英語での会話に不慣れでも議論の効率はカバーできる

込み入った議論になると何を言っているのか追いきれない時が多々ある。バルセロナにきた当時から考えると伸びている順序はリーディング、次がライティング、次がスピーキング(最初が低いから)、最後にリスニングではないかと思う。

そんな中、Marketing Planning and Implementationというクラスで、ある会社のインドでのマーケティングプランをつくりプレゼンするという課題がでている。今に始まった話ではないが議論の仕方は面白いほどそれぞれ違う。ケースの情報を順番に拾っていく(so whatが見えない)、自分の似た経験を話し続ける(同左。加えてwhyもよくわからない)、与えられた数字を拾って片付けようとする(突っ込みに耐え切らない。定性情報を織り込んでいないので)等。

自分の癖も分かっている。まずこたえるべき問を定める。それにこたえるために必要なフレームワークをつくる。まずこたえを仮置きする。フレームワークの各要素で言うべきメッセージを仮置きする。ケースから必要なファクトを集める。解釈する。メッセージを修正する。という感じ。
まあ噛み合わない。議論がなされているなかでメンバーに納得してもらうだけの説明をすることもできない。そもそも一部何を言い出しているのか理解の及ばないところもで始めている。

そういう時はホワイトボードに自分の頭の中にある構造を全て書き出してしまうのが良い。

今回であれば例えばこのような感じだ。

・まずイシューツリーを書く。それがプレゼンのアジェンダを規定する

・次に議論の前提として業界であり市場の解釈を整理する

・ケースの数字からインドの人口をいくつかの階層のセグメントに切って整理する

・各セグメントの定性情報を付記する

・だからどこをターゲットにするべきなのかハイライトする/どこは狙わないと決める

・各ターゲットを狙うプロダクトのレンジを仮置きする

・売上を伸ばす変数を展開する

・どれにアプローチするのか/しないのかを決める

・アプローチのレバーを書き並べる

・どれを使うか/使わないか決める

・使うものは具体的にどうするのかを決める

・施策として切り出して必要なリソースと予算をおおよそ書く

・施策の評価指標と想定通りに行かないリスクとその対策を洗い出す

etc…

ケースを読みながら議論していたら時間がかかり過ぎる。できれば自分のアプローチで議論したい。ただそれをするのも難しい。そんな時は上記。もくもくとホワイトボードに自分の頭の中を描いていく。”どうしたんだ?”と聞かれたら”頭の整理をしているんだ”と答えてひたすら書く。書いているうちに周りが自然と注目する。もしくは書き終わる頃には周りがそれを待ってくれている。

そこで構造の順を追って話す。構造があればどんな角度から情報が来てもハンドルできる。それはイシューが違うと言っているのか、メッセージが違うと言っているのか、サポートする枠組みが違うと言っているのか、枠組みの中のファクトが違う(無駄か足りないか)と言っているのか。情報を扱うパターンがシンプルにできるし、常にビジュアルにして議論を積み上げていけるからだ。

英語で適時自分の意見を伝えていくことができなくても、こうして構造を共有できれば議論も自然と構造に沿ったものになる。自分が言いたかったのはここなんだ!とか、その構造に沿ってそれぞれが頭の中を整理し始める。

僕の場合はもともと口数も多くないので、チームメンバーにはいつも驚かれる&期待されるようになりつつある。こいつがホワイトボードに何か書きだすといつもすごいものがでてくると(わかる人からしたら何もすごいことはなくむしろ恥ずかしいのだが)。皆喜んで写真を撮る。職業柄か性格からか、自分のつくった構造をもとに議論が盛り上がるのは嬉しいし、aha!と気づきを得て喜んでいる姿を見るのも嬉しい。

英語での会話に不慣れでも議論の効率はあげられる。

自分にリスニング、スピーキングの力をつける必要があることに一切の変わりはない。ただ、それが不十分でもなんとかする方法はある。

プレゼンテーションで気をつけるべき2つのこと

最近Communicationのクラスが面白くなってきた。コンテンツの構成を工夫すればとても良いクラスになると思う。

今日受けたフィードバックも織り交ぜてプレゼンテーションで気をつけるべきことを書きたい。Audienceの理解や資料等は除き個人のふるまいについて。

2つしかない。Verbalとnon-Verbalだ。個人のふるまいはこの2つの要素が構成する。

そして気をつけるためにするべきことは、自分のふるまいを自覚することだ。

前提としてAudienceの理解があり、その彼・彼女らにとってほしい行動があり、そのためのメッセージとそれをサポートする資料が存在する。目的達成を自分のVerbalとnon-Verbalの全てが一貫してサポートしている必要がある。
いかなる時にも、自分がコミュニケーションをとるその場面には上記が存在する。

