IESEでの一学期を終えて ー二学期以降をより良くするための5つのポイント

あっという間に一学期が終わった。振り返って二学期以降をよい良いものにしていきたい。

ざっと書いた。5つある。

感じたままに書いている。実現するために必要な行動は改めてまとめていきたい。

・もっとチャレンジしろ ー何の変化もなく終えることは容易い

もっとチャレンジが必要だ。カリキュラムはとてもdemandingで時間配分・各時間の使い方を工夫しないと、いとも簡単に、クラス、アサインメント、試験準備で日々は終わる。それが悪いとは言わないが、その中でももっとチャレンジすべきことがあるはずだ。全てが自分の理想通り進んでいるならそれらの外にチャレンジを求める。そうでないなら、そしてそれらの優先順位が高いのなら、それらの中でチャレンジを求める。

・何のためのMBAかもっと明確にしろ ー成績のための勉強ではない

目的がないとき人は受け身になる。目的を持っているつもりでも、それを握って腰を据えて現実に対峙できていなければ、その目的はどこかへとんでいき、日々の現実に流されることになる。長期のキャリアゴールだけでは充分でない、短期のそれでも十分でない、それをブレイクダウンし、自分のそれぞれの行動(クラス然り、チームアクティビティ然り)に対して明確な目的・達成指標を埋め込んでいかないと、タフなプログラムに流されることになる。

クラスでていよく発言をして、試験でいい点数をとって、良いグレードをとる。それは目的たりえない。ついてくる結果だ。勿論それだけをとっても簡単なことではない、極めて難しいことだけれども。クラスがあるからケースを読む、アサインメントがあるからやる、試験があるから勉強する、そういう受け身で学びにここにきたのではないはずだ。レンガ職人の話を思い出す。

・定めた優先順位へコミットしろ ーでないと忙しさに流れて受け身で終わる

目的を定め、自分の行動の評価指標までブレイクしたいと書いた。とはいえ一日は24時間だ、自分の体は1つだ。できることには限界がある。優先順位を明確にして、それにコミットする必要がある。やりたいことは全部やる前提で最善を尽くす。しかし限界があるならそのときは優先順位に従って”やらない”という選択をしなくてはならない。それを可能にするためにも、自分の目的であり優先順位にはコミットしていなくてはならない。

・クラスの議論はもっと深くできる/しろ ー不満を感じる、不平を言うでは変わらない

クラスはケースディスカッションで進んでいく。表面的に感じる議論もあったし的を射ていないと感じる議論もあった。ならば自分が変えなくてはならない。ケースのディスカッションのピントが定まらず何を学びとして良いのか判断が難しいこともある。が、自分で決めなくてはならない。議論が浅いのは誰のせいか。浅いと気づきながら変えることをしない自分のせいではないのか。学びのポイントがわからないのは誰のせいか。何を学びたいのかを明確にして議論に臨まなかった自分のせいではないのか。

不満を感じ不平を言うための投資なのか。それが自分の定めた目的、コミットした優先順位に従った行動なのか。

もし議論が浅い / 的を射ていない理由が誰もそう感じていないからなのだとしたら、その気づきを与えるのが自分の価値ではないのか。勿論自分が常に正しい訳ではない。が、その一石を投じないことには自分が誤っていたのかどうか検証することも叶わない。

・周りとの違いが自分の価値であると肝に銘じろ ー同じなら存在価値はない

ということで自分の考えが周囲のそれと異なるなら、徹底して戦わせなくてはならない。が、難しく感じることもある。限られた時間、限られた英語力で紡いだ自分の考えに自信を持てない時もある。しかしその考えは改める必要がある。

質はさておき。周囲との差異が自分の存在価値だと考えた方が良い。自分が周囲と考えを違えるとき、自分が価値を付加しているのだと考えたほうが良い。ここで言う違いは横の広がりでの違い、深め具合(縦)の違い双方を指す。

