キャリアをつくる9つの習慣

キャリアをつくる9つの習慣―これが価値を生み出す最新の働き方だ
高橋 俊介 (著)
何がきっかけだっただろうか。気がつけば高橋俊介さんという方の言葉がとても好きになっていた。CareerINQのコラムを読んだことがきっかけだっただろうか。そう思ってみてみるとそれは小杉俊哉さんだった(彼の言葉も好きだ)。なんでだろう。きっかけは忘れてしまった。
今回読んだこの本の感想から遡ってみると、(クリティカルに読んでいるわけではないが)頭の中に違和感が残らないのだ。
”コムズカシイ”と自分が感じてしまうような表現はない。しかし適切な日本語が使い分けられている。ロジックの流れもシンプルでいったりきたりがない。読む気をなくしてしまうような飛躍や矛盾もない。冗長なたとえ話や理論の説明もない。
後は自分の考えが彼の考えに近いというのもあるだろう。ものごとに無駄なものはないと思うし、自分ひとり頭の中で組み立てた理想どおりの人生というものもない、もしあっても味気ないだろうと思う。
この本の中では、満足度の高いキャリアを歩んでいると思われる人が満たしている条件は大きく3つあるというところから始まる。それは、

1. 価値を創造し提供している人
2. 仕事を楽しんでいる人
3. 貪欲に成長している人

そして、そのようなキャリアを歩んでいる複数の人から、彼らの共通の習慣として9つの要素を挙げている。それは、

1. 勝負能力
2. 現場体験
3. ネットワーク
4. 仕事に意味付け
5. 個人ブランディング
6. 相手の価値観を理解する
7. ポジティブに巻き込む
8. 経験と気付きで学ぶ
9. 仕事の言語化、仕事の見える化

最後には高橋さんが考えるこれからのキャリアの条件がある。どの習慣がどのようなものかという詳細はここには書かないが、自分にとって印象深かった部分を幾つか抜粋する。
読み終えてから目次を見ると、目次の構成、表現もとても優れていると思える。

P.9
キャリアに無駄というものはそもそもないといえる。逆に、最初に目標を立てたら、関係のないことは極力排除して、最短距離で目標に到達しようという考え方では、学びと成長の機会が限定されてしまうので、結局痩せたキャリアになってしまう

P.33
ただ闇雲に現場を歩きまわったところで、肝心なものは何もみえないだろう。重要なのは、あらかじめ仮説や問題意識をもって現場に行くということ。それで「あれは、こういうことだったのか」と腑に落ちたとき、本当の気づきや発見が生まれる

P.36
自分の言葉になっていなければ、その言葉には、人を動かすだけの説得力が宿らないのである。(略)自分が得た知見や確信、自分の考えを抽象性の高い言葉で「こうだ」と表現でき、さらに「たとえば」と迫力ある事例で説明できる、これが人を「ポジティブに巻き込む」伝達能力であり、これが自然にできる人のことを、コミュニケーションの能力があるという。

P.46
どんなに布石と投資をしようと、結局は自分が発信した世界観や人間観にふさわしい人しか集まってこないのだ。まさに、人間関係というのは自分自身の鏡だといっていい。
健全なネットワークをつくりたかったら、まずは自分の世界観、人間観をそれにふさわしいものにするのが先だ。そのうえで、自分はこういう世界観、人間観をもっているのだということを、言葉にして広く伝えていくのである。

P.53
顧客自身も気づいていない欲望や欲求を先回りして発見し、「あなたのほしいものはこれですね」と価値を提供できるのが、本当のプロフェッショナルなのである。

P.56
新しい分野や職種に就くことになったときには、この自信がものをいう。たとえスキルや経験がなくても、自分には能力があって、実際にこれだけのことをやってきたのだと思うことができれば、その自信がドライブとなって、「自分ならできる」という前向きの気持ちで臨むことができる。そこで結果を出すと、さらに大きな自己有能感や自己効力感が生まれるという、ポジティブなサイクルが回り始めるのだ。

P.64
プロフェッショナルとサラリーマンの違いはなにかといえば、それは仕事を通じて価値を生み出し、それを顧客や会社に提供することを常に意識しているかどうかの差だ。

P.71
情熱さえあればわかってもらえるというのは幻想に過ぎない。人を説得するのに必要なのは、誰にも負けない熱意ではなく、自分がこの人ならどう思うかという、相手の立場に立ったシミュレーションなのである。

P.106
二十人しかいないNPOにいきなり社員一万人の会社の就業規則をあてはめようとしたところでうまくいくはずがない。ところが、人はそれしか知らないと、平気でそういうことをやってしまうのだ。

