本を始め先進国でも、高いお金出して買ってもらえる商品を作る。彼らが誇りを持って売り出せる商品を作って、自分たちで稼ぐようなことをやっていかないといけない」。そう彼女は感じたわけです。これは「主観」です。
 ビジネススクールで分析したらその合理性は説明できない。早稲田のビジネススクールでケースとして取り上げた経験がある。バングラデシュで、ジュートを使って欧米など先進国で売れる商品を作れるか、可能性を検証しなさいという宿題を出した。GDPは低い、インフラは整っていない、カントリーリスクは高いと学生たちが分析するわけです。そしてみんなNOだった。こんなビジネスは成り立たないと。多分、私でもNOです。
 でも彼女は現地で工場を建てて、従業員も雇って、日本で売っているわけです。これって何なのか。彼女の強靭な信念というのは、数十の軟弱な出来ない理由を駆逐した。MBA的な知識を使えば、「出来ない」という証明はいくらでもできる。しかしそれは、「出来る、やる」という思いを覆すものではないということです。
 自分は何をやりたいのか、何ができるのか、何を目指すべきなのか。腹から沸きあがってくる強烈な思いを常に意識して勉強してほしい。単に知識を詰め込んでも、ビジネススクールで学んでも、強い主観は見つかりません。自分の心の中で探すものです。

不動心

不動心
松井 秀喜 (著)
タイトルと著者に引かれて衝動買い。
自分に対する厳しさと優しさのバランス。その根底にある平常心。
詳細は後ほど。
[2008/3/6 23:44更新]
結構な時間が経ってしまったのだけど更新。
この本を読んでいて感じるのは松井秀喜という人間の人としての成熟だ。
その成熟というのはバランス感覚なのかなと感じている。
自分の未来における使命と、自分が抱えている未熟さ/変えられない過去とのバランス。
自分のプロフェッショナルとしての意識と環境の変化や文化の違いを柔軟に受容れるバランス。
平常心を忘れない努力をする一方で、プレッシャーに思いっきり浸る必要性も理解するバランス等。
バランスをとることと、今の自分がバランスを取れる範囲に自分を閉じ込めることの違いを理解しつつ、プロとして自分のやるべきことに集中していきたいと思う。
印象に残った言葉を以下に一部抜粋する。

僕は困難に直面した時「今、自分にできることは何か」と自問します悔やみ、落ち込むしかないのでしょうか。多くの場合、そんなことはありません。きっと、前へ進める選択肢があるはずです。

悔しさは「過去」ではなく「未来」へぶつけるのです。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

怪我をして、僕にとって野球とはなんだろうとも考えました。大リーグを経験したことで野球に対する考え方が変わったかといえば、そんなことはありません。「野球は自分のいちばん好きなもの」という以外に、巧く表現できないのは変わらないのです。
 もし好きな野球ができなくなったとしたら・・・・・・。指導者になるなど、野球に関わっていくことはできるでしょう。でも、今はそんなことは考えません。
 現時点での僕は、プロのアスリートです。プロである以上、1日24時間、ちょっとでも頭から野球を切り離してしまうことがあってはいけないと思うのです。好きなポップスやクラシックを聴いて気分転換しているときも、本を読んでいる時も、気のおけない仲間と騒いでいる時も・・・・・・。
<中略>
プロというのは本来、そうあるべきものだと思います。

Odyssey

オデッセイ―鈴木龍一郎写真集
鈴木 龍一郎 (著)
写真は、もしかしたら芸術という括り全体も、自分が見出した世界であり紡いできた物語でありを表現する手段なのだと思う。
詳細は後ほど。
[2008/03/07 0:49更新]
見終えても以前に書いた上の考え方のとおりだ。素人の私が芸術と言う括りに対してどうこういうのは早計だなと感じるところはありつつ。
巻末に評論家の方のこれら作品にたいするコメントが寄せられているが、それを読んで初めて個々の写真の意図、そしてそれら一連から読み取れる意図がうっすらと理解できる。
それは鈴木龍一郎と言う人が生きてきた時代の背景であり、彼のとった行動でありが、作品の解釈のための材料として書かれているからだ。
一方でそれらを読まなくても、作品を見ることで自分の過去の経験等が結びつき何かしらの解釈をできるものもある。
作者と言うものを、本人が生きた時代の背景、当時の思想を含めて理解して、それに対して自分が感じるものをぶつけてみる。そういった対話をすることで彼の芸術を理解し、自分の中の芸術観というか写真観というか、そういったものを高めることができるのかなと感じる。
作品が、作者の伝えたいメッセージを伝える役割を果たす場合と、その作品の受け手の中に何かしらの感情や思考を想起させる場合があるのかなと思う。