イライラの原因は自分にある

今日はちょっとイライラしていた。珍しい。普段あまりイライラすることがないので。そんな経験なのでイライラについて考えてみた。期待とレスポンスのネガティブGAPからイライラは生じる。特に他者に対しての。なぜGAPがあるのかというと、期待が間違っていたか相手のレスポンスが悪かったか。相手のレスポンスはアンコントローラブル。自分の期待が間違えていた方へ注目。
ちょっと話を戻すと。仕事に関していえば自分が他者へ期待する前には、クライアントからの期待があり、その期待を分解して自分で満たすものと自分以外で満たすものにしている。自分以外で満たそうと考えた期待に関してネガティブGAPが発生している。
全体の期待を自分含めてチームで満たせるサイズにするか、自分が満たせる期待をより大きなものにするか、他者が期待を満たせるように配慮しサポートするか、ネガティブGAPが発生した際にイライラが生じる前に他の方法を考える・実行に移すことができればいいのだという話になる。
結局のところ自分の力不足なんだなあというところへ辿り着く。普段イライラしなかったけど今回イライラしたというのは満たすべき期待が自分のキャパシティを超えていると感じたからだという話だ。自分がいきなりどんな期待にも答えられるようになることは難しい。でも最初のクライアントからの期待値を調整する部分であったり、他者への期待をキチンと伝えること、合意を形成することといったあたりは丁寧に意識にとどめておけばなんとかしていけそう(勿論キャパってモノはある。余裕無くなったら意識からとんでいくこともあるだろうけども。今回もそうだったわけだし)。
イライラをイライラのまま処理する(自分の内側でほとぼりが冷めるのを待つのも、外へ放出するのも)はあまり良いことがない気がする。内側にいつまでもくすぶっているくらいなら愚痴でも何でも発散してしまった方が良いし、その発生もとのエピソードを笑いに変えられたら大方スッキリできるけど。
前向きにはたらく何かのエネルギーにかえて行きたい。
こういうスタンスでいると、それに乗じて低いパフォーマンスのまま切り抜けようとする人もどうやらいる。そういう相手へは明確に告げる必要がある。価値が出せない、出せるようになる気がないなら去れと(今のところそういう人と一緒に仕事をしたことはないのですが)。

noblesse oblige

土曜日の深夜にパートナーから送られてきたmail。内容は触れられないのだけど、強く同意し、彼と同僚であることを嬉しく思い、改めて自分を律していかなくてはならないと気を引き締めた。

パパに。

さて久しぶりのエントリー。プロジェクトは佳境を迎えているのだけどふとしたきっかけでパートナーに同行してクライアント先へ。他の関係者を含めて待ち合わせ場所でクライアントの到着を待っていると、近くで子供向けのイベントがあったようで、あたりにははしゃぐ子どもたちがたくさん。それを横目に見ながら談笑する家族の面々。
ぱっとみ何事もないのにケタケタと笑い続けながら走り回り続けている子どもたちの元気をみて負けてられないな?と思いながらクライアントの到着を待つことしばらく。
こつん、と足元に感覚があったので下に眼をやるとそこには2歳前くらいの男の子。
さすがに身長差もあるし、柱か何かと間違えたのかな、なんて思いながら眺めていると、避けてどこへいくわけでもなく僕の足もとでもそもそしている。
どうしたんだろ?と思いつつも子どもというのはかわいいものだなと見ていたら彼はこっちを見上げて目があった。子どもの瞳のきれいさをみて負けたられないな?と感じつつ微笑みかけた。
彼は僕のズボンをつんつんと引っ張りながら僕の方を見て言った。
「・・・パパぁ」
あはは人違いだろー、と一瞬思った直後に、同行した関係者の視線と周りの視線含めてことの複雑さを感じとった。
「え?sagadさんって・・・?」
「え?いや・・・え?違いますよ」
「もしかしてsagad・・・」
「いや、ないですよねそういうのは」
久しぶりにあたふたする自分をアタマのどこかで客観的に感じながらもえらく不自然に。その不自然さが疑いといじりを誘いそれが更なる不自然さを誘うサイクル。
そうこうしている間に彼の母親らしき人がさっと現れて、
「○○くん、その人パパじゃないのよっ」
とさっそうと去っていった。
そしてなぜか少々居場所に困っている自分が残った。
少なくとも良かったのはそこに旦那さん(本当のパパ)がいなかったことではないかと思う。もし自分に子どもがいて、その子が他人にくっついてパパーと呼んでいたら、僕は複雑な気持ちになるだろうから。
それにしてもお父さんを間違えるとは不思議だ。目があった後も間違えたことに気づくような素振りもなかったし。よほど似ていたのかな(そういう意味では本当のパパを見てみたくもあったな)。
#いうまでもなく、上記はクライアントと合流して打ち合わせに入る前の格好のアイスブレイクになった(された)