例えば、相手が思い通りにならないときに怒る。Verbalでは怒っていることは伝えないが、non-Verbalでそれを伝える、しかめっつら?無表情?硬い腕組み?粗雑な物の扱い?パターンはいくつもあるだろう。

それはあなたがそうすれば相手が自分の望む行動をとってくれると思っているからだ。それが適切なのかどうかを判断するためには、そして適切でなかった場合に改善するためには、まず自分が相手に置いている前提ととっている戦略を自覚しなくてはならない。逆に言えば、自覚すれば自分の良し悪しを判断し、改善に着手する機会を得られる。

ということで、今日のクラスは各人のプレゼンテーションを見て、彼・彼女のVerbal、non-Verbalが誰をAudienceと設定していて、どのような戦略でメッセージを伝えようとしていると感じたかをフィードバックするというものだった。

TOEFLのSpeakingの学習と同じく、自分のプレゼンテーションを録画して見ることも、他人のプレゼンテーションをみてそれに対するフィードバックをすることも、コーチからのフィードバックを聞くことも、良い学習方法であると思う。プレゼンテーションの得意なタイプはひとそれぞれ。幅を広げるためには上手い人を真似るのがまずは早いし間違いない。

上記のフィードバックの観点から離れているのだが自分が得たフィードバックのうち今後チャレンジしたい点は2つあった。

・もっとRelaxしてプレゼンする
・もっとAudienceと仲良くする

新しい視点だと感じた。自分を振り返るとプレゼンテーションのほとんどが何らかの報告とセミナーでの講演や研修でのファシリテーションだ。相手は目上の方や年上(ご年配)の方であることが多く、仕事となれば尚の事、フォーマルなプレゼンテーションを心がけるようになっていた。そして自分の中でこれが無意識にプレゼンテーションの際のAssumptionになっていた。

しかし幾人ものプレゼンテーションを見て、コーチのパフォーマンスを参考にしていると、フォーマルなプレゼンテーション=Relaxしてはならないという式は成り立たない。=Audienceと仲良くしてはならない、というのも然りだ。そして確かに、Relaxすることも仲良くすることも、メッセージを伝える上で、相手を動かす上で、とても有用な手段であるケースがあると思える。

こうやって、自分が知らぬ間に引いていた境界線を自覚して、その外に飛び出すのはいつだってワクワクする。

プレゼンの幅、広げていきたい。

IESEでのケーススタディをまとめる。日々クラスで何が起こっているのか。

クラスでもっと貢献するにはどうしたら良いか、学びを深めるにはどうしたらいいか、IESEへやってきてから何度となく考えている。が、そもそもクラスで何が行われているのか、ケースディスカッションについて特段触れていなかった。そもそもケースインテンシヴなカリキュラムは自分がMBAに進むに際して一つ大切にしていたポイントでもあった。その期待と現実を比較しながらまとめたい。いくつかのパーツは既にこのブログに記した内容と重なっている。

まずそもそもケースインテンシヴといってもどの程度のものなのか。1st Termで言えばLeadershipやMarketing Management等のクラスは100%、Financial AccountingやDecision Analysisといった基礎知識が大きく求められるクラスにおいてもケーススタディの比率は前者で40%、後者で80%程度であった。ケースの比重に応じてクラスに臨むに際して求められる準備のレベルも高まる。この点は良いチャレンジになっていると感じている。

1st Termでの経験を通じて3つ新たな気づきを得た。クラスディスカッションへ貢献する難しさと楽しさ、学びの深さは自分が規定する、ケースディスカッションを楽しむ仕組みの存在とその大切さの3つだ。


