IESE卒業から1年

昨年の5月16日にIESEを卒業して早いもので1年が過ぎた。

OFFICIALLY GRADUATED FROM IESE BUSINESS SCHOOL / 改めまして、IESE BUSINESS SCHOOLを卒業致しました

Facebook上にはclass of 2015の面々の卒業式の写真が流れており、見ていて自然と笑顔になる。お疲れ様でしたとおめでとうございますを心から言いたい。

周りと話をしていてたまに、”何だか夢みたいだったよね”というコメントもでてくる中で、こうしてまた1つの世代がMBAの旅を終える。

卒業前から既に働き始める仲間もいれば、9月から、もしくはもっと先に向けた機会を探す仲間もいて、それまで2年間濃密な時間を共にしてきたのが、いよいよそれぞれの道を進むんだなという感覚になるのを覚えている。

卒業後、目一杯ストレッチする過程で、MBAの生活を懐かしむ時間もなくあっという間に時間が流れていくわけだけど、そんな中でも、折を見て、今の自分を一歩ひいてみつめ、先を考えていきたい次第。

積極的受け身の限界

積極的 or 消極的、と、能動的 or 受動的、というのは別の軸で、積極的×受動的というセグメントは、居心地が良くて居座ってしまいがちだけど成長に限界がある、という話。

積極的×受動的

それは、積極的に相手のインプットに依存するということ。

相手に対して、アウトプットの具体的なイメージ、納期、使えるリソース、プロセス、プロセスにおける作成物のイメージ、等々を確認し、それを咀嚼し、例外や論理的なエラーが見つかれば、そこをどうするのかを確認する。

正しいことをしているように見えるし、実際に仕事を受ける上で必要なことも多分に含まれている。

問題は、上記のコミュニケーションにおいて受け身だということだ。こういう場合はどうするのか、ここは抜けていると思うがどうするのか。問こそ発すれ、その中身についてどうすべきと考えるのかを提示する等の能動的なふるまいはない。

自分がアウトプットする上での不確実性を排除できるし、論理的に誤った話はしていないし、結果、アウトプットはインプットを受けたとおりのものが効率的にできる。なので本人には達成感もあるし満たされる。

他方、仕事を依頼する立場からすれば、勿論相手と場合によってはそのやりとりがアウトプットの品質のブレをなくすので助かる側面もあるが、自分がオーダーしたとおりのアウトプットが当たり前にでてきた、という域を超えない。

インプットを詳細にすればするほど、依頼する仕事は頭を使う種類のものから手を使う種類のものへシフトしていくからだ。

自分の仕事の不確実性を排除し、頭ではなく手を動かす仕事に安住することなく、能動的にやるべきことを見つけ、必要なプロセスやリソースを定め、実際にアウトプットしていく、積極的×能動的、のセグメントにうつらなければ、成長の壁、自分の提供価値を高める壁、はすぐに現れる。

播磨坂の桜

土曜日は夕方から播磨坂の桜を見に出かける。

薄暗くなりつつあり、照明に灯が点き始める時間帯。コートがなくても歩ける程の暖かさで良かった。日も長くなっている。

ひとしきり楽しみ終えた人もいれば、これから宴を始めようとしている人もおり、場所取りからの花見をしなくなって久しいなと思いながら、ぶらっとその場を後にした。
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湯島天神の梅

この週末は久しぶりにカメラを持って出かける。季節の梅を見に。

久しぶりのことで、何気なく選んだ単焦点レンズを通して久しぶりに景色をのぞくと、案の定、自分の思うように景色をきりとれないようなもどかしさを覚える。ああ、そうだったと思い出す。

そして、これこれ、と納得の入った写真は、湯島天神ではなく、そこからの帰途道端で出会った梅の花のものだった。

まあそんなものかなと思いながら帰った。

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キャパオーバーの忙しさがムダを省いてくれる、unlearningを助けてくれる

気がつけばもう2015の10%以上が過ぎているこの頃。色々な波にもまれているなかで気づいたことをざっと書いておきたい。

寝る時間がとれないくらいの量の仕事を抱えるのって大事だなと。少なくとも自分にとって。

そうしないと時間の密度を上げらないから。何がその仕事のキモなのかを研ぎ澄まさず程々に仕事をしてしまいそうになるから。

仕事を単純に24×7のカレンダーにはめ込むと、あれ足がでちゃうな、収まりきらないなという状況にあってはじめて、時間の密度を上げること、何がキモであり、何を”捨てていいのか”、”捨てなくてはならないのか”を考えれる。

そして、その捨てるべきものは、何も仕事の内容に限った話ではない。自分の仕事の仕方も然りだ。計画の立て方も、その中でのコミュニケーションのとり方も、分析や資料化のツールの使い方も、それまで自分が自然とやっていたやり方をもう一段も二段も高めてくれる。そうしないと終わらないから。

制約がイノベーションを生む

という話に通じるものを感じる。

似たようなことは過去にもブログに書いていたけど、そうやって自分を高め、それでもまださらっとはやりきれない仕事にチャレンジして、自分を高めて、というサイクルはどこかで終わるたぐいのものでもないんだろうなと。自分を高めるという話に、仲間の作り方、仲間との動き方、というものも含めて。

で、そうした忙しさが自分の理想の高さによってもたらされるものであったなら、なおのこと歓迎すべきものだなと思う次第。