el Bulli. chef x Architect – Innovation with Ferran & Makoto へ行ってきた

この土曜日はel Bulli.のシェフのFerran Adria氏と建築家の谷尻誠氏の対談を見に行ってきた。IESEのJapan Business Clubが主催したイベントだ。盛況で、キャンパスで最も大きい講堂があれだけ混み合っているのは初めて見た。2階席も人で溢れていた。
スペイン語で話すFerran氏、日本語で話す誠氏の対話をスペイン語、英語、日本語の同時通訳でファシリテーターであり聴衆でありにタイムリーに、正確に届けるのは難しいことであったと思う。実際誠氏のコメントを日本語で聞きながら英訳で聞いてみると、その内容の細かい違いに気づくことは多かった。もしかしたら通訳ではなく言語そのものが原因なのかもしれないが。Ferran氏の話し方は独特らしく、スペイン人であってもそれを全て理解するのは難しいとのこと。話すスピードの速さも原因のひとつのようだが、右脳派というかなんというか。
今の僕は誠氏に学ぶことが多かった。過去イノベーション・マネジメントのコンサルティングに従事していた時代を思い出し、考えを整理することができたように思う。
僕が受けたイメージは、Ferran氏は自分の中に確固たる考えを持っていて、それを堂々としたプレゼンテーションで伝える。質問に対しても自分が考えていることを伝える姿勢がまず第一にでてくる。なので質問への答えになっていないこともしばしば。ただ常に力強く聴衆へ語り続け、多くの笑いであり頷きでありを生み出していた。
一方誠氏は、自分の考えとそれに従った経験を持っているが、それと同時に他を受け容れる柔軟性も備えているように感じた。個人のエンターテイメント性を強く感じさせるプレゼンテーションではないが、シンプルに自身の考えとそれに従って何をどう生み出したのか自身の作品を紹介する。静かでありながら力強いものであった。質問へも直接こたえるし、質問によってはそれは今自分も考えているところで明確なこたえは持っていない、という前置きのもとに話をされていた。
プレゼンテーションのスタイルは好みとして、自分も含めて、ネイティブでない言葉を、通訳を通じてどれだけ理解しきれているかは疑問があるところ。もっと理解を深めれば印象も変わってくるものと信じる。
誠氏から学んだ内容を以下にまとめる。彼の言葉そのものではなく自分の解釈を含めている。

名前がそのものの提供価値を規定している。水の入ったコップは魚を入れれば水槽になるし花を生ければ花瓶になる。これは最初から水槽や花瓶という名前をつけていないことによって機能が広がる、使い道が広がるという事だ。

オフィスであり美容院でありもそう。例えばカフェ。カフェであってもその中で人々が皆パソコンを広げるなりして仕事をしていればその空間はオフィスと名付けられる。何が空間の名前を決定づける要因なのか。

自分が主催するTHINKというイベントのために名前を付けない空間を所有している。その中で髪を切ってもらった時そこは美容院になった。美容院をデザインすると考えると普通鏡が重要な位置づけにくる。しかし実際には鏡がなくとも美容院は存在しうる。

意味のない多くのものの中から新たな意味を見出すことがイノベーションではないかと考えている。例えば昔、人々がに見える多くの星々をつなぐことで星座という概念をつくりそこに意味を持たせていったように。

”透明”は何かを考えた時に、川を流れるキレイな水にたどり着いた。それは透明だが、水がなければ人々は透明であるとは感じない。であれば物質によって透明を表現できるはずである。

継続的にイノベーションを生み出していく際大切なのは一人で考えないことだ。一人で考えた先に出来上がるものは形になった自分一人のアイデアに過ぎない。それではイノベーションと呼べない。そこへ予期できない他者を巻き込むことで化学反応が起こり、自分で想像だにしなかったものが生み出される。

昔の人々は今に比べてもっと考えていたのではないかと思う。その考えぬかれたものが、今もなお伝統として残っているのではないかと。今の時代は情報が溢れている。考えなくても生きていける。しかしそれでは未来に自分たちの何が残るのか。未来に何かを残すためにも自分たちも常に新たな何かを考え続けなくてはならなないと思っている。