そう考えるとどうなるか。議論でポジションをとる大切さを知る。周りの考えとのコントラストを明確につけるということだ。

1学期のクラスでのディスカッションを振り返ったときに、誰が議論を乱したか、誰が異なる意見を述べてクラスの学びを損ねたかを振り返るとわかる。

誰もいない。

探せば見つかるかもしれないが、大して気にならない。まあそんなこともあったなあという程度だ。クラスのディスカッションでの発言というのは、滑ろうが議論が宙に浮こうが周りにどれだけ否定されようが、振り返ればその程度なのだ。皆忘れるのだ。

一方、例えば自分の過去の経験から紡ぎだした意見や議論の流れを大きく変えた発言、周囲を考えさせる新たな視点を生み出した意見は印象が残っているはずだ(希望的観測含む)。都合よく捉えて、周囲と自分との差異が自分の存在価値だと信じてチャレンジして損はない。得られるものは多い。

経験が想像力を補う

相手の立場を思いやるに際していかに想像力を働かせるかは大事だ。想像力のみに頼らずとも、自分の経験がそれを補う。
身近なところでメール。
書くのも読むのも、日本にいる時と比べて英語の比率が高い。読むのに時間がかかる。一方で英語での自分の生産性は日本語でよりも低い。メールを読むのに使える時間は減らしたい、けど読むのに時間はかかる。
結果、処理時間がメールの書かれ方に依存する。

・Subjectの冒頭に、アクションが必要なのか否か & dueが書いてあるか
・Bodyの冒頭にアクションアイテム & dueがリストされているか
・そのアイテムごとに構造が詳細化されているか
・その構造はアイテム間で一貫しているか(due・概要・注意事項・reference url/material のオーダー等)

これによって、読み手に”Subjectだけ読めば十分か”、”Bodyの冒頭を読んだ段階でOKか”、”詳細に下る必要があるか”の選択肢を与えられる。次に構造がクリアだと内容が想定できるので理解のスピードが高まる。読み手が費やす時間を減らせる。
こういった点を自分が感じるようになるとメールの書かれ方を気にするようになる。そして散見する。上記の書かれ方とは異なるメールを。

・Subjectはクラブの名前と概要でアクションの有無がない
・冒頭はメールの背景だったり重要性だったりが語られていて中身がない
・求めるアクションやdueはその文章の中に散りばめられていてまとめられていない
・構造化しているが結局それぞれの括りの中が散らかっていて(アクションをサポートしない言葉が多く)全部読まないと何を求めているのかわからない、もしくは読んでもわからない

どこまで読んだ段階でDoneとできるのかその判断ポイントがつくれない。読み手は自分の頭の中で要するにいつまでに何をする必要があるのか/ないのかを解釈する必要がある。読み手が費やす時間は増える。
日本語であればこれほど気にならない。構造化された内容より時間がかかるにしても許容できる負荷で理解できるからだ。それが英語となるととても気になる。理解に要する時間を許容する余裕がないからだ。
ここで考える。日本語であっても、相手に余裕がなければ、英語のメールに自分が感じたようにちょっとした非構造的なメールは許されないと。言葉が奪う時間が他のスケジュールに奪われるというだけで状況は同じだから。そして、相手の忙しさであったり他のスケジュールを慮る想像力があれば、こういうメールは書けないはずだと。
いざ自分がこういった状況を経験すると、相手を一層慮ることができる。これまで具体的に想像してこなかった点も自分の経験をもって補うことができる。
ということで、改めて気をつけていきたい。

それでもあなたを愛する

中間試験では各科目の最初にインストラクションがある。つきなみなもので、時間は何時何分から何時何分まで、携帯の電源は切って下さい、表紙の注意事項を読みながらしばらくお待ち下さい等。
そんなインストラクションにあってもFinancial Accountingの教授は笑いと拍手をさらった。
上記、つきなみな注意事項を話した後で、
”カンニングすることは死を意味すると思って下さい”
と笑いを誘い、次に、
”このテストの結果について、一切の心配は不要です。あなたのテストの点数がどれだけ悪くても、それでも私はあなたを愛していますから”
と笑い&拍手をさらった。
これが彼の宗教観であり価値観からくる言葉なのか場を和ませるための言葉に過ぎなかったのかはわからない。が、この一言でピンと張り詰めた会場の空気は和み、リラックスした状態でテストに臨めたのではないかと思う。
試験の結果は既に返ってきている。
彼の愛はありがたいものにかわりない。が、返ってきたスコアは、僕にさらなる学習を、強く、強く促す。

