写真を撮るということ

ひょんなことから同級生のつてで、バルセロナ在住の写真家の方とごはんを食べた。バルセロナに7年住んでいるその方お勧めのバルを教えていただいて、久しぶりにタパスをつまみながらとりとめなくいろいろな話をする、聞く。歳が近いこともあって話題の幅も広がる。自然と写真に関する話にもなる。とても新鮮で、楽しかった。面白いもので興味をもった会話は大体全て覚えている。ひとつここに記しておきたい。

動物を撮るか静物を撮るか

僕は静物を撮るのが好きだ。ものであり風景であり。それはその方が自分のタイミングで思うように撮れると考えていたからだ。一方で、例えば人は動く。人の表情をここぞという瞬間に満足いくように捉えるのは難しい。

しかし彼はそれとは逆の考えだった。なぜか。それは、人であればここぞという瞬間は自分たちでつくりあげることができるが、自然相手ではそれができないからだ。目的があり、それを満たすコンセプトをつくり、それに沿って写真を撮っていく中で、自然と人相手であれば会話が発生する。限られた時間の中であってもお互いを知り、信頼関係を築いていく。相手のとびきりの表情を見出す。それを引き出すとともにそれを引き立たせる構図、角度、光のあて方(影の活かし方)、等を調整していく。人相手であれば自分と相手、周囲の協力のもとになし得ることだ。

一方で自然相手ではそうは行かない。会話しながら相手を動かすことができない。構図は自分で決められたとしても、光の射し方等は例えば天気に依存するよりほかない。構図だって、自分がこれだとおもう構図をつくれる場所をつくれなければ、その想像上の構図で写真を撮ることは叶わない。自分と周囲の仲間で最大限努力しても、自然は動かし得ないのだ。

目からウロコが落ちる思いだった。

上記の内容もそうだが、ただなんとなく、受け身で自分の目に入るものに対してシャッターを切るということと、自分の中に理想を描き、能動的に対象をそれに重ねてシャッターを切るということの違いを感じた。

だから何なのか。と言われれば何でもない。これからも僕は自分の感覚に任せて写真を撮って行きたいと思う。ただ、こうした素晴らしい出会いを通じて、頭で考えずとも直接感性が磨かれ、それまでよりも一層楽しくいい写真がとれるようになっていたらとても嬉しい。

と言いつつ、きっとこれまでより少し幅広く、少し繊細に、写真に関するアンテナを立てていくのだろうと思う。それも自分が自然とやってしまうことだからよしとしたい。

母の誕生日等を祝う

母の誕生日が16日だった。そのプレゼントを買いに昨日出かけた。ランチをし、プレゼントを買い、ちょうどやっていたアートアクアリウムを観に行った。姉も含めて3人だ。

プレゼントは良い物を買っても引き出しの奥へしまってしまう癖があることから、今回は質より量ということでカジュアルな格好を上から下まで2セット程プレゼントした。何だかんだ言っても僕らが勧める服を楽しそうに着ては喜んでいる母親は微笑ましかった。その場で新しい服に全て着替えて、カフェによって一休みし、その後アートアクアリウムへ。

何年か前に東京で行ったことがあったのだが、久しぶりに見ると目に涼しく美しい。

家族へのおみやげを買い、帰途についた。

留学している僕は、その準備期間も含め、ここのところ満足にお祝い出来ていなかった。母の日も含め。なので今回はゆっくり祝うことができて良かった。

今日、母は疲れが出たのかゆっくり寝ている。末永く健やかにいて欲しいと思う。

_aDSC4468

_aDSC4476

_aDSC4492

_aDSC4518

_aDSC4559

_aDSC4598

今年も無事誕生日を迎えました

_aDSC4383

今年も無事に誕生日を迎えた。中学からの親友の実家のBBQにお邪魔している時にサプライズでお祝いしてもらえた。とても嬉しい。真夏の昼下がり、タープの陰でローソクの日を消して皆で記念撮影をした。親友夫婦には3人の子どもたちが、その妹さん夫婦には2人の子どもたちがいる。皆で集まって写真におさまった。

そしてFacebookを経由して何十もの方々からメッセージをいただいた。本当にありがたいことだ。m(_ _)m

昨年も今年も海外へ立つ前に誕生日を迎えている。旧知の仲間と会うことができ、大学時代からお世話になっていた方へ手をあわせることもでき、実家でのお盆を済ませてまた次の一歩を踏み出せる。とても良いタイミングだと思っている。生まれてこの方、誕生日といえば夏休みでありお盆シーズンであり、友達に直接祝ってもらうことは少なかったことを悔やんだ?こともあったが。

経験の幅を広げる程に、自身の至らなさに気づく。それを放っては置けない一方で、そんな凸凹を補いあいチームで動くことの大切さを実体験で感じる。コンサルティングの経験をもって実事業に臨んだ際に自身の線の細さを知る。その一方で自分がaddできる価値も見える。

さてさて、自身の全てを注ぐ対象とがっぷり対峙する前に、2年目も一層のチャレンジをしていきたい。

2年目は再来週から、サン・パウロで幕を開ける。

高校バスケ部同窓会

12日は高校時代バスケ部の同級生の集まりだった。ちょうど実家に戻ってきているタイミングだったので参加することができた。ものすごく懐かしい仲間もいれば、ブログを辿ってみれば3年前の高校の同窓会出会っている仲間もいた。

時間は経つのはあっという間のようでいて、3年前の自分と今の自分を比べると特に生活環境の変化は大きく、まだ3年しか経っていないのかとも感じる。3年前の自分は英語の勉強を始めた頃。その後の2年はなかなか苦しい、しかし今思えばとても充実していた時間だった。

そんな風にして各々がいろいろな変わっていても(多くが結婚し、親になっている)集まると高校時代の部活のキャラクターに戻る。僕は自分から会話をひっぱるとかそういうことはなく、ただ笑いながら人の話を聞く。何かを話せば突っ込まれる。突っ込まれて笑う。

7時間近く話していたのではないだろうか。教職についている仲間もいる。今回は先生は参加されていなかったが、監督とプレイヤー、先生と生徒という関係ではない、教職の先輩と後輩という関係だからお互いに言える本音というのもあるのだと思う。そういう話を聞いているととても楽しいし、キャラクターが戻るとはいえ自分たちもおとなになったのだと感じる。

 

自分が身をおく環境が変わればその環境での自分のキャラクターができる。その度に新しい自分を知る。

歳を重ねるに連れてその新しい自分の”新しい部分”は小さくなる。自分に芯ができそれを持って環境に臨めるからなのか、自分の芯がずれるような環境にそもそも身を置こうとしないからなのか。

何れにしても多感な時期に身を投じた環境であり、そこで苦楽を共にした仲間でありの存在は大切なものであると思う。

これからもこういう時間を持てるようにしたいと思うし、その度に楽しい時間を過ごせるように、悔いのないよう日々精進したいと思った。aphoto

実家へ帰る

夏休みの終盤からサン・パウロでのインテンシブクラスへ参加する。その前に少し時間をつくれたので実家へ帰る。海外で生活するのは人生で初めて。離れて気づけて日本の良いところは多い。限られた時間の中で満喫する。ご飯は美味しく、おもてなしの心はとても嬉しく、畳の匂いに癒される。

_aDSC3822

_aDSC3870

_aDSC3943

_a0012831