イノベーションが新たなつながりだというのは、元々シュンペーターがイノベーションの概念を打ち出した時の定義に重なる。ノイエ・コンビナチオ、新たな結合がイノベーションであるということで。
継続的にイノベーションを起こしていく上で一人で考えないということも同意する。僕は”誰に対するイノベーション”なのか、という点も考えるに値すると思う。誠氏の考えの前提にはもしかしたら自分に対するイノベーションというのが強くあるのかもしれないと感じた。自分の中で新たな結合を生み出す、見出すために他者との化学反応が必要であると言われていると感じた。
それもあるが、その何かしらの結合が誰にとって新しいのか、誰にとってイノベーションであるのかというのも考え方としてある。タイムマシン経営にしても、あるところで既知の経営手法が、それのないところでは新たな手法となるわけだし、その場所に限定すればイノベーションであるだろう。リバース・イノベーションにしてもそう。全く同じものを新興国から先進国へ投入した結果、利用シーンであり誰かのニーズでありと新たな結合が生まれイノベーションになる。
加えて強く感じたのは、それを体現している方の力強さだ。言葉では、理論でどうだという話と、それを実際に形にして、価値として世に届けることは遠く距離が離れている。それを、実際にやりつづけ、イノベーションを実際に生み出している方によって語られる結晶化されたコンセプトは多くの学びを与えてくれた。
濃密な時間だった。
講演会後、クラスメイトと話していると、Ferran氏よりも良いことを言っていたよね!と言う人もいた。ただ、言葉の壁があってうまく理解しきれていないかもしれないとも。
まずは英語とスペイン語、磨いて行きたいなと思った。

キャリアにおいてもオプションを持つことが大切だ

Ethicsのクラスでは様々なハラスメントに対してどのように対応すべきかという点も議論になる。上司からのパワーハラスメントに対してどのようにふるまうべきなのか等。様々な意見が出る。構築すべき内外での関係は何か。どういうプロセスを踏んで物事を進めていくべきなのか。その中で何に注意すべきなのか。
個人的に最も大切なことはオプションを持つことだと考える。
例えば、問題を抱えている組織の外、企業の外に自分のポジションを持つことだ。転職先を見つけるということだ。問題を自分と上司の関係だと捉えると、この手の問題の結論は、上司が替わる、自分が替わる、上司が変わる、自分が変わるのいずれかになる。問題がこじれる程、上司も自分も変わることは難しくなるだろう。そうなると残された結論は、上司が替わるか自分が替わるかだ。上司が優秀であるほど、上司が替わることも難しいだろう。違法行為をしていれば話は異なる、組織がパフォーマンスよりも良識を正面から重んじる文化であれば話は異なる、しかしそうでなければ組織にとって価値のある人材が優遇される。
結果、自分が替わる。
問題をクリアにする過程、問題のエビデンスを集める過程、スピークアップしコミュニケーションをはかる過程、内外に仲間を見つける過程、それぞれにおいて、その行動が問題関係にある上司に伝われば事態は悪化する。その組織における自分の立場は悪化する。
そういう状況でまずもって大切なのはオプションを持つことではないか。上記において自分の望む結果を得られずとも、一層難しい状況に身を置くことになろうとも、いざとなれば(もしくはそうなる前に)身を移す場所があることが大切ではないか。
問題解決に向けた過程においては、状況が悪化する可能性も抱えて動くかつ日頃と変わらぬパフォーマンスが求められる。そのプレッシャーにオプションなしで耐えるのは難しいのではないだろうか。勿論話を聞いてくれる仲間はいるだろう。つくるべきだ。しかし自分のキャリアに、自分の人生に責任を持てるのは自分だけなのだ。リスクをとるのだから、自分のすべてをその1つのバスケットに載せるべきではない。他を用意をしておくべきだ。仲間といってもそのバスケットの中に敷く薄いスポンジのようなものだ。勿論大切な存在だが。
言いようによってはオプションを持つということは逃げ道をつくるということだ。つくるべきだろう。問題から逃げずに、結果解決できず本人も燃え尽きてしまっては意味がない。その組織にいることが自分のキャリアのゴール(の一部)になっているのなら話は別だ。ゴールを達成するために手を尽くすべきだろう。しかし違うのではないだろうか。多くの人にとって、企業は自身のキャリアのゴールを達成する、自己実現をする手段なのではないだろうか。そして企業からみれば社員は企業のゴールを達成する手段だろう。適切でないと判断すれば、お互いがその関係を解消する権利を持っているのではないか。
自分のゴールがその組織に所属せずとも叶えられると知り、実際に他のオプションを持ったのなら、そうでなければとれないリスクもとれる、そして苦しい場面においても冷静に考え自分を動かせるのではないか、結果自分の望む結果を得られやすくなるのではないか。

