志に惹かれる

自分は製品にしてもサービスにしてもを選ぶとき、どんな内容であるか、スペックであるかより相手の志に惹かれて選ぶ傾向がある。先日もそんな、アツい意志をもった方と接する機会があったのだが本当に嬉しくなる。ワクワクする。
コミュニケーションのインターフェイスが構造的でなくとも、自分中心でたまに配慮がかけるように感じられる対応も、根底にある一貫したシンプルなビジョンとそこに向けた溢れんばかりのエネルギーとたゆまぬ努力をみていたらチャーミングなポイントとして映る。
コンサルティングをしているとお客さまの中に、第三者立場とはいえ深く入る。会社の中には、地位に関係なく、組織に関係なく、その会社らしい価値観であったり考え方であったりのクセが必ずある。大きな組織のなかで例えば1つのプロダクトを生み出すまでには現場の至る所で日々物語がつむがれている。それでも一生懸命お客さまのことをことを考えるに連れて、その物語や自分たちの価値化は色を潜め、彼等が何を望んでいるのかを探ること、それを満たすために努力することが前面にでてくる。そしてその満たしたスペックだったりサービスの内容を説明することが市場とのコミュニケーションの中身になる。
もっと真っ直ぐに、内側にひめている自分たちの意志を伝えてよいのではないか。求めている機能ははあるとしても、お客様はその機能をアピールされることでその会社に惹かれるのだろうか。
ふとそんなことを思いながら自分のコンサルティングスタイルをふりかえる。

ワクワクさせるヒト

諸事情あって急遽新たなプロジェクトへ参画。とっても切れるパートナーとのプロジェクト。とても楽しみにしているし早くも楽しい。楽しく鮮やかに自分の思考の浅さに気づかされる(それで楽しいで終わっていたらいけないのだが)。本当にヒトを鍛えるのはこういう経験ではなく、どうしようもないような状況を独力で切り抜けるような経験、修羅場経験だと信じてる。
しかしそういう経験を求める(いざそうなると大変なのだけど)一方で、こうした圧倒的に優秀なヒトと仕事を共にできるというのがとっても嬉しくもある。
極めて頭が切れて、フラットで、自分の感情に素直で、自分の好きな仕事を一生懸命やる。
そんなパートナーから学べることは無数にある。
楽しみだ。

限りある自制心

今日のライフハッカーのエントリーの1つに、自制心は尽きるものであるという話があった(http://www.lifehacker.jp/2010/06/100604whychangingisdifficult.html)。ある実験で、食べたいものをを我慢したグループは、それをしなかったグループに比べて難解なパズルを諦めるのが早かったと。先に自制心を使っていたので、難解なパズルに粘るという自制が利かなかったのだと。
自制心が有限なのだとしたら、普段仕事とで自分を抑えてしまっているひとは、プライベーで自分を抑えれば抑えてしまっておけばもはや仕事で自分を抑える力がなくなっているということになるのではないだろうか。
仕事で自分を抑えてしまっているが故にプライベートでで自分を抑えられずにルーズな時間の使い方をしてしまうというケースは少なくないようにも感じるし。chicken – eggかもしれないがちょっと仕事で自分を出して、自制心を残しておいてプライベートでつかって仕事で自制しなくするというサイクルにもっていくか、少なくなった自制心を絞り出してでもプライベートで抑えてもはや仕事でで自分を抑える力をなくすというサイクルにもっていくか。
我慢に限界があるって考えたら自明の話か。

何を待っているのか。

迷っている時間はない、行動を起こさなくてはならない。そう思っているときに、迷っている時間はなくて行動を起こさなくてはならないのですと上を説得するために材料を集める。時間がないという切迫感が焦りを生む。焦るほどに論理を飛躍させて主張してしまいそうになる。説得される側はその焦りが見える程に相手のメッセージにバイアスがかかっていると先入観をいだき意思決定のハードルを上げる。細かくじっくりみようとする。結果として意思決定は先送りされる。それゆえに更に焦る・・・。
今意思決定する価値とリスク。
今意思決定しない価値とリスク。
”動く”という意思決定だけを考えれば必要なのは上記の比較とその結果をみるのではないか。
一歩踏み出す前に、行き先と千歩の道筋と必要な体力やら食料やら一緒に歩く仲間やらが全て見通されていなくてはならないのか。でなければ最初の一歩さえ踏み出せないのか。
なんだろう。
企業に限らず個人にも同じ事が言えるのだが。

焼き鳥と自責思考と

自分でblogのタグにGourmetをつくっていたのをフト思い出した今日。久しぶりに家の近くの美味しい焼き鳥のお店へいったので早速つける(のだけど書いてるうちに内容が仕事のはなしへそれた)。
今日は一日中デスクワーク。夜にその焼き鳥を食べて帰ってきてもうひと仕事。苦労している友達からのサポートの依頼だったので喜んで引き受ける。
苦労の度合いが大きいほど将来の自分を伸ばしてくれるものと僕は信じている。そのためには自責思考でその苦労に立ち向かうこと、責任を全うすることが必要だと思っている。
当たり前かもしれないが、つらいときほど自分に何が足りないか、人にどうしてほしいかというのが切実に見えてくる(本当につらいときは人に何がして欲しいっていうのを具体的にできないものであったりするのだが)。そんなとき周りが自分の思い通りになることはまずない。普段もまずないのだけど、その思い通りにいかないインパクトの大きさが異なる。
その状況で周りを責めることはあまりに容易い。
でもそれではもったいない。なぜ周りがそう動いたのか、それを未然に防ぐ為に自分にできることはなかったのか。自責思考で物事を捉えることが自分を修正するきっかけをくれる。また精神衛生上もいい。周りは思い通りにならないけど自分はできるはずだから。困難な場合はあっても。どうしようもできない相手にフラストするのは一切の価値がない。
そして、自分が責任を負っている仕事であれば、どんなことであれ自分の至らなさによることだ。だからこそ厳しく周りにあたる必要もあるし、できないものはできないといい、できるようにするための条件を明確にし、交渉し、獲得し、前に進めていかなくてはならない。
そんなときに周りを責めてしまうことは自分の責任を放棄することだ。責任の伴う仕事とそうでない仕事では得るものが違う(背負うプレッシャーが段違いなので)。
ということで責任を負って日々奮闘している友達を、最後まで背負って走りきれるようサポートしたいと思う。そして自分は自分の責任を全うする努力をし続けていきたいと思う。
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話は戻って焼き鳥。写真は今日食べたメニューの一部。TKGが美味しい。