不満を持つのは健全だ

前にブログを書いたのは1月末。3ヶ月近くが経とうとしている。最近は考えることや感じること、勿論そのきっかけになる出来事はあるのだけど、それを文字に整理する時間がとれていない。twitterでたまにつぶやくことはあるのだけど、もう少ししたら、落ち着いて中身を詰めたい。だいたいこう言っているうちは時間はとれ(ら)なくて、本当に整理したい内容がでてきたら無理矢理でも時間つくるもんだと思うところもあるけどそれでも今はもう少し。
と思ったら、少し前にブログにエントリーしようと思ってメモしていたものを思い出したのでアップする。不満を持つのは健全だということ。会社に対して、という想定で書いていた。
会社に不満を持つのは健全だ。不満は理想と現実のGAPだ。不満がないということは理想が現実以下ということだ。健全でないのは不満を不満のままにしておくことだ。そこから生じるストレスを愚痴だけに転化するようになるのはやめたほうがいい。一切の価値がない。笑い話なら多少はいい。気持ちの整理をつけるために吐き出すこともある。がそれだけでは一切の価値がない。
不満を持った時に考えるべきは3つ。
 - どうあるべきだと自分は考えるのか?
 - それを実現するために必要なことは何か?
 - その中で自分の行動が影響を及ぼせるものは何か?
不満というのは非常に高いエネルギーを持っている。それは極めて具体的な経験、現実だから。不満を持った状態というのは、漠然と何かをやりたい/やらねばと思っている状態よりよっぽど高いエネルギーを持った状態なのだ。自分の理想を具体化し、行動にしていく機会にするのがいい。
自分の場合は、最初の組織への不満は自分を入社まもなくてコンサルタントへの転身を決意する動機になった。Globisへ通う動機になり、年100冊前後の読書を続ける動機になった。
で、もっと時間が経つと、満足・不満足の対象にしないという選択肢がでてくる。自分のやるべきことがこれだとなれば、それに関係のないところで足を引っ張られようが訳のわからないことをしでかす人が現れようが関心がなくなる。素直に自分の心に従えるようになってくる。

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