ものは少ない方がいい

今日東京の生活を終え、バルセロナへ向かう前にしばらく帰省。6月の末まで中国にいて、7月の頭から2週間はバルセロナにいて、そこから2週間程度で東京の家を空にして生活をたたんだ。間に合うイメージがわいていなかったのだけど何とかなるものだ。
痛感したのは、ものは少ないほうがいい、ということ。
実家も離れているのでほとんどのものを処分した。その過程ででてくるでてくる。使わないけど(から)家の中に放置していたもの。衣類、食器、衣類、靴、鞄、文房具、水まわりの道具、云々。
こういうの一切、家の中に溜めずに即座に処分した方がいい。ここの捨てる/捨てないの判断基準を甘くしてしまうと、あっという間に家の中にものが溢れる。ゆっくりと気付かれないように家の中で占めるスペースを増やす。でやはり家のスペースが狭いと / 散らかっていると気持ちも同様に狭くなってしまう。持ち物が多いほどその場所を動きづらくなる、何かにつけてフットワークの軽さも損なわれるように感じるし。
と、ものを処分して部屋が広くなっていく過程で気づいた。
バルセロナではものを増やさないようにしようと思う。必要最低限のもので生活を。何かを買ったら何かを捨てる。特に衣類等身に付けるもの。
部屋は広く保てるし、掃除もしやすいし、生活の場を今後移すときも手軽だし。
飛行機に積める容量のもので生活できるのがベストかな。スーツケース2つと少々。家具等はさておき。

9月からバルセロナのMBA、IESEへ入ることにしました。自分が留学準備の過程で得られたものを総括します。

openにする。この秋からバルセロナのMBA、IESEへ通う。昨日社内でもopenにした。4月にofferもらってからこれまで、本当に沢山の方に祝っていただき、叱咤激励のメッセージをいただいてきた。どれだけ感謝をしても足りない。一方で、一旦最後となる中国でのプロジェクトやVISAを始めとするいくつかの準備に集中したこと、また自身の至らなさから報告を遅くした方、十分にお世話になった感謝を伝えきれていない方がいると自覚している。時間が空くことになっても、感謝の意を伝えさせていただきたい。

以下に、自分が留学に向けて過ごした期間、そこから得られたものを振り返りたい。

準備には2-3年を要した。その期間に得られたことは多い。なぜなら自分にとって、留学準備期間では、日頃得られない3つの経験があったからだ。1つは決められた試験(TOEFL、GMAT)による自身の学習効率の定点観測、1つはEssayを練る過程で自分の人生をつぶさに振り返り、点と点をつなぎ、自分の物語を紡ぎあげること、1つは仕事と学習をバランスすることだった。

最近でこそ海外で働く機会を増やしているが、わずか2年前までは人生での海外滞在時間は3週間だった。大学時代のバックパックの旅行も含めてだ。仕事で英語を使うことはなかった、殊会話においては。

学習開始時の自分の英語力をスコアでみると、TOEIC830、初TOEFLのスコアは確か42。最終的には106(27 29 23 27)がベストスコアだった。各セクションのベストスコアを足せば113(30 29 24 30)になる。

この間、試験の度に、次に向けてRLSWのどれに、どういった方法で、どれだけの時間を投入するのかを考え、実行し、次の試験のスコアをみて、を繰り返す。これまで見えていなかった自身の英語における得て・不得手がわかってくるし、そもそも学習する上での適したスタイル・時間帯といったものまで見えてくる。過去の受験でこういったことは既に理解されている人は多いかもしれない。が、自分の場合は今回見えたことが多い。GMATの話しは割愛 ;p

コンサルタントとして生きるようになってからキャリアの観点ではプロジェクト毎に自分の価値を振り返り、どこが強みなのか、弱みなのか、成長に向けてどのようなアクションが必要なのかは整理し考えているつもりでいた。

しかしEssayを考えるに際してはより長い時間軸(生まれてから今まで)で、より広い視野(プライベートの、人としての、強み弱み嗜好)で自身の人生を振り返り、自分が本当に実現したいことを見出す。わかっているつもりのことも、言葉で表現しようとすると出てこない。自分で素晴らしいと思っていた経験も、文字にしてみると些細な事のように映る。本当に自分の人生はその程度のものだったのか、もっと適切に、ヴィヴィッドに、他の誰でもない世界にひとりだけの自分を表現できないのか。それをひたすらに考え続けた。