誰のためのプレゼンか

早いもので今日Term1の中間試験が終わった。Term5まであるので今日でMBAの10%が終わったことになる。
試験の代わりにチームアサインメントを課すクラスもあり今日はそのプレゼンテーションもあった。各チームのプレゼンを見ていて感じたのが誰のためのプレゼンか、誰にフォーカスすべきか、という点だった。
結論から言えば、プレゼンは聞き手にフォーカスすべきだ。誰かに対してプレゼンをする、それはその人に対して起こして欲しいアクションがあるからだ。従って、どうすればその人が気持ちよくこちらの望むアクションをとれるか、そこに集中すべきだ。
1. プレゼンテーションの準備をする際はじめやるべきことは、プレゼン後とって欲しいアクションの決定だ
2. 次にやるべきことは、聞き手の理解だ。聞き手がアクションを起こすのに必要な要素は何か。それらのうち聞き手が既に知っていることはないか?あるとしたらそれは何か?プレゼンテーションを通じてどの要素を提供できればよいのか。
3. 次はプレゼンの場所の理解。広さはどの程度か?聞き手の配置はどうなっているのか?使えるファシリティは何があるのか?
4. 次にプレゼンのデザインだ。それを理解してもらうために / 心深くに届けるためにどのようなメッセージをどのようなストーリー構成で伝えられればよいか、伝える際に使うべきビークルは何かを決める。
5. そしてプレゼンの道具づくりだ。KeynoteやPowerPointを使うなら、この段階でアジェンダと各ページのヘッドラインが決まっているはずだ。それをサポートするためのボディをつくりはじめる。
6. で、それをどのように伝えるかプレゼンテーションの練習。そこで話すスピード、声のトーンや抑揚、立ち位置、身振り手振り、アイコンタクトetc…の練習。最終的に、資料に自分が喋らさせられるのではなく自分の言葉で話しながらそれに資料がついてくるように感じられる状態までもっていく。
面白いもので、コミュニケーションのクラスで自分の身振り対するフィードバックをもらい練習しているからか、プレゼンテーションでの自分の振る舞いがダイナミックにできる人程そこに拘っていたように感じられた。
練られたGrabber、間のとり方、声の抑揚の付け方、空間の使い方etc…
しかしそのようなテクニックのみではプレゼンテーションの価値は多くは増やせない。上記の通り、自分の振る舞い以前の段階でプレゼンテーションの価値の大部分が規定されているからだ。そもそも聞き手を理解せずして、相手へ期待するアクションとそのための自分たちのメッセージ、ストーリーなくしてGrabはできない。
不明確な聞き手に望むアクション、曖昧なアジェンダ、支えるメッセージも構造も練られていないファクト、小さ過ぎるフォント、1ページにすし詰めにされたグラフ。
それを背負って、ただ雄弁に、ダイナミックに語りかけられる聞き手は何を感じるだろうか。
プレゼンでフォーカスすべきは聞き手だ。自分のパフォーマンスではない。自戒の念も込めて。

Team Contract

1年間運命を共にするスタディグループも決まり、Team Buildingを進める。Team Contractをつくる。このチームに属する”契約”内容を決めるという話。チーム憲章みたいなものかな。draftをつくったけど、Mission-Goal-Normsのロジックは少々曖昧。Goalは状態を表現していないしはかれないし。

ただ、ここで大事なのはロジックではないと思って議論を続けた。
このタスクで大切なことは何がContractとして書かれるかではない。それを議論するプロセスにどれだけメンバーが本気で参加するかだ。
Contractとしてさわりのいい言葉が並べることは難しい話ではない。ロジックを整合させることも然りだ。でも並んだだけで”とは言っても現実はそんなにキレイにいかないよねー”とメンバーが流したら、その並んでいる言葉に何の意味があるだろう。

