できる / できないの境界

今はProject workと並行してProposal準備。時間との戦い。
社内で色々と調整していると、物理的に考えて時間が間に合わないところがいくつもある。
Spainにいる最終承認者が、今東京からSpainに向けてのFlightの最中で着くのが現地時間で金曜22時(日本時間で土曜日の朝5時くらい)。それまでコンタクトできない、なんてことも。
(勿論、そもそもこのProcessの意味って何?もっとうまいOperationってあるんじゃないの?いやいや、そもそもここまで時間がなくなるようなProposalのPlan立ててるのがおかしいでしょう?等あるのだけど、何はともあれ今目の前にある状況は紛れもない事実。)
どうしようかなー、と考えているときに同組織の人と会話。彼もまた相当タフなProposalの最中で見るからに疲労困憊(ただ目にはまだまだ力がある)。
”それ、必要なんだよね?”
”彼のAssitantにはもう連絡してる?レスポンスは?”
”IMのStatus確認した?向こうの時間帯見て電話は?”
”それでも無理なら、もしくは間に合わないなら前の段階で承認してる人にwith Actionplanで最終承認もらうように働きかけるべきじゃない?”
”必要なんでしょ?”
最後の考えは頭に無かった。
そして彼は自分のworkに戻っていく際に一言。
”何かを”やる”ってそういうことだよ。やれる/やれないじゃなくて、”やる”ために打てる手は全部打つ。できる/できないでスタックする前にやれることあるんだからさ。”
納得。言葉にすると当たり前のことを実行するとなるとこうなるのかと。
結局上記は事なきを得た。
勿論一番大事なのは自分たちのClientへのValueの最大化。必要なProcessはあれども、大事なものはしっかり掴んで進みたい。
…にしても英語、必要(^^;)
後、人にTaskでも何でもを依頼するときは、自身が持っている情報・認識等は全て伝えた上で話をしようと思う。特にRiskとして考えられる部分、Challengeである部分は明確にしたいし、そのTaskで受け手がどのように成長できるかもちゃんと話し合いたいし理解したい。
適当に話して仕事を任せて、後は全て任された側の責任。なんていうのは×。こういうことを平気でやってのける人間は×。

Consultant魂

6/8(木)、この日はProposalのPartner Reviewだった。
もともとConsultantとしてのProfessionへのこだわりの強い、厳しいPartnerのReviewを受けることは承知の上。ただAssingされているProject Workと並行しての準備、Managerは他のProjectに拘束されて実質自分ひとりでの準備(Work PM)。ということで若干詰め切れていない状態で臨んだ(ただの甘えであり、Professionalとしての意識不足です。)
で、1時間のReviewのなかでPartnerが追求し続けたのは以下の2つ。

このProposalのClientへのValueは何だ?このProjectをやる主語が自分たちであるValueはなんだ?

このProjectの体制の各Boxに必要なSkillはなんだ?各BoxにはいってProjectを終えたとき、例えばお前はどうなってる?何がどれだけ成長してるんだ?

実際には相当きつい口調でいわれたのだけど、なんといおうか。自分の中で全て納得できる内容であったし、本当に嬉しかった。正直に言うと、”あ、捨てたもんじゃないな”という感覚(^^;)。
まとめると彼が一貫してMessageしているものはきわめてSimpleな2つ。

  • ClientへのValueの最大化
  • 自身達のProfessionalとしての成長カーブの最大化

ああ、この人は自分が志している”本物の”Consultantなのだな、と感じた。
周りには、彼の厳しさを一歩引いた目で見ていて、”まああの人にそういわれるのは仕方ないよねー”、”あんまり気にすることないよ”だったり言う(言ってくれる)人もいるのだけど、そんなことはない。
彼こそがConsultantとしてのProfessionalismというものを高いレベルで持っている、(少なくとも自分の中では)真のConsultantであり、全く持って彼が厳しいわけではない。ただ当たり前のものを当たり前に求めているだけなのだ。
このPartner Reviewは、Proposalとしては勿論、自分として、受けることができて本当に良かったと思う。また彼の期待に応えきれなかった自分を情けなく思う。
ゆでがえるにはなりたくない。組織の規模が大きくなり、組織の管理レベルが上がるにつれて、管理する側/される側ができはじめる。本来個々人がProfessionalであるべきConsultantが徐々にそうでなくなってきてる。そんな気がしてならない今の状況にあっても、こうした刺激を忘れず、自身は自身の志すConsultantになるべく、熱湯の中に身をおきたいと思う。
Consultantとしての魂を教わることができた気がする。

