遅ればせながら2012を振り返る

早いもので既に新年を迎え1週間が経つ。年末にレストランで食べた生牡蠣にあたり、初日の出を見た後にまるまる一日寝込むというスタートをきった2013ではあったものの、それでも幸せな年末年始を過ごすことができたことには変わりなく、そろそろ2nd termのスタートに向けてギアをあげていきたいところ。

このタイミングで2012を振り返りたい。思えば大きい変化を迎えた年だった。

2012の今頃は受験の真っ最中で、日々エッセイと格闘しながら、スコアを上げる努力も続けていた。仕事と並行して。これは受験とは関係がないが難しいプロジェクトだった。これまで自身が手がけてきたプロジェクトとは違う意味で。今思えば学ぶことの多い経験であったと思う。

IESEからのオファーを受ける選択をした後、最後のプロジェクトで1.5ヶ月単身中国へ渡った。非常に自由度の高いエキサイティングなプロジェクトだった。当時何も考えていなかったが、VISAを取得し、バルセロナでの生活をセットアップし、東京の生活を閉じるスケジュールを考えると、そのタイミングでその期間海外に滞在するのはタフだった。並行して残っていた親知らず2本も抜いた。どうなることかと思っていたがなんとかなるものだ。こうして無事バルセロナで生活ができている。

8月19日、誕生日を迎えてからの出国だった。地元の空港からで、家族、友達が見送りに駆けつけてくれた。友達まで来てくれるとは考えていなかったのでとても嬉しかった。中学からの親友も家族で駆けつけてくれた。

バルセロナについて生活をセットアップしている時間は、最もゆっくりした時間を過ごせていたのではないかと思う。その後スペイン語集中クラスが始まり、0からのスタートで日々スペイン語と格闘していた。その後本クラスがスタートし日々ケースと格闘していたらあっという間に12月の半ばになり、試験を終え、冬休みに入り、年末年始を迎え、今に至っている。

1st termの振り返りというかは、過去のエントリー”IESEでの一学期を終えて ー二学期以降をより良くするための5つのポイント”としてまとめている。また、年末に得たフィードバックに関しても他のエントリー”自分のチャレンジをする義務”としてまとめている。

ここでは割愛するが、自身の目標に、これらも踏まえて2013の自身を展望している。

抽象論になるが、MBAの20%を終えて、2013に臨むに際し2つのことを感じている。

1つは、もっと主体的にー自分に必要な経験を得る機会をつくるところからして主体的にー動かないと結局カリキュラムを受け身でこなすだけで終わってしまうということ
1つは、自分は自分が考える程強くない。目標をこれまで以上に細分化して生活に埋め込む必要があるということ

至極当たり前にみえるが、これらを感じている。自分のやりたいことがあって、その手段としてMBAを選択しているわけでそれが万能なわけはない。クラスへの臨み方、チームでのディスカッションの運び方、標準的に与えられた枠組みの中でも自分が得たいものを得るための工夫の余地は多分にあるが、それだけでは足りない。もっと主体的にカリキュラムの外に必要な機会を見出し、もしくはつくり出しチャレンジをしていきたい。

そう考える一方で自分の弱さも感じている。上記のように望んでいても、幾つものプレッシャーを背負って日々過ごしていると、自覚なく妥協している、小さくまとまっている自分にふと気がつく時がある。自覚して、自ら選択してそうしているのならいい、無自覚にそうなっているというのが怖いなと思うと同時に、意志の力だけに頼れる環境ではないのだなと思う次第。(この感覚と、自分のやりたいこと、チャレンジ=苦労と短絡的に考えることは異なる。楽して達成できるものは徹底して楽をすればいい)

仕事をしているときはクライアントがいて、限られたリソースの中で最大限の価値を出すという明確な方向性があって動いていたので合理的な選択こそあれ妥協は一切なかった。今はそのクライアントがいない、ないしは自分だ。自分のやりたいことが明確ならば小さくまとまるなんてことはない、と思っていたが、そうではないと気づいた。

