苦しい時に差す光

ということでタフなのですが。改めて身をもって感じたのが、そんな苦しい中で救われたように感じるときは、彼らがなるほどそうかとうなったりするような示唆をだせたときだったり、クライアントからの感謝の言葉をかけられたりしたときだ。
肩がとても軽くなる。また走り出せる力をもらえる。
同時に思うのが、クライアントが唸ること・喜ぶことと、客観的に彼らを見たときに言うべきことを混同してはならない、タフな環境から一時的にでも救われるためだけに前者に流れてはいけないということだ。
(something newを毎回用意するだったりという、価値を感じてもらう・合意形成をしやすくするような演出は時にあるが、演出で肝心の中身をごまかすようなことはあってはならない)
あくまで達成するべきはプロジェクトのゴールであり、その先にあるクライアントの成長への貢献だ。プロジェクトは短期集中で、仮説検証のために様々なチャネルから情報を集め、様々な角度から検証する。仮説は完全に棄却されるものもあるし、進化してより面白いものになっていくものもある。そんな過程では苦しい時もある。その過程でクライアントが喜んでくれたり楽しんでくれるようなネタもみつかる。
そこがふんばりどころだ。
苦しい中で、この話をしたら彼らは喜んでくれる、満足してくれるというポイントが見つかったときに、そこに走り始める前に、本当にそれはプロジェクトのゴール達成の観点からして価値があるのかと丁寧に問いただせるか。往々にして熱が覚めたらその時は喜んでいたクライアントからさえもso what?って言われることは目に見えているのに、苦しさの渦中にいる人間はそれを見て見ぬふりして短期的な安堵を求めがちだ。
一方で、かといって意固地になって彼らの興味をねじふせることなく、”低いところになっている実”として上手く収穫することができるか(チームワーク、モチベーション強化という観点から大切)。
コンサルタントを医師に例えることが時折あるが、自身の不養生は避けたいところ。
#スキマ時間に書いたらまとまりのない状態で終わってしまったきもしつつ、普段とあんまり買わならない気もしたり。。。

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