Afuri

今日は夜ごはんを恵比寿のAfuri(阿夫利)で済ませる。以前飲んだ後に一度いったことがあるこのお店、今日は飲まずにいったが良かった。ゆず塩麺(淡)。スープがさっぱりしていて、麺も細麺なのだけど薄味という感じはなくてとても奥行きがある。チャーシューもとろとろ過ぎず、かといって油が少ないわけではない。麺に添える直前に炙っているので香ばしくて美味しい。メンマも細くて食べやすい。
21時半頃にお店についたと思う。その時は列もなく店内もいくつか席があいていたのだけど、食べている間に軽めの行列ができあがっていた。きっとみんな飲んだ帰りなんだろうなー、なんて列を眺めながら帰った。

自分を育てる瞬間

先日読了した『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』で特に印象に残っているのは次の企業における教育的瞬間についての部分だ。

P.80
企業における教育的瞬間としては、以下のようなものが挙げられます。
○内定から入社3年目程度までの新入社員期間
○新しいメンバーで新規プロジェクトが立ち上がるとき
○出世や異動の直後
○人材が仕事に行き詰まり、途方にくれているとき
○人材同士のぶつかり合いが度を越えてしまったとき
○中途入社の入社前から入社後3ヶ月程度の期間
○退職の前後

なぜこれが残っているかというと、自分の日常を振り返ってこの瞬間が思った以上に多いと気づいたからだ。そして、それを自分を育成する瞬間と捉えることはとても価値があると感じたからだ。
さすがに内定から入社3年目程度までの新入社員期間は過ぎているのだが、プロジェクトは毎年いくつも経験するし、チームが小規模で多く存在する分異動(というのかな)もある。仕事に行き詰まって途方にくれるなんていうのは考えようによってはいくらでもある(解が見えている仕事ではないし、筋のいい仮説がたたなければタフなシチュエーションになる。途方にくれている暇もないくらいに)。人材同士がぶつかり合うというのもまあディスカッションの上では日常茶飯事、”度を越す”というのがどこまでいくのかはわからないがきっとないはなしでもない。(中途入社と退職はまだ経験していない)
これらをただのイベントというか通過儀礼として過ごしてしまう、変化のネガティブな側面に囚われてしまうというのと、”これが自分を育成する瞬間だ”と捉えて前向きに過ごすので、少なくとも自分の場合は変わってくると思うのだ。
実際に自分が今年からチームを移ったのだが、不安以上に新鮮さであり面白さでありに溢れている。求められるものが変わる中で自分に足りないものを見つけることができる、新しい仲間に出会える、新しい貢献・成長機会に出会える。そうした過程で自分が変わる、そうすると自分の過去からも改めて学ぶことがある。
日常に散りばめられている瞬間においても十分に自分の舵を大きくきって走り出せると、自分の経験もあわさって改めて気づかせてくれた内容だったのだ。

圧倒的な力

先週の金曜日は今年最後のチームmtg。その場でパートナーに見せつけられた圧倒的な実力。ああ、これだけの人と闘って?きたんだなあとしみじみ。普段は仕事で闘うとか競うという感覚がないのだけどこのときばかりは感じる。いや、完敗なのだけど(それではいけないのだけど)。
コンサルティングについての彼の考え方の一部が紹介された。数枚の、シンプルなチャートの中に濃密にかつ整然と彼の考え方が敷き詰められていた。
一緒に仕事をする中で、”オレの頭になれ”くらいのことを言っていたパートナー。前々から仕事のパフォーマンスの高さは理解していたし尊敬していたのだけど、その頭の中身をこうして披露されるとそう言う理由もわからざるをえない。なりたいと思うし(自分を消すとか100%従うとかそういう意味ではなくて)。
自分の強み弱みがまざまざと見えてきたこの一年。落ち着いてすごせそうな年末年始のこの時間、次のストレッチに十分に備えたい。

友達とか仲間とか

自分のプロジェクトを先週前半で一区切りつけたので、比較的時間に余裕ができていた。そんなときに同じチームのコンサルタントが少々クリティカルな状況になっていたのでサポートに入る。プロジェクトに区切りを付ける前からも入っていたので、より参画度を高める感じ。
こういうときはなかなか面白い。何がかというと、人が何で動機づけられているのかを目のあたりにすることができるから。彼本人と話していて主体的にサポートする人、頼まれたら動く人、彼の話は聞いているけど自分の仕事に集中している人、だけどパートナー経由で話がきたら引き受けて動く人、それでも動かない人、彼の話が耳に入らない(届かない)程の状況に自分の仕事がなっている人(こういう人に限って話を届けることができるととてもサポーティブだったりする)etc…。
組織である以上いろいろな関係があるのだと思うけど、常に自分の考えに従って行動を選択していきたいと思う。

自己責任と無関心

たまに、他人から意外な見方をされていることがある。ふと驚いたり、残念というか悲しいというかの感情を抱くときもあるのだけど、この経験はとても良い学びになると思う。なんで自分は自分をそう見ていたのか、そして他人はなんで自分をそれとは違うように捉えていたのか。自分の振る舞いが他人にどのように映っているかを理解できる機会であり、そう映った相手を人がどう解釈するのかを理解できる機会だからだ。
他人の解釈でありその結果生じる感情でありはコントロールできない。でも解釈される自分はコントロールできる。いや、うまくコントロールできないとしてもそれは自分の責任として納得できる。コントロールするしないは自分の選択、できるできないは自分の責任。その結果生じる相手の解釈・感情、それによる自分へのレスポンスも自分の責任。
ということで受け容れて学んでいきたい。あまりに受け容れすぎていると、受け容れるだけで終わっていると、自己主張しないとか、相手に関心がないというように解釈されるケースもあるのでそのあたり考慮しつつ。