となると仕組みに頼る必要があるのだと思う。

それでもなお自分の思い通りに行かないのが人生だと思う。そんな時の粘りが大切なチャレンジなのだろうと思う。

新年早々まとまりのないエントリーになった。

Montserratと写真と

スペイン(もしくはバルセロナ)はこの週末は今日まで4連休。昨日を使ってMontserratへ行ってきた。小高い山の上から臨める景色とそこにそびえる修道院が美しいということで是非みたいと。
バルセロナの中心から2時間程度で山の上へ。
修道院等の建物は登山列車を降りてすぐのところにあるが、山は続く。更にレールウェイで上に登り、一番高い所まで(標高は972mと高くないのルートを行く。散歩気分で来ていたのが、途中結構な傾斜になり、道はあるようでないようなところへ。もはやそれが正しいルートなのかどうかももはや定かではなかったが山頂へ(そこが山頂だったのかも怪しいが周りを見る限り歩いていけそうなところでそこより高いところは見当たらず)。
深呼吸をして、周りを見渡して、少し座って休憩して。山頂、そしてMontserratを後にした。
この一日で撮った写真は200枚程度。空、風景、街並、建築物。こっちに来てから写真を撮っていると話しかけられることが増えたと感じる。
写真とって下さいとカメラを渡されることあり、写真家の方ですかと話しかけられることあり、そこから派生して”このレンズだといい写真がとれるぞ!”とレンズを貸してくれる写真家の方がいたり、風景として見ていた人が、”お、オレをとってるのか!うまく撮ってくれよ!”と周りの仲間を集めてポーズを決めてくれることもあり。
少し振り返れば日本人でホストしたパーティ(先週の金曜日にあった)。僕は写真を撮っていたが、皆それを楽しみにしてくれる。シェアしたら喜んでくれる。
写真を趣味にするようになったのはもう5年近く前になる。その時は自分が好きな風景やものを自分の好きに撮るだけだった。それは今も変わらないが、人がいる風景を撮る、人を撮るというのは、そこから始まるコミュニケーションも含めて面白いものだなと思った次第。もともと人間観察が好きで人の表情の変化には敏感(こちらがレスポンスを変えないことも多いので鈍感という見方もある)だし、人の色々な表情を写真におさめていくというのもいいなと。

日本を離れ、バルセロナでの生活を始めました。

(8/19のフライトの際に書いていたので、少々前の内容になります)
あっという間に日本を離れバルセロナでの生活を始める。荷解きして、申請していたNIEを受けとって、家にネットをひいて、細々した日用品を揃えたらいよいよだ。今週はプライベートの予定を幾つかいれながらスペイン語の勉強、来週からはスペイン語の集中クラスが、9月からいよいよMBAのコアクラスが始まる。
目標も妥協なく決めた。やり方をどれだけ工夫してもできなかったら変えればいい。現実を経験する中で自分が変わればその時もまた変えればいい。理想を描く時点で妥協は不要だし、限られた想像力で描いた目標を違和感を抱きながら追いかけることもまた不要だ。ただ、なあなあにではなく、明確に本当に目標を変えるべきなのかは自分に問いかけて進みたい。
社会人になってから実家にこれだけ長く(2.5週間)いたのは初めてのことだった。家族は勿論、地元の大切な面々とも沢山の時間をつくることができた。東京で仕事をしているときにはなかった気づきも得られた。上記の通り何事にも妥協なく臨むけど、これまで仕事に時間を投入し過ぎていたかな思ったり。効率を十分に上げられていなかった。もっと自分を落ち着けて生活に臨むことが必要だったかなとも思った。東京の自分の生活や部屋の荒れ具合と実家での生活を比較すると。
クラスのほぼ全てがケーススタディで、2年で数百のケースに臨むことになる。ディスカッションは全て英語。加えてスペイン語のクラスもあるし、その他自身の望むチャレンジがある。ストレッチするに適した環境だと思う。
臨むマインドはコンサルティングでクライアントに臨む際と同様だ。
他人に自分に常に真摯に誠実にいたい。正念場は腹を据えてど真ん中にいたい。クラスメイト・チームメイトは常に理想のメンバーであると信じたい。そのチームだからこそのアウトプット・なせる成長にリーチしたい。仲間へ自分ができる貢献は何でも全てしたい。
後は、目標にもつながってくるけど、全力で遊びもしたい。沢山旅をしたい。沢山の仲間をつくりたい。スペイン語も英語のように使えるようになりたい。
ということで、バルセロナ生活、始めます!