まず、クラスディスカッションへ貢献する難しさと楽しさ。1クラス75分の中で70人程度のセクションが議論を交わす。ケーススタディ中心のクラスが多いと言うことは、クラスディスカッションへの貢献が成績に占める割合が大きいということ。高いもので50-60%になる。クラスを開始し、ひとたび教授がクラスに問を投げかけるとクラスの1/3から半数程度が手を挙げる。そこからディスカッションのフローが始まる。難しいのは、その非常に柔軟性の高いフローの中で自身の主張を立てポジションをとることだ。多くの意見が様々な角度から出る。ケースの情報を提供するだけのものもあれば、鋭い示唆を含むものもある。ケースの枠を超えた各人のバックグラウンドに根ざした実体験もある。教授が強く指揮をとることはあまりない。ポイントポイントで軌道修正をすることもあるが、問を深め、広げ、クラスの議論をゆるやかにコントロールする。後は学びのポイントを強調する、議論が散らかりそうになった時に整理する、という具合だ。オーケストラというよりはジャズに近いイメージだ。なので、自分がいかに筋の良い意見、面白い意見を持っていても、議論のフローを理解していないと発言は難しく、流れを外す/変えるような意見であれば(往々にして重要な学びはそのような意見から生まれる)それを貫くだけの裏付けが求められる。

それを成し遂げることが楽しいのだと感じている。自分の投じた意見、奏でた音に周りが加わって価値のある議論が生まれていくことは本当にエキサイティングであり楽しい。反面、それができないときは悔しい。


次に、学びの深さは自分が規定するということ。上記のようなディスカッションが75分なされ、教授が最後に簡単にラップアップし、時折ケースの後日談を話し、クラスは閉じる。そこから何を得るのか、それは自分が何を求めてそのクラスに臨んだのかが規定する。予習を十分にせずに臨んだクラスから得るものは少ない。自分の中にそのクラスから何を得たいのか、クラスで何を問いたいのかが不明確だからだ。問なくして答えは得られない。目標なくして成果は得られない。感覚値だが予習には1ケースあたり2-3時間程度使っている。

そして、その75分間のクラスをいかに濃いものにするのか、それは自分のクラスへの貢献が規定する。クラスの議論の質が良くないと感じた時、浅いと感じた時、それを良い物にするかどうか、深めるかどうかは自分にかかっている。自分と同じ意見をもった他のクラスメイトが動くことも勿論ある。しかし全てがそうではないし、そうであってはならない。その感覚、意見の違いこそが自分の存在意義なのだから。他人と全く同じであるなら、周りからして自分がそこに存在する価値はない。自分の得たい学びにたどり着くためには、自分の準備と貢献が求められる。そしてその経験を通じて、自分のクラスの中でのポジションがつくられる。


そして、ケースディスカッションを楽しむ仕組みの存在とその大切さ。上記のようなケースディスカッションなので、常に張り詰めた空気の中でシリアスに議論がなされているかというとそうではない。クラス中の笑いを誘うような意見を出すクラスメイトもいれば、突き詰め考えに考え抜いた結果当たり前の事柄がすっぽり抜け落ちてしまうような“天然”の意見を口にするクラスメイトもいる。そういった発言をした人に対して何が起こるかというと、賞(?)が与えられる。背景は把握していないのだがカウ(牛)のぬいぐるみが渡される。毎週金曜日のクラス後に、月曜日からノミネートされてきた今週の面白発言がおさらいされる。それに対してクラスで投票し、翌週カウが誰のもとに置かれるのかが決められる。当人のネームプレートの横に置かれるので、教授に対しても“彼女/彼は面白いことをいったんだな”とひと目でわかる。更には、一学期であれば期末にクリスマスボールというクリスマスパーティがあり、その場でセクションを跨いだのCow of the yearが決められ、賞が与えられる。

また、教授によっては、“同じ意見を言ったら1€ペナルティ”というルールを設けられる。議論が白熱していると、そして日々の学習で疲労が蓄積していると、周りの議論を十分に追わずに自分の意見を言うケースが発生する。それを予防する効果がある。似た発言があった際には、最初の発言者へ“今の彼女/彼の意見は君と同じかい?”と確認し、同じであったらペナルティが発生する。ペナルティの判断が生徒に委ねられている。その瞬間の微妙な空気はいつでも面白い。また、その逆で教授が生徒の意見を聞いていなかったケース、もしくは教授の携帯電話がクラス中になったケース等は、教授も同様にペナルティを受ける。そのお金はぶたの貯金箱へ貯められ、外部団体へ寄付される。