今考えると、それを通じて自分が手に入れたものは、Essayだけではなくて、心の静けさ、穏やかにして力強い覚悟であったと感じている。自分の人生を振り返り自分の物語を見出す活動は、自分のルーツを理解することに繋がる。瞬間瞬間に自分の頭をよぎる目標ではなく、自分の人生における行動に裏打ちされた自分の生きたい未来に光をあてることにつながる。

勿論これからも生きている限り変化はある、大きいチャレンジを目の前にしたら静けさだ力強い覚悟だなんて話はそっちのけになることも容易に想像がつく。それでも、この活動を経て、自分の内面は以前にもまして静かに、力強くなったと感じている。

仕事の学習をバランスすることは難しかった。精神的に。僕はコンサルタントという生き方は自分の100%をもってクライアントの成長に資することだと思っている。大袈裟かもしれない。それが体現できてるかといえばまだあまりに未熟だ。それでも志すところはこれだ。なので、留学準備の過程で、浮気をしているような感覚に囚われることが多々あった。浮気したことないのだけど。もう一度言っておこう。僕は、浮気を、したことはない、のだけど。きっと浮気というのはこういう感覚なのだろうな、という想定に過ぎないのだけど。想定に過ぎない、のだけど。

物理的に時間をクライアントに対してではなく自身の学習へ割くわけだから、その時間をクライアントに対して投じればもっと価値が出せるのではないかと考えることが多々あった。罪悪感を持っているときに自分の”あら”を見つけることは容易い。この仕事を続けるべきかどうかを考えた瞬間も少しだけあった。

クライアントとのエンゲージメントがあり、その中でのアウトプットがあり、それを出すことが目的であり、そのために自分がどれだけ参画するべきかを決め仕事をしている。1日24時間使うかどうかは自分の意志だし、もっと言えば自分のパフォーマンスが高ければ不要だろう。使う時間の長さと価値だって正比例の関係にはないだろう。と頭では考えていた。が、気持ちはそれに従わなかった。

最終的に自分がとった行動はシンプルだったと思う。四の五の言わずやるべきことは全部やる、やるべきでないことは絶対にやらない。という意思決定。そして自分の仕事は自分でつくる、という意思決定だ。

何度も自分の頭の中に登場するし、ブログでもtwitterでも書いた記憶があるが、やはり正念場では腹を据えてど真ん中に突っ込むのがいいと思う。そして、やるべきことに集中する、自分がやるべきでないと考えることは絶対にやらない。それが最もしやすい環境は自分が仕事をつくり、自分がそれをリードすることだ。

開き直りだとも思っている。自分が勝手に覚悟を決めてつくる仕事=クライアントに対する最大貢献なのか?という問いは頭の中に常にあった。クライアントに尽くすと言いながら自分都合を優先してるじゃないかという考えがよぎったこともあった。それでもその時は、これが自分の全力だ、自分は逃げない・腰を引かない、なんとかする、というコミットメント(なのだろうか)のもとにひたすらに自分の信じる道を進んだ。

勿論独りよがりではなくて、クライアントと共に。

ベストかどうか、自分の軌跡を振り返れば考えるところはいくらでもある。それでもきっと良かったと思いたい。

やるべきことは全てやるべきだし、やるべきでないと考えるものは、その限り絶対にしない。当たり前なのだけど、それを行動しきる大切さを身をもって学んだ。

最後に、この過程で得られた最大の気づきは、自分独りでできることはあまりに限られているということ、そして無私の心で全力で何事かに当たっている限り、いざとなれば絶対に助けてくれる誰かが現れる、ということだ。

この数年を振り返ると、自分一人で成し遂げられたと言えるものはない。これまで書いた内容と矛盾するかもしれないが、どれだけ覚悟を固くして深夜に家に帰りそこからその日の学習終えようとしても寝てしまうことがある。プロジェクトをマネージャとして3つ持ちながら走り続けて時には”留学準備”という言葉さえ頭から消えてしまうこともあった。