何であれひたむき

東京にいた頃の気の置けない友達との会話で妙に頷いた話があった。
留学生活について話をしていた。とりとめなくのんびりと。やりたいこと沢山あるが全てできるかなー(やるのだけど)だったり、スペイン語どこまで身に付けられるかなーだったり。その他諸々。全て自分次第と思いつつ何となく言葉にする。なので相手からも特段返事があるわけでもない。
結構タフな2年になりそうだけどどうなるかなー、と口にすると相手が言った。
”心配しなくても間違いなくタフな2年になるって。だって、対象によらず、やりたいって思ったことはいつだって何でもひたむきにやって自分でタフにしてきたじゃん。”
ああ、確かに。。と頷いた。妙に納得した。
贅沢な時間の使い方をしてきたのだな、とも思った。

初期の目的を達成できれば

実家に戻ってきて一週間。バルセロナへ持っていく荷物/送る荷物/実家に置いておく荷物の準備もほぼ終わる。今は、読み切れていない本を読み、スペイン語の勉強をし、一部クラスの予習をしながら、家族であり地元の友達との時間を過ごしている。

仕事を離れて5週間程度。充電もでき、新たなチャレンジに自分を尽くしたいという飢えも強くなっている。

これまで築いてきた環境を離れる、関係を変えることへの幾つかの感情は、仄かに、でも消えること無く自分の中にある。これまでの自分のパターンから、この感情が大きくなり、整理をつけるのは環境が変わった後だ。新しい環境に身をおいて初めて気づくこともいくらでもある。それらに整理をつけながら新しい環境に自分を馴染ませる。便利なもので全てを解釈し置き場を見つけなくとも、保留するという選択肢もあるし、なにより自分のキャパシティを超えたら無自覚に忘れるという選択肢(ではないか)もある。

新たなチャレンジを前にして、沢山の方々から激励のメッセージをいただいた。本当にありがたく拝読し、解釈をさせていただいた。その中の1つについてここに文字にして残す。尊敬するパートナー、今は事業部のエグゼクティブになられている方からの、短いが濃密なメッセージだ。

何かにチャレンジすることは良いことです。ただし、初期の目的を達成できればの話です。いつでも応援しています。

何よりその人の背中を追いかけていたからこそ、口から発せられる言葉だけでなく実際の行動を目の当たりにし、一部共にしてきたからこそ、このメッセージの重みを感じる。

”何かにチャレンジすることは良いことだ”

その通りだと思う。自分の考えるチャレンジとは、”その時の自分でできるかどうかわからないことをやってみる”ということだ。水が流れるのを止めた途端に淀み始めるように、人もチャレンジを止めた途端にその人生は淀み始めると考えている。チャレンジが大きい必要はない、社会的に目立つ必要もない、他人に讃えられる必要もない。ただ、自分が既に”できた”ことの範囲に定住しないというだけだ。

人がチャレンジする姿をみても良いことだと感じられる。赤ちゃんがハイハイするのも、立つのも、歩くのも、子供になりはじめておつかいに行くのも、全てチャレンジだ。立ち上がろうとして何度も失敗する姿、そしてようやく立ち上がれた姿、それらは人がチャレンジし、失敗を重ねてもくじけず立ち向かい、達成する一連の姿と同じだと思う。

