高校バスケ部同窓会

12日は高校時代バスケ部の同級生の集まりだった。ちょうど実家に戻ってきているタイミングだったので参加することができた。ものすごく懐かしい仲間もいれば、ブログを辿ってみれば3年前の高校の同窓会出会っている仲間もいた。

時間は経つのはあっという間のようでいて、3年前の自分と今の自分を比べると特に生活環境の変化は大きく、まだ3年しか経っていないのかとも感じる。3年前の自分は英語の勉強を始めた頃。その後の2年はなかなか苦しい、しかし今思えばとても充実していた時間だった。

そんな風にして各々がいろいろな変わっていても(多くが結婚し、親になっている)集まると高校時代の部活のキャラクターに戻る。僕は自分から会話をひっぱるとかそういうことはなく、ただ笑いながら人の話を聞く。何かを話せば突っ込まれる。突っ込まれて笑う。

7時間近く話していたのではないだろうか。教職についている仲間もいる。今回は先生は参加されていなかったが、監督とプレイヤー、先生と生徒という関係ではない、教職の先輩と後輩という関係だからお互いに言える本音というのもあるのだと思う。そういう話を聞いているととても楽しいし、キャラクターが戻るとはいえ自分たちもおとなになったのだと感じる。

 

自分が身をおく環境が変わればその環境での自分のキャラクターができる。その度に新しい自分を知る。

歳を重ねるに連れてその新しい自分の”新しい部分”は小さくなる。自分に芯ができそれを持って環境に臨めるからなのか、自分の芯がずれるような環境にそもそも身を置こうとしないからなのか。

何れにしても多感な時期に身を投じた環境であり、そこで苦楽を共にした仲間でありの存在は大切なものであると思う。

これからもこういう時間を持てるようにしたいと思うし、その度に楽しい時間を過ごせるように、悔いのないよう日々精進したいと思った。aphoto

実家へ帰る

夏休みの終盤からサン・パウロでのインテンシブクラスへ参加する。その前に少し時間をつくれたので実家へ帰る。海外で生活するのは人生で初めて。離れて気づけて日本の良いところは多い。限られた時間の中で満喫する。ご飯は美味しく、おもてなしの心はとても嬉しく、畳の匂いに癒される。

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遅ればせながら2012を振り返る

早いもので既に新年を迎え1週間が経つ。年末にレストランで食べた生牡蠣にあたり、初日の出を見た後にまるまる一日寝込むというスタートをきった2013ではあったものの、それでも幸せな年末年始を過ごすことができたことには変わりなく、そろそろ2nd termのスタートに向けてギアをあげていきたいところ。

このタイミングで2012を振り返りたい。思えば大きい変化を迎えた年だった。

2012の今頃は受験の真っ最中で、日々エッセイと格闘しながら、スコアを上げる努力も続けていた。仕事と並行して。これは受験とは関係がないが難しいプロジェクトだった。これまで自身が手がけてきたプロジェクトとは違う意味で。今思えば学ぶことの多い経験であったと思う。

IESEからのオファーを受ける選択をした後、最後のプロジェクトで1.5ヶ月単身中国へ渡った。非常に自由度の高いエキサイティングなプロジェクトだった。当時何も考えていなかったが、VISAを取得し、バルセロナでの生活をセットアップし、東京の生活を閉じるスケジュールを考えると、そのタイミングでその期間海外に滞在するのはタフだった。並行して残っていた親知らず2本も抜いた。どうなることかと思っていたがなんとかなるものだ。こうして無事バルセロナで生活ができている。

8月19日、誕生日を迎えてからの出国だった。地元の空港からで、家族、友達が見送りに駆けつけてくれた。友達まで来てくれるとは考えていなかったのでとても嬉しかった。中学からの親友も家族で駆けつけてくれた。

バルセロナについて生活をセットアップしている時間は、最もゆっくりした時間を過ごせていたのではないかと思う。その後スペイン語集中クラスが始まり、0からのスタートで日々スペイン語と格闘していた。その後本クラスがスタートし日々ケースと格闘していたらあっという間に12月の半ばになり、試験を終え、冬休みに入り、年末年始を迎え、今に至っている。

