なぜそう反応するのか

プロジェクトの中で時折想定外のリアクションを返す人がいる。なんでそこにこだわるんだろう?なんでそこでフラストするんだろう?なんでそこは流すんだろう?なんで情報を断片的にシェアするんだろう?なんで?なんで?・・・
そんなときに1つ心がけているのは、そのリアクションを否定しない、ということ。
彼は何を言ってるんだ?何でこのタイミングでこうなんだ?意味がわからない。信じられない。使えないやつだ。やっていられない・・・いくつかの感情的なりアクションというのも選択肢として存在する。だけどこれらは矛盾を含んでいる。相手が間違っている(自分の中でそんなリアクションはありえない)、けど事実として相手はそのリアクションを返しているという矛盾。
自分の中に矛盾を抱えるのは心地よいことではない。そもそも解釈を変えない限り解決もできない、けど上記のような矛盾を含んだ選択肢を握り締めてしまうと、それを変えるには今度は自分が間違っていたということを受容れる必要がでてくる。そしてそれも癪だ、というような感覚を抱いてしまったりもする。
なので否定しない。相手を自分が理解できないとか、信じられないとか、そういう反応は選ばない。わからないなら、その事実を是として仮説を立てる。なんでそのような反応を相手が示したのか。合理性を見いだす。こっちは案外面白い。自分の中に矛盾を抱えていないし、発想も自由だ。そして何よりその仮説は今後に役立つ。その動機付けの要因に先に働きかけて弱める/なくしておくもよし、そこを気遣ったコミュニケーション手段をとるもよし。相手を動かしている要因がわかると(正しい表現ではないと思うが)相手がコントローラブルであると思えるようになる。突発的な想定外のリアクションも許容できるようになる。
現実には時折フラストすることもあるのだけど。そんなときはいつまでも悶々とするより軽く愚痴るなり一旦忘れるなりなんなりしてしまって、適切な選択肢を選んで前に進むのが良いと思っている。愚痴は軽くというのがポイント。笑いに換えれる位で。笑えれば感情的なわだかまりは流せる。