成長を実感する/しないという話

自分が成長している実感がわかないという話を聞いていた。2nd termの期末試験後の帰り道に。考えてみた。確かに感じづらいと思った。理由は2つある。

・成長を感じる余裕・場がない
・成長を測る物差し自体がupdateされる過程にいる


自分が成長している実感がわかない。それはおそらく今は成長を感じる余裕がないからだ。そして成長を感じる場がないからだ。日々のクラスと勉強は勿論、それらに加えて、コンペティションでありカンファレンスであり就職活動でありその他もろもろのイベントでありに参画していたら時間はあっという間に過ぎる。それに加えて前回書いたように2nd termはチームでのアサインメントが多いのだ。スケジュール管理も難しくなる。
というのがルーティンになるのだ。自分の成長を確認する、振り返る時間をつくるのは難しいだろう。

自分が成長している実感がわかない。それは成長を測る物差し自体をupdateする過程にいるからだ。多くの人がMBAに来る前には企業に所属していた。そこでは成長を測りやすい。組織から期待される目標があるからだ。これを無自覚に自身の目標を混同すると危うい、しかし自分の状況にかかわらず組織からの目標は存在するわけで、ある意味ひとつは一貫したものさしがある。その達成度合い(結果指標)は勿論、そのために自分が何をしてきたのか成功経験・失敗経験を振り返ることもしやすいだろう。
MBAにも勿論各人目的を持ってきている。少なくともエッセイを書く中で短期・中期・長期のキャリアゴールでありWhy MBAという話は考えているだろう。しかし実際に上記のようなMBAの生活に身を置くと、ゴールを描く自分が変わることはままある。置かれる環境がかわる、自分へのInputがかわる、自然とOutputも変わるだろう。
Outputベースで動くという考え方は勿論ある。しかしMBA留学を経験する前に描いたゴールに固執する必要もないだろう。こうした、自分の目的を達成する手段としてのみならず、その目的さえもUpdateするようなTransformationalな経験にできる機会であると思う。
ということで、自分の成長を測るものさしが、振り返る余裕のつくりづらい日々の中でUpdateされる過程にいるのだ。成長を感じるのは難しいだろう。

とは言え振り返る時間はつくった方がいいかなと思う。面白いもので振り返る時間をつくれば、自分が何を得たか探すようになるし、それで見つからないと普段からそういうものに気づこうとし始める。後から振り返れば全く異なる意味を持つ点であっても、そうやって日々の中で意味合いを見つけながら生きていくというのは面白いものだ。
おそらくMBA受験を経験した多くの人がエッセイを書く過程で自分のこれまでの人生でおとしてきた点を洗い出し、そこから自分が本当に好きなことはなんであったのか、やりたいことはなんであったのかを紡いできたと思う。そうして自分だけのWhy MBAを見出して留学を果たしていると思う。そのプロットの中で、これまで見向きもしなかった何気ない自分の行動が輝き出す瞬間というのがあったのではないかと思う。
これは留学準備に限らない。人生に共通することだと思っている。今経験したことの解釈は、解釈する自分が変われば自ずと変わる。ただ、何もしていなかったら、解釈する対象がなかったら、それは叶わない。
振り返る時間をつくるのと同時に、成長を実感するしないに関わらず、自分がやりたいと思ったことはすべてやる。やりたくないと思ったことには、そこがuncomfortable zoneだと思ってあえて飛び込んでみる。そんな、限られた時間の中で目一杯自分の人生に点をうち続けるというのも大切な考え方かなと思う。

