今に始まった話ではないのだけど、たまにふと夜景が見たくなる。せっかくだからご飯食べながらゆっくりがいいし、かと言って遠出するのもおっくうだ。とは言えオフィスとは違うエリアがいい。
そんなときに汐留にいく。
平日のほうが明るいんだろうなと思いながらぼーっと夜景をみながらご飯を食べ、帰りには組立中のクリスマスツリーを見てきた。夜景もキレイだし、写真を撮ることでも癒されるし、よかった。


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人として
たまに人としての考え方であり行動でありを褒めてもらえることがある。同僚でありクライアントでありから。リアクションはうまくとれない。自覚していないもしくは自覚したことを認識しないようにしているので。自分が見習うべき人の存在がいかに多くいるかを目の当たりにしているので。そんな自分を顧みたときに、自分が明らかに影響を受けた本が3冊思い浮かんだのでここに記しておきたい。自分の中に残っているエッセンスと共に。
7つの習慣―成功には原則があった!
レスポンスアビリティの話に尽きる。外部からいかなる刺激を受けても、その反応は自分で選択することができる。その選択は自分の責任である。そしてその結果についても自分の責任である。一方で、そもそも自分がコントロールできない範囲、影響を及ぼせる範囲、コントロールできる範囲の切り分けは明確にする。コントロールできない範囲の事象を思い悩む必要はない。自分への影響を想定しそれに備え、最悪のケースに対する覚悟を決めるのみだ。
ファシリテーター完全教本 最強のプロが教える理論・技術・実践のすべて
解釈は単純に、という話に尽きる。何も複雑に考える必要はない。相手の言ったことを言ったとおりに解釈する。言外の何かを受け取っていたとしてもだ。言外に受け取った話はこちらの解釈であり、相手のメッセージではないとする。相手がメッセージしていないことについて議論をしても相手にその理由も意味も伝わらない。であれば言外のことはテーブルに載せない。解釈は単純に。心中は敏感であってもインターフェイスは鈍感に。
人を動かす 新装版
率直に。誠実に。これに尽きる。上で解釈はシンプルに、インターフェイスは鈍感にと書いた。一方で人間常にそうした割り切りができるわけではない。その時は率直に誠実にコミュニケーションする。あくまで議論の目的に忠実に。
この本には他にも、相手に”自分は重要な存在だ”と思わせるであるとか、いくつか具体的なtipsも書かれていたがそれは個人的には参考にしていない。ほんとうに重要であれば、誠実にコミュニケーションする中でそれは伝えられる。そこなくしてはただのうわべだけの話だと僕は考える。
明日から、上記が大切になりそうな気がしているので。杞憂であればいいけど。
たべたものあれこれ
銀座やきやき三輪
先週末に、久しぶりにいった銀座のやきやき三輪。接客にたまに不思議な点が見受けられるが料理は美味しい。帰りに歩いた丸の内仲通り。普段より暗く感じられた。




告別式
今日は、Globisで経営戦略を共に学んだ方の告別式だった。
心不全であったと聞いた。歳は40位。クラスでのディスカッション、飲み会においてもいつも笑顔が絶えず、穏やかに濃いメンバーの話をキチンと聞いてから意見をくださる方だった。穏やかな語り口で発せられる意見の裏には、幅広い知識があり、練り上げられたロジックがあり、学ばせたいただいた点を数えればきりがないほどだ。
2月に久しぶりにお会いした席でも変わらず元気で、同年代のクラスメイトの方にマラソンに誘われ、(断りきれず?)笑顔でやろうやろうと言う話をされていた。
その後、仕事に関してご相談いただいた件もあり、メールのやり取りも何度かさせていただいていた。メールボックスには今もそのメールが残っている。見返せば、若輩である僕に対しても大変丁寧な口調でご相談をいただいていた。3月終わりの僕からのメールがやりとりの最後となっている。大変お忙しい日々を送られていたと聞いた。
本来であればご夫婦で、昨日から海外へ行かれている予定であったと奥様からの言葉にあった。それが朝起きてみると、と。何がおこったのか、と。ただ苦しまずに旅立つことができたのがせめてものことであると思いたい、と。とても気丈な立ち振る舞いであり、言葉であった。ただ、その姿に、そして言葉の端々にある、前向きに解釈したいという願望の域を越えない表現が、過去の行動を省みる表現が、本当の気持を伝えられていたのではないかと思っている。
心よりご冥福をお祈りする。
僕ができることは、この方とお会いする前後で生まれた変化、そしてこの方がおられた時とそうではないこれからの間の変化ー今日という日の経験も含め、を丁寧になぞり、これからの自分にいかしていくことであると思う。
僕は、自分の人生の中で、何をするにしても、気が付けば健康に生きることを前提に考えていた。全ては自分の選択と実行(リソースをどれだけ投下するか / 効率を上げるか)だと考えていた。
しかし現実はそうではない。
それは健康に生きられるかどうかという点にとどまらない。
全てが自分の選択と実行だという点に関してもいえることがある。
その自分というのは決して自分だけの力でそこに生き、考え、行動できているわけではないということだ。産み、育ててくれた親は勿論、共に育ってきた兄弟であり、支えあってきた仲間であり、導いてくださった先達であり・・・無数の方々の存在があって初めてその現実に存在し得ているということだ。
そして、そういった方々に支えられる過程で、自分の中に、生きることに対する責任も生まれるのだということだ。
今までそういった責任というのを自分に感じることはおそらくなかった。しかし今日、その責任というものを感じずにはおれなかった。
人によるのだと思う。しかし、上記のような責任を背負って生きるからこそ、思い通りには容易に行かない人生にあって、いかなる困難があろうとも己の光を失わず、そこに向かって道を拓き、歩み続けることができるのではないだろうかと思う。
僕はきっと大切なことを教わった。