チームワーク

今回のプロジェクトは陸上でいうと400M走。ペース配分はある程度考えるにしても基本全力疾走。前半でセーブすると後半巻き返せるかどうかが危ういし、飛ばしすぎたら最後までばてずに走り抜けられるか危うい。
そんな中で嬉しいのは信頼のおける仲間とのプロジェクトであるというところ。既にチームビルディングできているというのもあるし、そもそも馬が合う。本格的にプロジェクトを共にするのは初めてで日々学ぶことは多い。素直に学べることもあれば反面から学ぶこともある。歳が近いこともあるのでそうこうして気づき、学んでいる自分を見て気づくところも多い。
気がつかないうちにできあがっていた自分の甘いところであり、自分の強いところでありに気づくことができる。
プロジェクトを成功させることが第一だが、その過程で自分とチームを高めることができたらと思う。
#最近写真を撮っていなかったので無理やり撮った照明。家電やモバイル端末が増えるにつれて家の中のコードの収拾がつかなくなっていく。。

臨場感のあるゴールと余白のあるアプローチを

そう。たまにあるブログを書くのが難しい時期。それは仕事にどっぷりはいっているとき(ブログを書いているときは仕事に集中していないわけではない)。書く時間がない、余裕もちょっとない、そしてなにより書くネタがない(時間の大半を仕事へ投入しているので仕事以外でこれといったことがないし、仕事のことはあまりかけないし)。
といいながらこうして書いていると書きたいことが浮かんでくるものですね。何事もアウトプットしてみるものです。
その書きたいことというのは、臨場感のあるゴールを描けということと、何でもかんでも最短距離で走ろうとするなということ。
まず第1に臨場感のあるゴールについて。ゴールを考えるのは重要、じゃあ現状とゴールを見たときにどこにGAPがあるんだろう、それはなんでだろうと考えるのも大事、網羅的にみておく必要はあるけど要をつかむことの方が大切。たどり着きたいゴールがある時期がある、それに対して現在はどこで持ち物(リソース(割ける時間含めて))はこれだけ。さて、どこのどんな障害を取り除けばたどり着けるだろう(つけないにしてもどこまで近づけるだろう)と。論点を明確にと。
このときにゴールを臨場感のないものにしてしまうと、一見とてもシンプルなプロジェクトになる一方でその道で想定しない問題にぶつかる可能性がある。例えば3ヶ月で戦略を策定するときに、その戦略の構成要素とそこにおける仮説と検証アプローチだけをもって走り続けると、極端な話、3ヶ月後には戦略だけ策定されている。で?と。それでどうするんだっけと。企業であれば経営管理のサイクルってものがあるだろうし、この戦略を実行に移して結果を出し切るためのリーダーだってチームだって必要だ、サイクルはなんだっけ、どうやって企業活動のトラックにのせるのだっけ?で、リーダー候補はだれだっけ?
さて、3ヶ月後には戦略策定されているだけがゴールでよかったのだっけとなる。
勿論目的を盛りだくさんにしてしまってはピントがあわないし、実現不可能なプランになりがち。明確な優先順位づけが必要。ゴールは上記のような時間軸の広がりと企業体としての周辺領域への広がりを踏まえて(頭の中だけであっても)描いておくのがいいと思う。
1つめの話に付随して、何でもかんでも最短距離で走るなとなる。ゴールが臨場感をもって完璧に描けて全てプロジェクトプランに織り込み済みだ、実行も100%描いた通りにできる、だったらok、迷わずそのルートを全力で走ればいい。でも現実はそう単純にはいかない。仮説ベースで始まるものだし、検証の結果ででも、そのプロセスでのクライアントの認識の変化ででも対応するべきことは変化する。
そんな時最短距離のルートで脇目もふらずに走っていると他のルートを見つけるのに時間がかかる。特にまだ個人の知識・経験に厚みのない、限られた領域での知識・経験と地頭と体力で闘う必要のあるレベルのコンサルタントはそう。
なので、目の前の仮説などにダイレクトに関係ない情報であっても、例えばクライアントがアタマを使う上で前提としておいているであろう知識や組織内の仕組みや人間関係というものを収集できるようにと調査設計しておいたほうが良いと思うし、日ごろのコミュニケーションでもある程度の意図をめぐらせておく必要があると思う。少々の回り道になっても(往々にして大した回り道にならないのだけど)。
整理もついていないし具体的な話はできないのだけど、こんなこと↑が頭の中にあった。