オトナになり、できることが増え、その組み合わせで生きられる安心を知り、できないことを見つける・挑み続けられることは減るかもしれない。それだからこそ一層、チャレンジを見つけ、それをし続ける姿は良いものに感じる、眩しく感じる。そんな事しなくても生きていけるのに、と流れることをやめ、淀み、安住(ともいえないかな)している姿とは比べるよしもない。

”ただし(チャレンジを良いことと言えるのは)初期の目的を達成できればの話だ”

チャレンジは良いことだ、でもチャレンジすること自体は目的には成り得ない。という事だと受け止めている。幾つものチャレンジをし続けることを否定するものではない。ただ、チャレンジをたくさんしたい!だからチャレンジする!という話ではないだろう、その先に目指す何かがあるからこそのチャレンジ達なんだろうという話だ。そしてそれはチャレンジを始めた時点で、内容も粒度も違うかもしれないけど、自分の中に目的として持っていたものなのだろう、それを忘れるな、必達だと。

この言葉が自分に響くのは自分とそのパートナーの特徴のコントラストが強いからだ。

自分は、良く言えばプロセスを楽しむのが得意で柔軟。悪く言えば初期の目的を忘れやすい。

パートナーは、目的達成に必要な戦略と行動を描き最短距離を走る。行動のフィードバックから次の行動・必要に応じて戦略を変える。どのような形であれ目的は達成する / 次につなげる。

タイプの違う人からの言葉というのはとてもありがたいものだ。そして僕は、このパートナーが実際に初期の目的を、不測の事態に陥ろうが何だろうが、達成させようとする姿、する姿を見ている。そうした、行動に裏付けられたメッセージというのは重い。そしてこうした行動を共にした方からのメッセージは、自分に、単に言葉としての意味ならず、その背景にある行動様式も想起させてくれる。

今回の自分のチャレンジにも勿論目的がある。本格的にチャレンジを始めるまえにupdateして、達成したい。

”いつでも応援している”

素直に嬉しい :D こういった言葉は大事だ。実際に1日24時間応援してくれているのか?という話ではなくて、そういう”気持ち”であり、固く言えば”覚悟”でメッセージを送っているということが大事なのだ。

チャレンジをし続ける上で無くしてはならないもの、それはチャレンジしようと思い続ける意志だ。

既に書いたようにチャレンジ自体が目的ではない。その先を見据える”志”がある。それはチャレンジしようと思い続けることを支える強い味方だ。しかし人はそんなに強くない。少なくとも今の僕は強くない。チャレンジがうまく行かなかったら、(目的達成の手段なのだから変えればいいだけのはずなのに)気落ちしてしまうこともあるだろうし、自分の志さえ強く持てなくなってしまうこともあると思う。一度の失敗ならまだしも何度も失敗を重ねたら。

少しでも”いけそう!”という感覚をつかめたら、他のすべての部分で失敗してもまた立ち上がって前に進められる。いけそう!という感覚が自分の意志を強くするからだ。

そうでないとき、他者からの支えというのは、自分の意志を強める素晴らしいエネルギーになる。人間弱っているときというのは、少しの支えであってもそこから大きなエネルギーを得られるよう、感度が高まっている(だから普段なら ? と思うことにも騙されたりもするのだが)。だからほんの一言であっても素晴らしい支えになるのだ。

なので、メールの最後にひと言添えられた”いつでも応援している”という言葉であったり、”自分のできることは全てする。何かあったらいつでも言ってくれ”というような言葉は、その厳密な実現可能性とは関係なく、本当に嬉しいものであり素晴らしいものなのだ。

短いひと言からも、自分の価値観を改めて認識し、足りない部分を知り、自分のチャレンジへのエネルギーをもらえる。こうしたつながりというのはかけがえの無いものであるし、大切にしていきたいと強く思う。