P.126
将来どんな能力が必要になるかなど、今の時点でわかるはずがないのである。ただひとつ確かなことは、早くから選択肢を絞り狭い世界しかみなければ、今後絶対に必要になる、変化に対応する能力が育たなくなるということだけだ。人生というのは、想像以上に複雑なメカニズムででき上がっている。そして、デメリットはみえやすいが、未来に活きる本当のメリットはなかなかみえないと思っていた方がいい。

P.132
くれぐれも、途中で諦めないこと。
どのようなキャリアになるかは目標が決めるのではなく、その人の習慣によってつくられるということを忘れてはいけない。

ストレスフリーの仕事術

ストレスフリーの仕事術―仕事と人生をコントロールする52の法則
デビッド アレン (著), David Allen (原著), 田口 元 (翻訳)

ロジカルリスニング

ロジカル・リスニング
船川 淳志 (著)
以前に流し読みしていた一冊。いつだったか友達コンサルタントに”インタビューとかコミュニケーション系で何かいい本ない?”と聞かれていたのでオススメした。その内容を再確認する意味で、また自分でも今一度相手の話をちゃんと聞くという基本を確認する意味で読み返した。
ロジカルリスニングというタイトルではあるが、内容は(そのために必要な)クリティカルシンキングであり、ダイアローグであり、傾聴であり、会議の準備・ファシリテーションの手法でありと人のインプット/アウトプットについて幅広くおさえている。一つ一つのボリュームは限られるがエッセンスを一通りおさえるには良い本だと思う。

P.3
「あの人はなかなか話してくれないし、口を開けば、何を言いたいのかさっぱりわからない。第一、こちらの話を聞こうともしない」
(中略)
相手のせいにする前に、
「自分はあの人がどれだけ話しやすい環境を提供したのか?相手の発言をどこまで理解しようとしたのか?発言の中の隠れた前提を考えてみただろうか?また、こちらの話を聞いてもらえる環境づくりをしtだろうか?」
と考えるところから始めなければならない。

P.32
「話せばわかる」と思い込むのも、「人を意のままに動かす」なんて考えるのも、人間の驕り以外の何ものでもない。

P.120
「妥当な反論」とは発言者の人格を攻撃したり、相手の発言を無視して自分の主張を述べることではない。あくまでも、発言者の論理構成に注意を払って、もし論理的な弱さがあればそこを指摘するものだ。言い換えれば、かみ合う議論でもある。

P.166
話す自由は相手にあり

P.186
(補足:会話の相手と協力関係が築けていない状態えあればまずそこを構築する必要がある、という話に続いて)相手がドッジボールのつもりでボールを投げても、こちらはキャッチボールのスタンスで誠心誠意投げ返す

P.202-203
高い成果を出せるチームの特徴
(1) 目的とアウトプット(成果物)がメンバー間で確認され、共有されている
(2) メンバーの参画を高めながら議論を進められるファシリテーター型のリーダーがいる
(3) 個人作業と共同作業のバランスがとれている
(4) プロセスの進捗とチームワークのモニタリングができている
(5) 忌憚のない、かつ建設的なディスカッションができている
(6) 問題解決と意思決定のツールに関する共通言語を共有している
(7) アウトプットを出すことにモチベーションが高い

成果を出せないグループの特徴は、先の要件が反対なのだ。指示を聞いていないため、アウトプットが不明確なチーム。聞き間違いをして、そのかわり思い込みの強い人が他の参加者を勢いだけで説得しながら進めるチーム。誰もが遠慮して議論を進めることなく、部屋がシーンとしているチームなどなど様々だ。

脳と気持ちの整理術

脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める
築山 節 (著)
前回の本と同じく飛行機の中で読んでいた一冊。平易な表現で、脳の仕組みがどうなっているのかという裏づけをもって頭の使い方、気持ちとの付き合い方について書かれている。とても読みやすいし説得力もある。”こうすれば仕事が!生産性が!!”というようなガツガツしたところもなく、全体に優しいトーンで書かれている。著者の職業・人柄からだろうか。
面白いもので、ちょうど最近GTDに興味を持ってそれに関連する書籍を読んでいたのですが、面白いことに内容が似ている部分が結構ある。具体的なノウハウとしてまとまっているのはこちら、脳の仕組みとあわせてより分かりやすく書いてあるのが本書と。後、悩みを思考に落とすとかといった整理のつけ方は本書と。
特にGTDで語られてない、本書らしい部分で印象に残っている部分を以下に抜粋する。
誰のためにが大事。
(今の時代だからこそ)目標に時間的制約を持つ一方で待つことも大事。

P.42-43
集中力を高めるには、「時間の制約」を持つことが大切と書きました。
(中略)
その「時間の制約」を設ける効果をより大きくする方法を、ここで補足しておきましょう。
一つは「必ず結果を出す」ということです。
つまり、二時間なら二時間、ただ考えたということに満足するのではなく、その間に考えたことを目も程度にでも、必ず脳から出力して残しておく。「試験を受けている状態」を作り出した以上、完全解答でなくても、答案用紙は必ず提出するのです。

