今日はMeetingが終わってからクライアントの方と一緒に(というか連れて行ってもらって)蕎麦を食べる。知る人ぞ知る地元の名店ということで、車でGo(^^)!
・・・こんなところに蕎麦屋さんがあるの?
っていうところにありました井川城。
なんでも店主の方は蕎麦屋さんに蕎麦打ちを教えているのだとか。物腰がとても柔らかいのだけど筋が通っている。凛とした方でした。
素朴ながら味わいある雰囲気は、店主のブログからもにじみでています。(GoogleのBlogを使われているところに今という時代を感じます)
蕎麦のほうは、十割蕎麦、大名蕎麦、投汁(とうじ)蕎麦を、そして最後には蕎麦饅頭をいただきました(蕎麦尽くし)。
味のほうは、おいしいです。
圧倒的においしいです。
堪能してきました。
東京でもおいしい蕎麦やさんを探してみたいと思います。
#写真、大福以外ピントあってないのが心残り・・・
↓十割蕎麦。最初の一口はつゆをつけずに軽く塩を振っていただく。”蕎麦”って感じです。

↓大名蕎麦。蕎麦!という感じではないですがほんのり甘くて、何よりめんの”コシ”がいい。

↓投汁(とうじ)蕎麦。簡単に言うとそばのしゃぶしゃぶのようなもの。汁がおいしい。ざるに蕎麦をいれて沸騰した汁にくぐらせていただく。


↓蕎麦大福。中には白餡とくるみ。

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ホテルに着きました
青と白
いろいろな朝
Odyssey
オデッセイ―鈴木龍一郎写真集
鈴木 龍一郎 (著)
写真は、もしかしたら芸術という括り全体も、自分が見出した世界であり紡いできた物語でありを表現する手段なのだと思う。
詳細は後ほど。
[2008/03/07 0:49更新]
見終えても以前に書いた上の考え方のとおりだ。素人の私が芸術と言う括りに対してどうこういうのは早計だなと感じるところはありつつ。
巻末に評論家の方のこれら作品にたいするコメントが寄せられているが、それを読んで初めて個々の写真の意図、そしてそれら一連から読み取れる意図がうっすらと理解できる。
それは鈴木龍一郎と言う人が生きてきた時代の背景であり、彼のとった行動でありが、作品の解釈のための材料として書かれているからだ。
一方でそれらを読まなくても、作品を見ることで自分の過去の経験等が結びつき何かしらの解釈をできるものもある。
作者と言うものを、本人が生きた時代の背景、当時の思想を含めて理解して、それに対して自分が感じるものをぶつけてみる。そういった対話をすることで彼の芸術を理解し、自分の中の芸術観というか写真観というか、そういったものを高めることができるのかなと感じる。
作品が、作者の伝えたいメッセージを伝える役割を果たす場合と、その作品の受け手の中に何かしらの感情や思考を想起させる場合があるのかなと思う。


