ぱっとしない

最近どうもぱっとしない。自分の土台というものが不安定になっているというか、土台はあれどその上で軸がふらついているというか。何だろうか。そもそもぱっとしないとは何だろうか。
折角ぱっとしないのだからこの際考えてみよう。
ぱっとしない。何で自分がこの言葉を使ったのか。自分の言う”ぱっとしない”を定義してみよう。(以下、自分の”ぱっとしない”の解釈。)
ぱっとしないとは…以下の2つのいずれか、ないしは繰り返しの中で発生する一種の”ふてくされ”である(いきなり断言)。
1. 自分の期待通りでない、意図しないネガティブな刺激を外部から受ける
2. その外部からの刺激に対して自分として満足できるレスポンスを返せていない
納得いかない、ということか。
世の中、全部が全部自分意図に従って周ってる、なんてことはありえないわけで、むしろその逆の方が、おそらく圧倒的に多いわけで、1なんて言うのはまあ、日常往々にして起こりうることである。
”ぱっとしない”サイクル入口がここにある。
”なんでこーなるの?”という、起こってしまった事実の論理性等を批判し、現実になってしまった事実を受容れきれない、というケースである。受容れきれない、認められない事実に対して客観的に、的確な判断をするのはなかなか難しい。結果として、どこか自分本位の、そもそもの前提からして間違えてるでしょう的なリアクションを取ることで2を引き起こす。その結果を受け取った相手が1を感じ、2を返してくる。というパターンで”ぱっとしない”サイクルへ突入する。
結局のところ”ぱっとしない”サイクルへの入口はここだけである。
1でやってきたネガティブな、想定外の外部からの刺激を受けて、2につなぐ前に頭の中で整理ができれば、そこで”ぱっとしない”サイクル突入は回避できるのである。
ということで必要なのは”少しの踏ん張り”であると結論付けよう。
理不尽なDirectionが何の前置きも無くいきなり飛んでこようと、それが本業のパフォーマンスを十分に圧迫しうるものであろうと、両方のManagerの間で板ばさみになって締め付けられようと。
必要なのは、それぞれの刺激に対して、”自分として納得の行く”レスポンスを返すための”少しの踏ん張り”である。周りの理不尽さや一方的な論理の押し付けは、それはそれ。それに対して自分も対抗して一方的に自分の論理をぶつけていては、そのまま”ぱっとしない”サイクル突入である。1つ1つに対して納得のいくレスポンスを返すことで自分としては”ぱっとする”のである。
これは7つの習慣の1つ目。”主体性を持って行動する”に繋がる内容。
…知っていることと出来ることの壁をここでも感じる(^^;)
明日から早速レスポンシビリティを意識してやってみよう。案外すぐに”ぱっと”しそうな気がする。