離れない

頭から離れない曲がある。

http://bestyz.com/zboard/zboard.php?id=JPOP&page=1&sn1=&divpage=1&sn=off&
ss=on&sc=off&select_arrange=headnum&desc=asc&no=1530
&PHPSESSID=3b4fb4fe4dbff5b25268deaea2a6598f

先日の結婚披露宴にて、披露宴の最後、新郎新婦が会場を後にするときに流れた曲。
新婦から両親への手紙、新郎父親、新郎の挨拶の跡、乾ききらない涙の跡をつけた緊張の面持ちの二人が去っていくときの曲。
…余韻が抜けない(^^;)
(URL、長すぎてかうまく表示できないので改行を入れています。)

First

Careerというものを考えたことがあって、今も考え続けている。自分の存在意義は何で、どんな価値を世の中に対して生み出したくて、そのために日々生きて行きたいと。それは今のところ戦略系のコンサルティングであり、Top Management Issueに応える・解決することだったりする。そのためのCapabilityを身に付けたくて自己研鑽をする。経営管理、いわゆるMBAのカリキュラムにあるような内容を一通りかじる。
ただ、現実を、目の前にある仕事を見たときに、その全てがTop Management Issueにアプローチできているかというとそうとは言えない。むしろそれがいくらかBreakされた、Middle ManagementのIssueに応えるEngagementが多い。
前提を疑いたくなるし、0ベースでそもそものところから話をしたくなる。なぜそれが必要なのか?それよりも他に手を打つべき課題があるのではないか?部分最適ではないか?自己満足ではないか?
それができない状況というのは結構多い。理由は書かないが。
ただ、考えてみる。自身が今、自身の”理想とするコンサルタント”であったらどう振舞うか。その状況にどう対処するか。
どうあるべきか、何をすべきかというところで真のIssueに対してアプローチする方法を模索して、Managerと衝突する?諦めて間違っているのでは?と疑いの晴れないIssueに対して答えを探す?
自身の理想のコンサルタントはどちらもやらない。真のIssueに対してアプローチすべくチームをリードしているはずだ。Manager、Member、そしてClientの合意の上で。
過去に、自身にとってRole Modelであると感じてきたコンサルタントが、自身の理想を具体的にしてくれているのかもしれない。具体的にイメージできるほど、現実で”ふんばれる”ようになってくる。
理想と現実にGAPがあってあたりまえ。問題はそのGAPに対して自分がどう対処するかだ。そしてその対峙している現実が、自身として望まないものであっても、不条理なものであっても、何であってもそれは現実だ。そしてその先にはClientがいることもまた現実。
自分の理想のためだけに活動しているのではないということを知る。
Client Firstの本当の意味を知るとき。
それは、自分としてどうありたい、という自分中心の理想を追いかける、追いかけられないGAPを受け容れずに否定する、というスタンスから、Clientがどうありたいのか、というClientとの理想を描きそれを追いかける、追いかけられないGAPを解決していく、というスタンスに移行できたときではないだろうか。
で、今の自分を見たときに、後者になることができたとき、そしてそのClientがTop Managementであったとき/になったとき、結果として自身の理想にも重なれているのではないだろうか。
書きたいことも内容も論理的ではないしぶれているが、大事なのは自身の理想を磨き続けることと、それに”今”重なろうと努力し続けることだ、と。理想の自分がClient Firstで動ける人間に成長していれば、そのときはそれに重なろうとしている”今”もClient Firstで頑張れるんだ、と。
矛盾するようだけど、自身の理想が、自身の理想に固執する人間でなくなっていくとき、それに重なろうとし続ける自身も、自身の理想への固執を捨てられるのだと。

