友達とか仲間とか

自分のプロジェクトを先週前半で一区切りつけたので、比較的時間に余裕ができていた。そんなときに同じチームのコンサルタントが少々クリティカルな状況になっていたのでサポートに入る。プロジェクトに区切りを付ける前からも入っていたので、より参画度を高める感じ。
こういうときはなかなか面白い。何がかというと、人が何で動機づけられているのかを目のあたりにすることができるから。彼本人と話していて主体的にサポートする人、頼まれたら動く人、彼の話は聞いているけど自分の仕事に集中している人、だけどパートナー経由で話がきたら引き受けて動く人、それでも動かない人、彼の話が耳に入らない(届かない)程の状況に自分の仕事がなっている人(こういう人に限って話を届けることができるととてもサポーティブだったりする)etc…。
組織である以上いろいろな関係があるのだと思うけど、常に自分の考えに従って行動を選択していきたいと思う。

自己責任と無関心

たまに、他人から意外な見方をされていることがある。ふと驚いたり、残念というか悲しいというかの感情を抱くときもあるのだけど、この経験はとても良い学びになると思う。なんで自分は自分をそう見ていたのか、そして他人はなんで自分をそれとは違うように捉えていたのか。自分の振る舞いが他人にどのように映っているかを理解できる機会であり、そう映った相手を人がどう解釈するのかを理解できる機会だからだ。
他人の解釈でありその結果生じる感情でありはコントロールできない。でも解釈される自分はコントロールできる。いや、うまくコントロールできないとしてもそれは自分の責任として納得できる。コントロールするしないは自分の選択、できるできないは自分の責任。その結果生じる相手の解釈・感情、それによる自分へのレスポンスも自分の責任。
ということで受け容れて学んでいきたい。あまりに受け容れすぎていると、受け容れるだけで終わっていると、自己主張しないとか、相手に関心がないというように解釈されるケースもあるのでそのあたり考慮しつつ。

京都と片付けと

明日朝から京都で仕事ということで前日入り。予約していたホテルへチェックインすると部屋がアップグレードされたとのことでとても快適。広いし、(当たり前ながら)散らかっていないし。僕はもともと部屋の整理整頓は得意ではなく、仕事が立て込んでくるとなおのこと散らかってしまう。それはそれで住んでいると慣れるのだけど(いいのか?)、こうして広くて片付いた空間に身をおくと、それが自分の気持ちの落ち着きであり集中力でありに作用するのを実感する。
仕事が落ち着いたら部屋の片付けをしようかなと思う。
夜ごはんは近くの干物とごはんの美味しいお店へ。食べログでみつけた”まそほ”というお店。調べてみると青山にもあるらしいのだけどまあいいかと。ホテルからも近いし(HPをみると京都の方が雰囲気が良さそう。奥まったところにあるしお店に入るまでの、間接照明に照らされた細い石畳の路がなんともいえず日本を感じさせる)。
僕は何でも美味しいと感じるタイプなのだけど、特にごはんが美味しい。注文してから30分程度かかるけど小さい釜でたきあげられていて、甘いしふっくらしているし、おこめひとつぶひとつぶがたっている。美味しいとごはんも別腹なんだな、と感じるほど。
また来ようと思う。余裕をつくって祇園にも行きたいな。

たまにくるinputへの飢え

これまでにも何度か経験しているが、たまにふとinputに飢えを感じることがある。蓄えた知識や経験は時間を経て、自分の中で熟成されるという考え方もある一方で、新たなinputなしに新たなoutputはありえないという考え方もある。自分に何か停滞感を感じたのか、少し時間ができたからここぞとばかりにいろんなものを吸収したいと純粋に思ったのか。仕事に関係するものもそうでないものも、面白そうと感じた本をまとめ買い。
自分のそういう気持ちから目をそらさず、かといって読書等、手の届く範囲でinputして満足してしまうような怠慢にも陥らずにいたいと思う。