そんな時に自分を奮い立たせてくれるのは他でもない、同じく留学を志す方々の頑張りだった。他人は他人、自分は自分、と思っていても、自分と同様に苦しい環境でもがきながらも志を折らずにいる仲間の存在は本当に大きかった。そして勿論、プロジェクトの中で自分が留学をしようとしているという話をした時に、それを応援してくれて、プロジェクトを共に走ってくれたコンサルタント仲間の存在も大きい。自分のペースメークをして、Essayに限らず仕事の悩みを聞いてくださったカウンセラーの存在だってあるし、一足先に留学している仲間の活躍だってある。

自分独りでは志を立て続けることさえままならないということを知った。
そして、その気持は自分が驕ることを戒め、謙虚に、真摯に周りの方々へ接するよう自分を仕向けてくれた。クライアントの成長に100%資するのだ、いざとなったら自分でなんとかするのだという根拠のないコミットメントと自信、一方で独りでできることは限られていて、仲間がいてはじめて成し遂げられる仕事に向かっているという自分の実力不足の自覚と謙虚さが内側に同居した状態だったと思う。

そうやっていると、本当にありがたいことに、ピンチに陥った時に手を差し伸べてくれる、肩を貸してくれる方というのがいつも現れてくださった。

それをあてにすることは許されないし、他責で物事を考えはしない。ひたすら感謝だ。恩返しができる自分になりたいと望むし、自分も自分と同じような状況に置かれている人がいた時に手を差し伸べられる強さを持ちたいと望む。

強くなければ自分が望む人生を生きられないし、自分が力になりたいと思う相手にそうすることさえ叶わない。

これから先の展望はまた整理をしていきたい。ただ、いずれにしても僕は強くなりたい。

あわただしい日々の中で

昨日帰国し、同窓会の前夜祭を経て、この週末は大学時代の仲間とその家族で温泉に集まって同窓会。
この4月から、日本に加えて欧州や中国での新たな出会いや別れがあり、以前に増してあわただしい日々を過ごしている。(慌ただしいとか忙しいという漢字はそのつくりかをみるとあまり使いたくないが適語が思い浮かばず)
いくつの出会い・別れがあっても、それぞれひとつひとつのインパクトが小さくなるわけではないし、重みがかわるわけでもない。それぞれに自分と相手がいる話だ。
あわただしい日々のなかにいると、大切なそういった出来事を、時間の流れに任せて置き去りにしてしまうことがある。自分のキャパシティには限りがあるし、溢れてしまう分は流してしまう/忘れてしまうというのは自然なことなのかもしれない。
でも、そのまま流してしまわず、脇に置くことはあっても、ひとつひとつ手にとって、丁寧に自分の人生として解釈していきたいなと思う次第。多くの人と出会うことは幸せなことだけど、その数にかまけてそれら個々の自分の人生の中での意味合いを薄めてしまうのは避けたいなと。
その方が人生楽しい気がして。

媚びない人生

媚びない人生
ジョン・キム (著)
アツい一冊。この本に若くして出会える人は幸せだと思う。
メッセージの部分部分は他のいくつかの本にも散りばめられている。根本にある考え方は7つの習慣―成功には原則があった!に登場するresponse abilityに重なるとも考えられるし、影響力の範囲に関する部分もある。無知の知は言うまでもない。”自分の”人生を生きるというテーマは史上最強の人生戦略マニュアルに通じるものがある。
でも、この本にあって、上記のような書籍、理論であったりtipsとして整理された内容、にはないものがあると感じる。それは、著者の、読者であり自身のゼミの学生に対する愛だ。著者のこれまでの人生の全てに支えられた、魂の込められたアツいメッセージたちだ。
すでにいくらかの経験を通じて自分の中に”変わりたい”とか”どうなりたい”という火が多少なりともついている人なら理論書で動ける。でも、その火がまだ点っていない人は理論書を読んでも動けない。動く理由が自分の中にないからだ。
この本に込められた熱は心にそういう火を点す力がある。もし過去についた火が消えて心が湿っているなら、それを乾かしもう一度火を点す、背中を押してくれる力がある。
著者が何も包み隠さず、飾らず、臆することなく自分の考えを投げ続けるこの姿勢こそが、ここに書かれている文章そのものよりも力強く読み手を動かす。そんな一冊だと感じる。
印象に残った言葉を一部以下に抜粋する。