結婚式

6/3(土)は友達の結婚式だった。
式・披露宴は昼過ぎからだったのだけど、久しぶりに大学時代の友達(男)が一堂に会するし、事前に準備したいこともあるし、そして名古屋からは飛行機が朝と夜の2便しかないこともあって東京からも朝一の飛行機で現地入りする予定だった。なので朝は5時起き(^^;)
のつもりが目が開くと時計は am 8:24。

…?
…!!
3時間半ほど寝坊。夜は午前2時頃まで仕事をしていて、かえって一仕事してから寝ようと思っていたのに、寝た記憶はないし、寝ようと思ったつもりもなかったのに。
気がつくとベッドの上にスーツの上着だけ脱いで横たわっていた。そして時間はam 8:24。携帯はマナーのまま。見ると着信の山…。羽田で待ち合わせていた友達には平謝り。許すも何も何事も無かったかのように合流してくれたことを嬉しく思う。心配をかけたことは本当に申し訳ない。
結局乗り過ごした航空券の時間変更も無料ででき、式・披露宴の時間にも間に合うことができて本当によかった。天気も少し心配だったのだけど当たり前ながら空の上は快晴。現地も晴れという機内アナウンスがあり一安心。飛行機の中では2人とも即就寝。特に、早起きし、一人で羽田で待ちぼうけしていた友達は疲れもひとしお…申し訳ない。
空港からバス・タクシーと乗り継いで会場へ。会場に着くと、まずタクシーから降りるとほぼ同時にビデオ撮影。その場に居合わせた先に来ていた友達も合流しお祝いの言葉撮影(^^)。
待合室には懐かしい面々。まずは一謝り。ご迷惑をおかけしました。
式の時間までは各々近況報告、そして昔話。いつになっても会ってみると変わらない。午前中からの時間はカラオケで歌の準備をしていたとのこと。自分のパートとその他もろもろを教えてもらって理解。練習風景の写真を見ると何とびっくりTシャツ姿の新郎が!!!新郎も直前まで歌の練習をしていたみたい(^^;)ホントみんな相変わらず。
こうして美味しいWelcome Drinkをいただきながらしばらく過ごすと案内が。
いよいよ結婚式。
どんな表情ででてくるのかと期待をしていたのだけど、やはり登場するときは皆緊張の面持ち。ただ、その普段から見ると少しだけ違和感のある表情や身のこなしが、結婚の近いっていうものが当人の人生にとって、それだけの大きなイベントであることをぐっと胸に伝えてくれる。見ているほうも新郎新婦が引き締まった表情をしたら引き締まるし、笑顔になれば笑顔になるし、涙を流してしまえば…普段ない雰囲気のなかで彼らの気持ちが伝わってくる。
こうして書いたのだけど自分はというとどうしても笑顔が抜けない(^^)全てが二人のこれまでの幸せと、結婚って言うものへの不安と期待、そして将来の幸せへの期待っていうものを映し出しているようで、考えるとやはり嬉しくて嬉しくて。本当にめでたい。
誓いのキスはかなーり長かった(^^)同じ友達グループの中で、人前式だったのだけどキスが短くて、思わず式場から”みじかいっ”との声が上がり再度キスした二人がいた。そこから学んだのか、それとも唇を離す事ができなかったのか(^^)長かった。幸せの雰囲気満開。二人は勿論、出席してこれだけ幸せな気分になれるなんて結婚って本当に素晴らしい。何でこんな気持ちになってしまうんだろ。
そして披露宴へ。
幸せな二人・両家の皆様、会社・友人各々からのお祝いの言葉、ケーキ、歌(含む自分たち)、盛り沢山の、そしてあっという間の披露宴。
(自分と東京発の友達だけ)ぶっつけ本番だった歌も、結局最後は新郎もまじえて肩を組んで歌い上げることもでき、新郎の涙も誘うこともでき(^^)本当に良かった。地元の新郎の幼馴染からの言葉や歌も、心のこもった、温かい、そして笑い溢れる本当に良いものだった。
写真は載せられないのだけど、どの写真にも誰かの笑顔や涙が映っている。たまに肝心なところでピンボケの写真があったりするのだけど(^^;)
泣いたり笑ったりを織り交ぜながら披露宴を終えて、最後は新郎とぐっと握手をして会場を後にした。
そしてホテルにチェックインして、二次会へ。
一人ひとりポラロイド写真を撮り、メッセージを添える。勢いで書こうとして途中で行き詰る人もいれば、心を込めたメッセージを書いて自分の名前を書くスペースをなくすひともいる。面白い。
自分はというとなんとか全部をカードに収めたものの、ポラロイドで半目になった可能性大…(^^;)
新郎新婦は終始仲むつまじく、ここで笑いもあれば涙もあり。二人の手紙やてづくりの二次会の温かさに感動。最後はみんなで会場出口までゲートをつくってその中を二人にくぐってもらう。”おめでとう!”の声とフラッシュが溢れる。本当に良い二次会だった。
そして次は三次会のカラオケへ。
門出を祝う歌もあればノリに任せた歌もあり。思い思いの選曲で二人をお祝いした(^^)もりあがったのは最後の”てんとうむしのサンバ”。
”くちづけせよとはやしたて”の部分の繰り返し(^^)戸惑いつつも新郎新婦は何度もこたえてくれた(^^)幸せいっぱい。
最後は全員で集合写真を撮り、この日最後になるだろう”おめでとう”と握手を交わしてホテルに戻った。
そしてホテルでは部屋に集まって大学時代のメンバーで四次会。
既に結婚した人も、結婚が決まっている人も、まだまだこれからの人も、それぞれ結婚や将来に思いを馳せる。結婚式も勿論幸せで嬉しくて、素晴らしいものだけどこうして集まってはみんなではしゃげる気が置けない友達という存在もまた幸せであり嬉しい。
結局寝たのは3時くらいだっただろうか。あまり覚えていないのだけど就寝していた。
朝、ホテルをチェックアウトしてコーヒーを飲みにマックへ(喫茶店見つけられず)。名古屋組は飛行機が夜しかないので、現地で遊んでから帰るということで東京組は昼頃に帰途に着く。
そして来るときと同じく乗るなり即就寝。幸せの余韻に浸りながら良く眠れた(^^)
結婚式もそうだけど、こうして大学時代の仲間に会うたびに、大事なものを思い出させてもらえる。
普段コンサルタントとして働く中で、頭を比較的よく使っていると思うのだけど、人の人生の中で言葉に表せるものが、言葉やものという具体的な形にして伝え合えるものというのがどれだけあるのだろうか、ということ。
勿論仕事とプライベートで違うのだろうし、コミュニケーション(同じ場にいて、何らかのものを共有すること)する人間の関係の強さにも依存するのだろうけど、