グローバルキャリア ―ユニークな自分のみつけ方


グローバルキャリア ―ユニークな自分のみつけ方

石倉洋子 (著)

グローバルキャリアについて石倉さんのお話を伺う機会があったのでそれに併せて読んでいた。『戦略シフト』の考え方 – オープン化、ORをANDにする、ユニークさ – を個のキャリアへ適用し、ユニークな自分のみつけ方に光をあてる。

まず雇用環境・仕事環境の変化を掴み、次にその中で上記3つを実践する心構えを説く。そしてグローバルキャリアへの実践トレーニングの手法が紹介あれ、最後はキャリア戦略シフトの実践を自身を含む8人を事例として紹介する。

この本の中でも触れられているし、自分自身も大切だと思っていることは、

P. 107
「活動の主役」はあなたなのです

という点に尽きる。あなた=読み手自身。

いつ、何を、どうするにしても、その全てのケースにおいて、最終的に意思決定を下すのは自分自身であり、その行動の一切の結果責任は自分自身にしかない、ということだ。

人間自分で直接変えられることもあれば、間接的にしか影響を及ぼせないものもある。変えられないものも多い。色々なシチュエーションがあるが、その中で日々生きている自分の行動の全ては、他人にやらされているのではない、自分がそれをやると意思決定を下し自分の責任で自分という人間と時間というリソースを投じてやっているのだ。ということだ。そして、いかなる環境下であっても上記の行動については自分で意志を決定する自由をもっているということだ。

P.106
大事なのは、ざっと状況を判断して、計画を変えたことが「自分の判断」であり、意思決定であると心に刻むことです。予定通り活動をしたいが、実際には時間も余裕もなくてできない、という状態が続くと、新しい問題に対しても集中できず、予定が達成できないという罪悪感が残って、精神的によくありません。新しい状況なのだから前に立てた予定通りにできなくてもかまわない、修正すれば良い、また状況が良くなったら始めればよい、と必ず「自分で」心に決めることです。自分が予定や計画を変えた本人だ、これは自分の意思決定なのだということを自覚することが大切です。(中略)繰り返しますが、「活動の主役」はあなたなのですから。

上記は、自分に振りかかる物事を”他責”にしないという考え方にも通じる。そして次に面白く感じたのは、

P.42
ユニークなプロフィールを見出す鍵となるのは、客観的(外面的)と主観的(内面的)な特色の組み合わせです。(中略)客観的(外面的)な特色とは、国籍、年齢、学歴、性別、資格、仕事の経歴・経験など一般に認めらており、何らかの基準によって誰でも判断しやすいあなたの側面を指しています。主観的(内面的)な特色とは、個人のパーソナリティ、姿勢、相性など、実際にその人と直接接触し、身近で一緒に活動しなければ知ることが難しい特色を示しています。

という点。なるほどと思う。

留学準備でEssayを書くために自分の人生を棚卸するが、その時に自分のユニークネスは、客観的(外面的)な特色を1つ1つバラバラに眺めてもそこにあることは少なく、それぞれにある主観性、そしてそのバラバラな経験をなぜ選択して今まで生きてきたか、点と点をつなぐ主観性を掘り起こした中にあることが多い。

ある経験をした人が大勢いても、その経験を、同じ原体験と理由づけから選んでいるひとはほぼいないのではないかと思う。そういった経験の選択の連続が人生だ。そう考えれば誰しもユニークなプロフィールをもっているはずだと考えたくなる。