1st termの振り返りというかは、過去のエントリー”IESEでの一学期を終えて ー二学期以降をより良くするための5つのポイント”としてまとめている。また、年末に得たフィードバックに関しても他のエントリー”自分のチャレンジをする義務”としてまとめている。

ここでは割愛するが、自身の目標に、これらも踏まえて2013の自身を展望している。

抽象論になるが、MBAの20%を終えて、2013に臨むに際し2つのことを感じている。

1つは、もっと主体的にー自分に必要な経験を得る機会をつくるところからして主体的にー動かないと結局カリキュラムを受け身でこなすだけで終わってしまうということ
1つは、自分は自分が考える程強くない。目標をこれまで以上に細分化して生活に埋め込む必要があるということ

至極当たり前にみえるが、これらを感じている。自分のやりたいことがあって、その手段としてMBAを選択しているわけでそれが万能なわけはない。クラスへの臨み方、チームでのディスカッションの運び方、標準的に与えられた枠組みの中でも自分が得たいものを得るための工夫の余地は多分にあるが、それだけでは足りない。もっと主体的にカリキュラムの外に必要な機会を見出し、もしくはつくり出しチャレンジをしていきたい。

そう考える一方で自分の弱さも感じている。上記のように望んでいても、幾つものプレッシャーを背負って日々過ごしていると、自覚なく妥協している、小さくまとまっている自分にふと気がつく時がある。自覚して、自ら選択してそうしているのならいい、無自覚にそうなっているというのが怖いなと思うと同時に、意志の力だけに頼れる環境ではないのだなと思う次第。(この感覚と、自分のやりたいこと、チャレンジ=苦労と短絡的に考えることは異なる。楽して達成できるものは徹底して楽をすればいい)

仕事をしているときはクライアントがいて、限られたリソースの中で最大限の価値を出すという明確な方向性があって動いていたので合理的な選択こそあれ妥協は一切なかった。今はそのクライアントがいない、ないしは自分だ。自分のやりたいことが明確ならば小さくまとまるなんてことはない、と思っていたが、そうではないと気づいた。

となると仕組みに頼る必要があるのだと思う。

それでもなお自分の思い通りに行かないのが人生だと思う。そんな時の粘りが大切なチャレンジなのだろうと思う。

新年早々まとまりのないエントリーになった。

時系列で人の表情に触れる

息抜きに写真の整理をする。
Picasaで写真データを管理している。顔を自動で識別してくれる。時折その判断を修正する・suggestionを判断する。手元のpicasaには200を超える人の、30,000を超える表情がある。
その表情を眺めていると個々人の表情のつくり方、感情の伝え方(どのような感情を伝えているかは受け手の主観的な判断になる)を一部でも理解できるようで面白い。言葉も場の雰囲気も一切排除して、表情だけを追いかけることができる。
またその顔・表情の変化も面白い。古くからの仲間の写真は高校・大学時代から今に至るまでのものが時系列で並んでいる。彼/彼女の人生が表情に現れているように感じられる。勿論自分も然りだ。
相手から情報を得て、解釈して、反応するのは自分。極力相手が発信している情報ではなくて相手が発信したい情報を確認するように、それに対して反応するように心がけているけどそうはいかないときはいくらでもある。
相手を理解するためにも、勿論昔を懐かしむ意味でも、時系列で人の表情に触れるというのは良いことだと思う次第。
そして、自然と良い表情が生まれるような生き方をしていきたいなと思う次第。

何であれひたむき

東京にいた頃の気の置けない友達との会話で妙に頷いた話があった。
留学生活について話をしていた。とりとめなくのんびりと。やりたいこと沢山あるが全てできるかなー(やるのだけど)だったり、スペイン語どこまで身に付けられるかなーだったり。その他諸々。全て自分次第と思いつつ何となく言葉にする。なので相手からも特段返事があるわけでもない。
結構タフな2年になりそうだけどどうなるかなー、と口にすると相手が言った。
”心配しなくても間違いなくタフな2年になるって。だって、対象によらず、やりたいって思ったことはいつだって何でもひたむきにやって自分でタフにしてきたじゃん。”
ああ、確かに。。と頷いた。妙に納得した。
贅沢な時間の使い方をしてきたのだな、とも思った。