P.39
必要なことは、何より自身の成長を意識することだ。未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。

P.69
知ったふりをするのは、「他者への欺瞞」であると同時に、「自分自身への侮辱」である。

P.87
結果に対する全責任を負う決意に基づいた選択は、常に正しい。

P.112
自己主張をあまりにし過ぎると、人間に軽さが生まれてしまう。(中略)だからこそ、重要になってくるのが、自分は何を主張したいのか、という優先順位をしっかり考えておくことだ。

P.120
自分の思考に、最初から制限を持たせてはいけない。それは人生に制限を設けることと同じである。必要なのは、誰も見たことがない地図を創ろうとすることだ。

P.136
他者に対して、しっかりとした自分を持つことは大事だが、すべてにおいて譲れない硬直さをもった人間は、周りからは付き合いづらい人間に映る。

P.158
最終決定を他人のものにするな

P.201
自分が目指す目標や方向性が変わること、それ自体はまったく問題ない。むしろ変わるのが自然なのだ。(中略)人生の一貫性は他者の評価によって決まるものではない。自分でしかその判断はできない。不可侵領域だと認識することだ。

P.206
いつまで経っても学ぶだけの人は、それだけの存在で終わってしまう。(中略)与えることに喜びを感じる人になることだ。

P.226
最終的に人生における自由を手に入れるために必要なのは、強い自分なのである。それこそが唯一、自然体で、穏やかな状態で人生を過ごしていくことを可能にするのである。

P.227
人生の成功は他者ではなく、自分で決めるのだ。

P.229
皆が挑戦した後、後追い的に挑戦してもそれが持つ意味は薄い。そもそもそういうものを私は挑戦と言わない。世の中がなんと言おうと、自分が信じていること、正しいと思うことを実現するためにリスクを負って行動に移す、それこそが挑戦ではないか。

P.249
自分が自分の成長に対して、一番真摯にできることは、自分の未熟さ、あるいは自分にできていないことと向き合うことだ

そうか。これがトレードオフだったのか。

久しぶりに読書に戻ってきて気づいた。なるほどこれが自分がこの2年間他のことを優先した結果失っていた経験なのだと。
活字に埋もれる純粋な幸せであり、著者と対話しているようなワクワク感であり、新たな気づきが自分の頭であり心を広げてくれる/深めてくれる感覚であり、読書を続ける中で点と点が繋がる瞬間を味わう歓びだったり、それを持って自分の過去を省みる時間であり。その結果自分を高める機会であり。
これからより多くの本を読み進めていけば、あの時にこの言葉に出会っていれば、という瞬間も訪れるのだろうなと思う。この2年の間に読書にこれまでどおりの時間を投じていたケースより高い確率で。
勿論そのかわりに得られたものもあるし、何より自分がそうしたくてしたわけだから後悔はないのだけど。ふと気づいた。
昨日今日読んだ数冊の中で共通して言われているのは”自分の価値観に従え”ということだ。この言葉だけなぞれば当たり前の話だが、実際に自分の価値観は何だ?と問うてみるとそれに答えるのは簡単ではない。
それであっても大切なのは、その時その時で自分がこれが自分の価値観だと思えるものに従い、軌道修正をかけ続けることなのだと思う。行動の結果も含めて、自分へのインプットが変わればアウトプットが変わる、その繰り返しがプロセス(自分の中身)を自分に教えてくれるだろう。
プロセスの中で変わるものもあれば、変わらない部分もあるはずだ。そしてその変わらないものとプロセスを変えた理由が自分の価値観なのだろう。
そう思える時点で、次の自分の行動にワクワクするし、立ち止まってしまうこと・停滞してしまうことが怖くなる。
これからもめいっぱいチャレンジしていかねばなと思う。
今目の前で怖いのは、つい本を読み続け、ブログを書き続けてしまった結果、次の予定に間に合うのかということだ。
急ご。