また、肩の力をほどよく抜く、ロジックより直感に従う、いという点も言及されていてこれもとても良いと思う。色々なケースが有るのだと思うが、これまで論理的・計画的に自身の将来を魅力的に語っている人に出会っていない。彼/彼女らとの会話から感じることには3つのパターンがあった。

1つは、この人は本当に自分を理解しているのだろうかということ。論理構造やステップに関するwhyは話をするのだが、そもそもなんでそれをやりたいと思ったのかというwhyには触れない人が多かった。

1つは、この人は物事を構造化して計画的にアプローチするのが好きなんだなあ、ということ。その計画そのものの良さであったり、如何にリスクをヘッジするかといったことはとても楽しそうに話すのだが、その中身に対する興味はそれほど強くないのでは?と感じる人が多かった。やはりそこに主観的な話がないからだろうか。

1つは、そもそもなんでそこでロジックをつくったりステップを組み立てる必要があるんだろう?ということ。まずやってみて、いけたらそのまま走り続けて、ダメならそこから軌道修正をかけたらいいと感じるのだけどなんでいきなりまわり道の仕方を考えるのかと。軌道修正できないような話は、特に若いうちは、そんなにないように感じられて。

上記、誰しも真剣に自身のキャリアを考えられていた。論理的に説明をつけることだけが真剣に考えることではない。真剣だから自分の勘に耳を澄ませる、一度過去の自分が”してきたこと”を振り返りその理由を掘り起こしてみる、といったアプローチもあって良いのではないかと思うのだ。

P.53
好きなことが思い当たらない、考えられないという場合、どうしたらよいでしょうか。私の提案は、特技、好きなこと、できることにかかわらず、「好きらしい」ことから考えてみるということです。やってもいい、これは好きらしいということから手をつけてみるのです。

(中略)また、活動自体が好きなのか、あるいはそれをしている「人」や「環境」が好きなのか、と自分に質問してみます。

P.84
すべての可能性を考えて、良い点と悪い点を分析し、意思決定するやり方は、課題自体が複雑な場合や自分の調子が悪く、感度が悪い、つまり勘が働かなくて、多くの人の意見や参加が必要な場合以外は、あまり有効ではありません。(中略)それよりもその場での強いインパクトや鮮やかな印象が心に深く残っているうちに、行動に移すことが大事だと思います。

P.104
毎日の生活に少しでも新しい活動や作業を加えよう、生活パターンを変えようとする場合、肩の力を抜いて始めることがとても大切です。目標とするキャリアやライフスタイルを実現するために明日から生活を一変しようと大げさにしてしまうと、そのプレッシャー自体にまけてしまうことがよくあるからです。

キャリアを考える上で参考にできる理論や事例はいくつもある。ただまず必要なのは、日々の自分の意思決定に責任を持つことであると思う。全てが思い通りになる環境はそうそうない、ならないことの方が多いかもしれない、その中にあっても全ては自分が下した決定のもとの行動なのだという考え方が、自分の内面を強くするし、自分を自由にしてくれる。その結果その先も自分ユニークな人生でありキャリアを歩んでいける。

計画された偶発性とは何か

とても面白い記事Globis.jp出ていたのでここにご紹介。そしてPlanned Happenstance Theoryについて一部抜粋。

次の五つの行動が必要だとスタンフォード大学のクラン・ボルツ教授は言っています。一つ目は「好奇心」。心に壁を作らず、自分の好奇心を広げていく。二つ目は「持続性」。すぐは諦めずにある程度納得するまでやってみる。三つ目は「楽観性」。悲観的にならず、意に沿わないことが起こってもチャンスと考える。四つ目が「リスク・テイキング」。失敗はするものだと考え、何かを失う可能性より、新しく得られる可能性を考えてみる。五つ目は「柔軟性」。一度「こうだ」と意思決定したことでも、状況、環境次第では、変えていく。
共通して言えることは、自分の人生に積極的に関与して行動する姿勢と、自分を閉じずにオープンマインドを持ち、自分の可能性をオープンにしておくことが、偶発性を呼び込むコツだといいます。