こういった、シリアスな議論を重ね深めていくことだけに偏らず、それを楽しめるちょっとした工夫がなされていることは自分にとって新鮮であった。また、議論が白熱・迷走した際にこの仕組の大切さを強く感じている。

日々こうしてクラスを3つ行い、加えて月曜と金曜にはスペイン語をクラス後に3時間ずつ学習しているというわけだ。

成績のために発言するのではない / I will challenge = 頑張りますではない

今の2nd TermにはCompetitive Strategyというクラスがある。その名前の通りの内容のクラス。ポーターのポジショニング戦略をベースにしている。古典的といえば古典的な内容だ。自分のこれまでの仕事と重なるテーマが多く、自然と言いたいことも増える。
話を逸らす。経営戦略の考え方について、そもそもどういう考え方があるのかの全体像をおさえられたい場合、次の本を一読されると良いと思う。

戦略サファリ―戦略マネジメント・ガイドブック
ヘンリー ミンツバーグ (著), ジョセフ ランペル (著), ブルース アルストランド (著), Henry Mintzberg (原著), Joseph Lampel (原著), Bruce Ahlstrand (原著), 斎藤 嘉則 (翻訳), 奥沢 朋美 (翻訳), 木村 充 (翻訳), 山口 あけも (翻訳)

話を戻す。一方で、内容の抽象度の高さも手伝ってか議論であったり何かしらの意見を述べることは非常に活発だ。手を挙げてもなかなか自分にスポットがあたらない。議論で自然と流れが変わらなければぐっと方向転換をかけることもあるし、議論をより深いものにするために、当初の問いではなく誰かの意見やこれまでの議論を踏まえてどう考えるのか、と踏み込んでくることもある。
そんな中で自分の意見を言いたくて手を挙げていると、往々にして当たる直前に議論の流れが変わったり、問が変わったりする。加えて、今の自分ではまだ議論の全てを追いきる(理解しきる)ことができていない。
結果、スポットがあたった時には自分の意見がその流れとずれていたり、自分がそもそも問をとり違えていて浮いた発言をしてしまうこともある。そこで自分の認識の誤りに気づいた時に柔軟にそれを踏まえた意見に変更するだけの余裕もなかったりする。
せっかくの発言の機会をそうやって逃すのはもったいない、あまり浮いた発言をしていると当てられる確率も下がる気がする(議論を限られた時間のなかでコントロールして示唆を出さねばならない教授の立場からしたら当然)。
ということで教授に相談に行く。どうすればもっとうまくクラスの議論に貢献できるだろうかと。
教授にその話をするとすぐ幾つかのアドバイスや評価が出てくる。

・このクラスはディスカッション以外にも貢献する機会がある(プロジェクトもあるしレポートもあるし試験もある)それぞれの準備の過程でもクラスメイト、チームメイトに貢献できることは忘れないでいてね
・限られた時間のなかで、バランスよく皆のが意見を言えるようにしようと思うと、手を挙げていると分かっていても(君の席の位置からして目に入れないほうが難しい)あてられないときというのはでてきてしまう
・今も貢献していると思うよ。君が手を挙げていることは今言ったとおりわかっているし、言葉数は多くなくてもいいことを言ってくれていると思っているよ。

ひとつ目は確かにその通りだと気づいた。ふたつ目とみっつ目は考えた。
貢献できていたんだとわかったことは嬉しい。そうなるとフォーカスするのは自分の考えを限られた時間のなかでもっと議論のテーブルに並べたいということだ、人の考えに関して(限定的な理解であっても)自分のポジションを明確にとるということだ。成績の話にもなったが、成績を上げるために発言するわけではないのだ。
これまでのクラスでの学びや、先日終わった中間試験でのレポートに関しても少々議論をして時間を終えた。
クラスでもっと頑張ろうと思い、いただいたアドバイスをサマリして最後に
“I will challenge !”
と言ったら
“いや。時にはじっと黙って相手の意見に耳を傾けることも大切なんだよ”
という話になり、これ自分の英語が良くないな、と思いながら気持ちを訂正して伝えて退出した。
話の流れ上、challenge = 意見をぶつける(くってっかかる)、のようなニュアンスで伝わってしまったかと。リスニングもそうだけど、話すにしても適切な言葉を使って行きたいと強く感じた次第。

