壊さないといけないような気がする

エンゲージメントにはチームで臨む。
そのチームのかたちがある程度のレベルで安定しつつあるような気がする。でも、まだ出せる力の全てを出し切れてはいないとも感じている。
ゆらぎを与えていきたい。

限りある時間から

読書。時間がたっぷりあるときよりも時間が限られている方が速く読めるし、理解も明確に感じる。
仕事。時間がたっぷりあるとずるずるとやってしまうことがあるが、時間が限られている方が頭の回転も速いし、結果アウトプットの内容も良いと感じる。
遊び。時間がたっぷりあってなんとなく遊んでいても楽しいが、時間を限って遊ぶとメリハリがつくし全くつまらなくはならない。案外楽しい。
基本的に時間が限られている方がいろいろな効果・効率が高い。
時間があると逆に効果・効率が下がる。
色々とやりたい気持ちの大きさ、はやくやらなきゃいけない度合いの大きさなどあるが、”時間ができたらやる”という意思決定をしたものはまずやらないと考えた方がいい。
なので、”やりたいんだけどやり終えるまでに時間がかかるから後でまとまった時間がとれたときにやろう”などとは考えない方がいい。細切れにでもして(多忙であっても)日常に織り交ぜておいたほうがいい。
それができないなら、可能であればそれは自分がやりたくないことなのだと判断して諦めた方がいい。諦めずに引きずるのは他のやりたいことに対して悪影響を及ぼす。やるべきなのにできてないという自分への自身の喪失につながるし、ToDoリストに残っているのだとしたらそれが多少のプレッシャーになる。
もし、やりたいのにできていないことがいくつもあるようだったら、それは本当は自分はやりたくないんじゃないかと考えてみる。捨ててみる。
そうやっていくと過去の生活が”本当の”自分を教えてくれるかもしれない。時間が足りないと感じるような日々を送っていたら尚更だ。その時間を何に費やすかこそ、自分の優先順位の現われとなる。
そして、そんな自分を変える手段は、”これをやりたい”、”これをやるべきだ”と決意を新たにするよりも、こまぎれであってもその一歩を踏み出すことなのだと思う。
さて、自分はどうだろう。
(やりたいと思っていなかったのに継続的にできていることを見つけることもおもしろい。)

何とかなりそうな気にさせる人

ほんの一言二言話しただけで”何とかなりそう”な気にさせる人がいる。具体的に何がどう解決したわけでもないのに、雲が晴れる・景色が広がるように感じさせてくれる人がいる。自分の中で少し閉塞感というか、どうも突き抜けられない感じが漂っている時に特に感じるのだが。
何でそう感じるかを考えると、その一言二言話した瞬間だけがそうさえるのではないことに気づく。それはその人の普段の行動でありその人と共にした過去の中での振舞いがそう思わせるようだ。その人がその一瞬で何を言ったのかではなく、その一瞬でも接点を持てた相手が自分にとってどういう人間だったか、どういう人間だと思わせる日常を過ごしているか(と感じさせるか)というところこそが大事なようだ。
そういう人間でありたいなあ、あれるかなあ、と思いつつ自分の日頃の行動を振り返る。
”今”からの行動で体現していきたいなあと思う(それしかないんじゃないかと)。一朝一夕にはいかないのも事実。でも上記の感覚からすると、日々の行動でありその背景にある意図でありが相手に伝わるその積み重ねがそういう人間足たらしめるのも事実だし。
こうやって人に何かを気づかせる人というのも魅力的だと思う(自分が勝手にしているだけなのかもしれないけど)。

とりあえず仕上げる・寝かせる

最近思うのですが、やることがあったときに、とりあえず仕上げる・寝かせるって大事だなと思います。どこかの本に書かれていたと思いますし今更新しい発見でもないのだと思いますが、肌感覚で感じます。
仕事をしていたら、一度に複数のタスクを抱えて走ることはあると思いますが、とりあえず無理やりにでも仕上げる。とりあえず仕上げるっていうのは例えばプレゼン資料をつくるのであればストーリーラインを荒くでも最後まで書き上げてしまう。何かを分析するのであればその項目とチャートイメージを決めて数字を入れるだけにする・感覚値でも入れて形にしておく、とか。PCででも、メモ帳にでも。
それをやっておくと、いくつかいいことがあると感じています。心に余裕ができる。他人とディスカッションしやすい。具体的に一度タスクをやりきっているのでアンテナが立って情報が頭に残りやすい、などなど。
そして寝かせる。早めにとりあえず仕上げたからこそできることですが。こうしておくと頭にはいってくる情報をつかってよりよいものにできる可能性が高まります。一歩引いて自分の(とりあえずのでも)アウトプットをみることができますし。
とりあえずでも仕上げずに寝かせてしまうと、タスクの目的もアウトプットのイメージもあやふやになってしまうし、アンテナも立たないので目の前を通り過ぎていく情報を捕まえることができない。結果、誰にも説明できない・ふる負荷が高い・ふられた方もやりにくい(引き受けたくない)というややこしいタスクになってしまいがちです。
視点を変えると、人がそうしてしまったタスクを快く引き受けることは、相手にとって価値が高かったりするわけですが。

トモダチ

チーム内でケースタディをやることが最近あります。
そのウォーミングアップとして、ショートケースが使われていたのですが、そのときの課題が、

あなたの昔からの友人が最近ある会社の社長になりましたが、最初に何をしたらよいか分からず悩んでいます。彼にまず何をするようにアドバイスしますか?

というものでした(会社に関して幾つか情報が与えられている)。
論点は外さないように色々とディスカッションをしていましたが、実際に友達が悩んでいたら、まず何をするように等アドバイスする前に、自分だったら話あらいざらい聞くなーなんてふと思いました。言いたいだけいいたいように言ってくれたらいいし、それができないなら沈黙の時間もあっていいなーなんて。
何を言うにしてもそれからだなと。
ディスカッションでは上記の”友達”、”悩んでいる”というワードの解釈によって参加者それぞれの立ち位置が分かれているように感じられました。ケーススタディの目的はさておき面白かったです。
そう考えると、ケースをつくる側、課題を設定する側に立つときには内容もさることながらこういった言葉の選び方も大切だなと感じます。
今回であれば、友達→クライアントの取締役、悩んでいる→考える必要に迫られている、という表現であればそもそもの前提の置き方もある程度まとまっていたでしょうし、ディスカッションもコンテンツが占める割合も増えていただろうなと思いますし。
それにしても、悩んでる友達に対して、いきなり”これとこれやりな”とはいえないなー、と思いました。自分の置いた前提の上で。そして、これってコンサルタントとしてでも同じだな、と思いました。
相手にとって何が価値なのか。勘違いせずにいたいものです。