P.51-53
「次に何をするか」「明日何をするか」を考える時には、まず「誰のために」を考えることが大切です。
(中略)
(目標が具体的であるほど「それをやろう」という意欲も起こりやすくなる前提で)「誰のために」を考えるのは、その目標を具体的に考えやすくするために有効なことです。
たとえば、資料を作成する場合でも、ただ何となく「自分が満足するように」と考えていると、「いつまでに」「どれくらいのもの」を仕上げればいいのかが考えにくくなります。そのときに、「顧客の山田さんのために、資料を作成する」ということがはっきり認識できていれば、「いつまでに」「どれくらい」も考えやすくなるでしょう。
その具体化しやすいという効果によって、「それをやろう」という意欲も発生しやすくなる。
また、結果的に、人からの感謝や評価も与えられやすくなります。

P.89-90
「まとまった時間ができることなどない」ということです。
(中略)
もっと正確に言えば、そういう時間ができるのを待っていると、実際に「まとまった時間」ができたときに。それがく件の仕事をするための時間ではなくなっているということです。
(中略)
時間をかけてでも解決しなければいけない問題があるときには、少しでも変化させ続ける。
まとまった時間ができるのを待つのではなく、細切れの時間を見つけて、問題のごく一部でもいいから解決する。解決させられなくても、次につながるヒントだけでも残しておく。
それが問題解決を早め、仕事を溜め込まないようにするコツです。

P.202
脳は「少しずつ」「一歩ずつ」がもっとも合理的であるようにできています。
待たなければいけない時間が長い人生の中で、少しずつ情報を脳に入力し、有効な知識を着実に増やしていく。思考と気持ちを整理し、目の前の問題を冷静に解決しながら、目標に向かって一歩ずつ進んでいく。自分を成長させていく。結局はその方が早いはずです。
もちろん、「時間の制約」を設けて、緊張感を持って仕事や勉強をすることも大事なのですが、同時に、「時が来るのを待つことも大切」と考えるようにして下さい。

問題は、躁なんです

問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ
春日 武彦 (著)
出張の時から思っていたのだが、飛行機の中だと読書がはかどる。障害物が少なく、外を見ればリラックスできる空が広がっている、そんなところからだろうか。沖縄に行く際にも何冊か本をバッグに詰め込んで出かけた。その中の一冊。
心の風邪といわれるうつに対して、著者は躁を心の脱臼と表現している。
きちんと整復しない限り脱臼した関節は糸の切れた操り人形のように途方もない動きを示す、また脱臼はしばしば繰り返される。そういった特徴が躁と重なるようだ。
自分も含めて、人間の心のありようというものはしっかりと理解したいと思う。

P.40
他方、後者(世の中に迎合した表面的な価値観)のみにシフトした人たちは、まことに薄っぺらに見える。彼らの生き方は、世渡りとしては正しい。けれども、その正しさはあまりにも「分かりやす過ぎる」。そこには主体性が感じられない。正論の退屈さをそのまま体現したイメージがある。そのような人は信用しかねる。いつ本音に目覚めてレールから外れてしまうか分からないような危うさすらある。

P.42
おしなべて心がシンプルに過ぎる人物と接した時に、我々は頭の片隅でその人に違和感を覚えるものである。複雑すぎる精神の持ち主も面倒だが、あまりに単純な精神に対してはむしろ何かの欠落を直感してしまう。

P.43
光はあっても影のない世界、騒がしく休むことを知らない世界が躁病の世界である。シンプルではあっても深みを欠き、分かりやすいが卑俗であり、慎み深いことと腰抜けであることとの違いを見分けられないような大味な世界なのである。

P.147
おそらく人間は、ほぼ完璧なうつにはなれるにもかかわらず、自分の心を躁のみで塗り上げ誇大妄想にどっぷりと浸り切ることは困難なような気がしてならない。そういった意味でもうつと躁は対称をなさない。うつが自然で躁が不自然、これが人の心の基本的な構図であるように思われる。嫌な話ではあるけれど。

P.156
さて躁状態といったものを考える時、わたしは当人があたかも群集心理によって突き動かされているように感じることがある。その無責任さ、無鉄砲で攻撃的、興味本位の優先と醜悪な欲望の開放、残酷さと不寛容、そういった性質が本来の「その人らしさ」を覆い尽くしてしまう。
(中略)そのいっぽう、躁的ないしは躁状態の人物は、一見したところは関心に惹かれるが、たちまち飽きてしまう(あるいは辟易してしまう)。カラフルなようでいて実はモノトーン、奥行きを欠き、ためらいが欠落しているがためにニュアンスがない。ただし突飛で奇想天外、自分でも非常識さを誇っている気配がある。