優秀だと信じろ、そして優秀であれ

クラスメイトからの依頼を受けて、今日は家の近くのスターバックスに集合してインタビューの練習。想定問答と日本語での回答づくりをしながら話し方や細かい言葉遣いの意味、コツを話した。

当然ながら上記を通じて相手のプロフィールであったり次のキャリアに対するモチベーションであったりを聴く。とても優秀。大学時代から複数カ国(その中のひとつが日本)へ留学し、各国の言葉を身につけている。学部から院へ入る際にはメジャーを大きく変更している。企業に所属して早々ローテーションプログラムに抜擢され、複数の機能であり国でありをまわり結果を出している。

そして若くしてIESEへ。

俗にいう純ドメの自分からすると素直に感心する。これがまた人間もとてもできていて、謙虚だけど自分の考えはキチンと持っている。でも無理に押し通さない。語り口は穏やかで相手への気遣いを忘れない。素直に尊敬する。

インタビューの際に、企業が問うのはPassionでありValuesであると以前書いた。そしてそれを示すものは浮ついた言葉ではなく自分の今までの経験であり結果であると書いた。

なので、どういった質問に答えるにしても、その回答から対象企業であり対象機能・ポジションでありへのPassionが滲み出るはずだ。それを支える過去を持っているはずだ。

その前提で話を聴き、質問を続ける。基本日本語、時々英語で。
多くの人が共通するのではないかと思うが、客観的でいる時ほど点と点のつながりが見えてくる。問いの意図を明確にしそれにフィットする論理構造を考えるまではできても、その構造に自分の過去を紡ぎ繋げ当てはめていく時に、客観的であるかどうかは大きく影響すると感じている。

そこを確認していく。本当はこういう意図を持っているんじゃないか。本当はこういうことが言いたいんじゃないのか。本当はこういう経験からそう思うようになったのではないか。その経験で一番のチャレンジは本当はこの点で、それを解決するためにこういうことをしてきたのではないか。

一つ一つ丁寧に確認していく。相手の新しい一面も見えてくるし、一層その相手オリジナルの、素晴らしい答えになっていくように感じる。相手の目も輝く。ひとしきり話して、内容が随分練られてきた時に、
”日本語で make sense ってどうやって言うの?”と聞かれた。

。。。なんていうんだろうか。上手い言い回しというか言葉が浮かばなかった。結局出てきたのは、”なるほど”かなという答え。多分そんな感じではないかと思う。

成功を祈りながらバイバイをして買い物&夕食に向かった。

インタビューの練習をしている時も歩きながらも思った。クラスメイトは本当に優秀な人が、世界各国から集まっているんだなと。今回は自分が日本人だからという理由でこうして相手の役に立つことができたけど、普段はどうなんだろうと。昨日書いたようにReliableだと言われていても、やはり自分のなかで”これだ”と思えるものを持っておきたいなと。

国ごとの違いや、複数可国横串で見た各国学生への期待の違いこそあれ、基本的に同じ基準に照らして選ばれたクラスメイトであり自分でありだから、何かあるはずなのだ。それは信じるべきであるし、何かあらねばならないのだ。そこは探すと同時に、わかっていない状態であっても自分が価値を出せると思った時にはその努力をせねばならないし、自分が周りと異なる主張があるときにはそれをせねばならないと思うのだ。

それに、やっぱり大切な仲間だと思ったら、役に立ちたいと思うし、お互い一層の高みに手を伸ばしたいと思うし。

何はともあれ、普段のちょっとした時間の何気ない挨拶や世間話ではなくて、こうして互いの過去であったりこれからであったりをじっくり話す時間というのはいいものだと思った。こういう話ができて、それに向けてリスクなくチャレンジできる時間というのはMBAの価値として大きいと思う。これは日本にいる時も変わらないのだけど、浅い時間を広く沢山の人と過ごすのではなくて、少なくとも密な時間を過ごせるよう仲間と付きあっていきたいと思う。