どんなに整理したロジックをもって伝えようとするよりも、そういった形がなっていなくても、不器用であっても心の底からのメッセージを伝えようとしているその姿の方が比べられない程に人の心に強く届く。
”ありがとう”の理由を3つ述べるよりも、言葉に詰まってしまうその姿の方が、おそらくどのような言葉よりも強く、”ありがとう”を伝えられるし、その雰囲気で共有する”それ”は、言葉にした3つの理由よりも大きくて温かい、素晴らしい理由になる。

頭でつくった言葉が支えているのではない。考えて思い出すことができた思い出だけが支えていのではない。メッセージの送り手と受け手が、同じ気持ちを共有してきた”過去”の全てが、本当に二人の間でMECEに、”ありがとう”っていうメッセージを支えるのだ。
言葉にできなければ説明できないのだけど、その説明が不要な程に互いの、もしくはその場にいる人間の気持ちというのが伝わってくるし伝えられる。
全く持って論理的でもなんでもないのだけど、人って、友達って本当にいいな、と思う。
そして、こういう論理的に片付けられない部分、言葉というものにしてしまうと何か一番伝えたいものが削られてしまうような気持ち、それを感じる心って言うのは亡くしたくないな、と思う。
結婚した二人は本当におめでとうだし、幸せをもらえてありがとうだ。そして、こうして集まるたびに大切なことを改めて教えてくれる、温かくて、面白み溢れる”心”をもった、バカで適当で不器用で、素直で正直で純粋で友達思いの仲間の中に自分もいられることへも、本当にありがとうだ(普段は自分もバカもやれば適当だし、十二分に不器用)。
幸せな週末だった(^^)