大切なのは、議論を通じて、メンバーとしてチームにコミットする上で譲れないものを各々が明らかにし、そこに折り合いをつけながら言葉を並べていくプロセスだ。すべての意見をそのまま載せるわけではない。重複したものはまとめるし、不要だと考えられるものは削除する。その過程で、重複しているように見えるが本当にそうなのか、自分の考え・想いを適語で表現できているかを考える。不要だと周りが考える理由を理解し、自分が譲れない理由を話し、議論する。

このプロセスにおける個々人の行動こそが個々人が自分の憲章に従って動いている結果なのだ。なのでその行動をぶつけあい、理解し合い、折り合いをつけていく(妥協ではない)ことが大事なのだ。
という経験を通じて3つ。

まず、英語で英語の文言のニュアンスを議論するのは難しい。どの単語がどういうニュアンスの意味合いなのか、わかっている部分もあるがその範囲は狭い。Nativeには及ばない。素直に学ばせてもらう。

次に、自分もだが、メンバーもunleashという言葉が好きだったのが印象に残った。leashを外す→(一気に)解き放つ、というニュアンスの言葉だ。僕がこの単語が好きなのは、”既に持っている”という意味合いがあるからだ。leadershipについて、developする?improveする?等の話の中でだけど、僕はunleashという言葉を使った。developする、それは今持っていない/持っていても未開発のものだからだ。improveする、それは今持っていても改善しないと充分でないからだ。
本当にそうなのか。

誰しもが大なり小なりのleadershipという現象を経験してきているのではないか。それを(意識的/無意識的にでも)発現する力を持っているのではないか。だったらそれをまず発揮しよう。遠慮無く解き放とう。その経験を通じて、必要に応じた側面を、developするなりimproveするなりすればいい。持っていない/不十分だという前提にたった考え方はよそうと。

って言うほど流暢に英語で説明しきれていない。のだけど皆”それだ!”とくいついていた。

最後は、Norms、行動規範について僕のdraftで特にウケがよかったものを2つ。

まずは”Deep breath for 5 seconds when you recognize you are upset”。自分の感情が苛立っていたり何か高まっていると感じたら5秒深呼吸。

次に”If you are not in a leadership role, don’t forget to be a good follower; person can never be a leader without followers.”。リーダーでない人は良いフォロアーとなることを忘れずに。誰しもフォロアーなしにリーダーにはなれないのだから。

最初のは僕もお世話になっている方から教えていただいたこと。苛立っていたり不安に苛まれたりしているとき、ゆっくりと深呼吸をすると気持ちが落ち着くというもの。すごく具体的で、実践したら自分も効果を感じられて、何より活用シーンが多そうだなと思い採用。5秒は3-4秒でもいいと思うが、大事なのは具体的に数字を入れること。自分、そして周りも数えられる。その数秒の効果は大きい。

次は僕が常々考えていることでもある。リーダーはタスクの結果責任を負う。が、その結果の理由・原因の全てがリーダーにあるわけではない。フォロアーとしての責任を忘れてはならないし、最善を尽くす義務がある。自分がリーダーの立場に立ったとき、そして状況が良くない時はこの話はしづらい。その前にチームでこの考えは共有しておきたかった。幸い、皆”これすごく大事だよね!”と、同じ考えを持ってくれた。


日曜にNYから来ているメンバーの家のテラスで議論をした。広くてBBQもできる。今度しようという話で盛り上がって帰った。
チーム憲章が大事なのは、チームが苦しい状況に陥った時だ。そうでないときは誰しも余裕がある。憲章の中で自分が意識しないと守れないものへの配慮も届く。問題は苦しい時、チーム全体がその余裕を失った時だ。誰しもが自分の過去の行動規範に立ち戻るだろうし、その時こそ、本当に自分がagreeできているもの/いないものが、行動となって現れる。

そこが踏ん張りどころだ。

今つくったものを守ることが目的ではない。それが違えばupdateすればいい。経験を重ねながらupdateしていきたいし、良いチームにし続けていきたい。